隠居たるもの、いささかでも「人生」については語れなくてはいけない。昨日、巷を揺るがした事件に判決がおりた。裁判官が被告に投げかけた言葉が話題になっている。「これから迷ったり悩んだり、孤独になることもあると思う。そんな時こそ、人生と書いてくれた人の気持ちに応えられているか、胸に手を当てて考えてほしい」と締められたその言葉が。
ピエール瀧のケース
「人生」とは石野卓球とピエール瀧被告が、電気グルーヴの前身として組んでいたバンドの名前だ。卓球が、高校から続く2人の長きにわたる友人関係と、変わらず瀧に寄り添う意志を示すためにあらためて持ち出したバンド名。裁判官はそうした経緯を知った上で、そこに文字通りの「人生」をかけ合わせながら、執行猶予付きの判決を補足する異例の説諭をしたという。「権力」を持つ者がからまないとき、この国の司法はまだまだ粋なことができる。その言葉を聴いて「控訴はしません」と深々頭を下げるピエール瀧、まるで大岡越前や遠山の金さんのエンディングではないか。曲がらない石野卓球の友情物語は、爽快な一旦の大団円をここにもたらした。
Zin-sayは電気グルーヴ、電気グルーヴは人生
ピエールが逮捕されてから、ワイドショー的「世界」は発狂し、乱痴騒ぎは常軌を逸した。「とにかく謝れ、いいから謝れ」と口角泡を飛ばす者たち。その土俵に乗ることなく、それを笑い飛ばし続ける石野卓球。少しずつ形勢は逆転し、彼は痛快なヒーローとなる。そして、ヒステリックで見苦しい乱痴気騒ぎは、まったくもって節操のないことに、なおかつ笑っちゃうことに、いつしか「走れメロス」のような友情美談にすり替わっていた。
「人生」を語る?
今、大病を患って入院している同級生がいる。見舞いに各地から同級生がやって来て、予期せず再会が果たされる。遠路を駆けつける友人たちの心持ちが嬉しい。20年ぶりだったりするのに「居心地の良さ」は比類ない。転機にさしかかった年齢的な要因もあるのだろう、その他にも中学高校大学と学生時代の友人たちと顔を合わせることが増えている。私たちはそれぞれ、私たちの「人生」のメンバーだ。
吉田拓郎が「人生を語らず」という曲を発表したのは1974年。私は10歳で、石野卓球とピエール瀧は7歳、吉田拓郎本人だってその時は28歳。カラオケで調子に乗って「今はまだ人生を語らず」なんてガナっていてはいけない。庵で待っている。もうすぐ隠居の身、そろそろ「人生を語る」準備をしようじゃないか。