隠居たるもの、旅の名残りを匂わせる。2泊3日で蔵王に行って来た。源泉が自噴する「五感の湯 つるや」に投宿し、何度も何度もたっぷり湯につかった。そうして温泉の硫黄の香りを身にまとい、漂わせてもいたのだろう。帰京して東京メトロ半蔵門線 大手町、4分後にやって来る電車を待とうとホームのベンチに腰を下ろした時のことだ。すでに隣に座を占めていた妙齢の女性が、私が座るやいなや憤然と立ち上がる。向こうへ去り際に振り返ってキッと私を一瞥する。硫黄の香りと演繹することもなく、平然と放屁する「失礼千万なおじさん」と勘違いしたに違いない。そんなあらぬ疑いを寄せられるほどに 、私は「旅の名残り」を匂わせていた。

「五感の湯 つるや」には多分マニュアルがない

私が蔵王を旅先として好ましく思うのは、「スノーボードを嗜み温泉好きでもある」 からなのだが、その他にも好ましく感じる点が様々ある。例えば「五感の湯 つるや」さん(http://www.tsuruyahotel.co.jp/)。蔵王バスターミナルすぐ前に建つ老舗旅館だ。お客さんがゲレンデから帰ってくるだろう時間帯に、上下関係がよくわからない同年輩のおじさんたち数人がロビーで待ち受けており、「甘酒をどうぞ」とか「靴をビニール袋に入れておいたから」とか「貸切風呂を予約しますか?」とか、一斉に良かれと声をかけてくれる。その度に首をグルグルさせてしまうものの、うち解けた親切心がうれしい。夕食時、仲居さんと東日本大震災の話になった。「あの日あの時、私たちは蔵王に向かう山形新幹線の車中だったんですよ。まだ栃木県の小山だったので、小山二中の剣道場に避難誘導されました。」なんて話を披露したら、「揺れはしたんだけど、こちらに被害らしい被害はなかったの。だけどあの後、お客さんが来なくてねえ…。雇われたばっかりだったんだけど、もうクビだな、なんて思ってたの。でも専務さんが、被災した方々がお風呂に入りたいだろうと、石巻の被災者を日帰り入浴の料金で泊めてあげたりしたのよ。そのうちにその時のお客さんが『恩返しだ』といって泊まりに来てくれたりね。」と、仕事を維持してくれた旅館の跡取りに対する尊敬を隠そうとしない。

台湾滑雪五日間御一行様

蔵王は台湾の方々に人気がある。雪がないところの老若男女が、樹氷を見物したり、スキーやスノーボードを経験したり、温泉に浸かったりしにやって来るのである。つるやにも「台湾滑雪五日間御一行様」という一団がいらっしゃった。聞いてみると、5年ほど前に台湾・山形空港の直行便が開設され、それに合わせて誘致に努力したんだそうだ。日本の観光業は、各国からやって来るインバウンドさんが支えている。緬羊業を定着させようとしたかつての蔵王こそが発祥だというから、旅館っぽい食事が続くのもと思い、私たちは2日目の夕食に名物ジンギスカンを所望した。隣のテーブルで同じようにラム肉をつついていたのはドイツの6人組だった。コーディネーターがお膳立ての大方をしているのだろうが、縦横に接客しているのは怪しい片言の英語で堂々とコミュニケーションするおじさんやおばさんである。それが、とても素敵なのである。

蔵王高湯系のこけし

つるやの脇に高湯通りという緩やかな登り坂の道がある。いくらか登って行くと「能登屋」(https://www.zao-stk.com/notoya/)というこけし工房があって、そこで岡﨑幾雄さんが伝統的な蔵王こけしを作っている。名人も82歳になり、製作がままならないという。奥様に色々と教わり、気に入った1本を連れて帰ることにした。下の写真、左が今回の旅で購入した桂材から彫られたお澄ましさん。右は以前におなじくここで購入した山桜のファンキーな彼女。デヴィッド・ボウイは彼女たちの後見人である。

除雪車の出番がない

あまりにも雪が降らなくて、除雪車の出番がない。走らせるごとに賃金を受け取る仕組みになっているから、今年は「もはや災害」というほどに困窮しているそうだ。ゲレンデにも雪は少なかった。山の下の方はゴロゴロした氷つぶてに覆われていて難儀した。これってセクシーか?それなのに、すいている平日の斜面は高齢者でにぎわう。嬉々として関西からスキースクールに参加している方々、「ゆーどびあこぉーすがよぉお」「んだぁ」と語らう地元の古くからの友人同士。頭に浮かんだのは“生涯スポーツ”という言葉だった。

遠慮がちに2日滑り、それでも脚はガタガタになって、今日は帰庵するという最終日、やっとのこと綺麗に晴れわたる。2時間ほど滑った。それだけでご褒美のようなものだ。

いなごふりかけ

山形名物で必ず買うものがまだある。隠れた名物「いなごふりかけ」だ。炒ってあって香ばしい。ご飯に風味を足しながらも、行き過ぎていないから「ご飯が進みすぎる」ということがない。その他には当然に玉こんにゃく。待ちきれずに、いつも新幹線で酒盛りを始めてしまうことが恒例だ。ああ、もうすぐ隠居の身。持ち帰ってきたものはたくさんある。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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