隠居たるもの、節目に際して感慨新た。さてそれ何の節目であろうか。それすなわちこのブログ500段目の節目なのである。「四捨五入すれば還暦60歳」と称して5年前の5月の55歳になる誕生日に始めたこのブログ、4年と9ヶ月を経てなんとこれが第500段目となる。道楽というのは懲りないもので、「実入り」が発生するでもなし、我ながら500本もよくぞ書き連ねたといささか感心する。この間に、長年に勤めた会社を退職し、散種荘が出来上がり、暮らしは大きく変転した。「計画通り」とほくそ笑むこともあれば、「いやあビックリ!」と驚き破顔一笑するしかない場面だって多々あった。そしてなにより子どものいない私たち夫婦にいきなり孫のような3人の姪孫(てっそん)ができたこと、なんとも感慨深く、今でもときおり「不思議」な心持ちすら抱く。

メロン坊やがひと足先にスノーボードを履く

このブログ「もうすぐ隠居の身」を始めたころ、まだメロン坊やは産まれていない。それがどうだ、「4歳になったからにはスノーボードをやる!」といっぱしの口を利きやがる。2024年2月23日金曜日、ときおり雪がちらつく曇りの五竜スキー場、前日に白馬入りしボードレンタルも済ませていた4歳5ヶ月のメロン坊やがとうとうデビューを果たす。すっくとボードの上に真っ直ぐ立つこと、恐怖心が勝る大人の初心者にはこれがなかなか難しい。だけれども子どもってえのは恐るべし、最初っからそれができる。それでもって直滑降一本槍だから周りを固める大人はハラハラするが、「テクニック」という名の小細工はこれから追々身体で覚えればいい。

散種荘だョ!全員集合

「夕方に来る?」、メロン坊やはスノーボードの合間にひっきりなしそう確認する。3連休の初日である23日金曜日の朝に宇都宮を出発した二人のいとこが、散種荘に午後に到着すべく車で向かっている。「なんとか2時を過ぎたころには」との一報を受け、私たちは五竜エスカルプラザ午後1時発のシャトルバスで帰宅する。つれあいの還暦を祝った昨夏に続いて2度目のこと、5歳7ヶ月の長女格、4歳5ヶ月で長男格のメロン坊や、3歳5ヶ月の次男格、散種荘に年子となる3人の姪孫たちがそろって集う。今年は少ないとはいえそれでも雪に囲まれた白馬、子どもたちにとってはパラダイスだ。月火水と気温が高く雨が降り一時はどうなることかと危ぶまれたが、その雨が水曜の夜更けから雪へと変わり、その雪が金曜朝まで断続的に降ってくれたおかげでギリギリどうにか帳尻はあった。到着するなり挨拶もそこそこ、大人も混ざってそり遊び、雑木林に囲まれた庭に絶叫がこだまする。夕食前に皆でそろって温泉に足を運び、冷えた身体を暖めたことは言うまでもなかろう。

“スピードスター(ギャル)” も間髪入れずボードデビュー

「アタシだってスノーボードやる!」ギャル志望の長女格が弟分に先を越されて黙っているわけがない。2月24日、晴天の八方尾根スキー場で彼女もデビューを果たす。運動神経がいいこの娘、「やる」となったらまなじり決して持ち前の集中力を発揮する。スジがよく直滑降のキレもいい。「一日の長」があるメロン坊やにあっという間に追いつき、そして追い越した。尻に火がついたメロン坊や(隙をみてはおふざけがしたい、いかにも男子な4歳5ヶ月)も顔色を変えた。これは面白いことになってきたじゃないか。ここではたと気づく。近所に暮らし顔を合わす機会が多いからといって、メロン坊やにばかり愛称があるというのも不公平。そもそも夫婦にとっての初姪孫はこの娘なのだ。満を持して、私たちは「スピードスター(ギャル)」という愛称を進呈した。

スピードスター(ギャル)の母だって黙っちゃいない

スピードスター(ギャル)の母親は二人姉妹である姪の妹の方だ。娘が「スノーボードをやる!」と宣言しちゃったもんで手をこまねいているわけにもいかなくなった。「10年前だけど学生時代に少しはしたことがあるの。私もやる!」とこれまた黙っちゃいない。つれあいのセットを貸すことにして、一族郎党大所帯でこの冬一番の混雑となった八方尾根スキー場に乗り込むこととあいなった。四半世紀、つまり25年ほど前になろうか、この姪姉妹がまだ小学生だったころ、私は彼女たちの面前でスノーボードを滑ってみせたものだ。スキー場に向かう車中で、モーニング娘。の「LOVEマシーン」を延々リピートで聴かされ続けたことも鮮明に想い出す。その後にスノーボードを趣味としたメロン坊やの母親である姉とは幾度もいっしょにスキー場に出かけているが、妹とはあれ以来のことか。それが時を経て、ともに母となった姉妹を先導しながら同じ斜面を滑り降りることになろうとは…。このときの私の感慨たるやいかばかりか、ご想像いただきたい。

“ファンキーボーイ” は左右に腰を振る

これからスノーボードに出かけるというとき、私はBGMに70年代のロンドンパンクをかける。防寒ウェアを何枚も着込んだり、三重に締め上げなければならないスノーボードブーツをかっちり履いたり、準備にけっこうな手間がかかるからだ。まとめて家事をこなすときも同様で、性急なリズムがテキパキと身体に働きかける。「スノーボードをやる」という二人の幼な子がいて、常よりバタバタした24日の朝もそうだった。急きたてるようなTHE CLASHのファーストアルバムをかける。A面5曲目「HATE & WAR」がかかるころにようやく幼な子二人の準備も一段落、ホッとしてスピードスター(ギャル)の弟、もっとも年少となる男の子がどうしてるか目を向ける。スキー場のキッズランドで遊ぶだけの彼はそれほどの装備を必要としないし呑気にしているかと思いきや、なんと!1977年発表の曲に合わせニコニコ腰を左右に振って踊っていたのである。ああ、私のパンクスピリットの継承者がここに現れた。「ファンキーボーイ」、彼の愛称は即座に決定した。

あいうえおポーズかるた

2月25日のもう少しで午前10時になろうかという頃合い、メロン坊やが読み上げる札に合わせて大の大人3人がポーズを取りしばらく固定する。誰が一番かジャッジが下るのを待っている。ちょっとつらい。この光景を窓から垣間見た人はいささか「ギョッ」とするに違いないが、「あいうえおポーズかるた」という知育を絡めたカードゲームに興じているところだ。一族そろったウィンターキャンプ2024もそろそろ打ち上げ。前の晩、スピードスター(ギャル)が私の耳元にコソコソと話しかけた。「大人になったらね、いやそうじゃなくて…、もう少し大きくなったらね、アタシ引っ越してここに住む。」雪と遊ぶこの環境がいたくお気に召したようだ。そうなるかどうかはまた別の話として、自身の思考や好んでいるカルチャーを受け継いでくれる者がいるというのは、なんとも嬉しく道楽者冥利につきる。となれば感慨も新たに501段目にとりかかろう。そしてこの子たちのためにも。ああ、もうすぐ隠居の身。大叔父は冬と雪を守ろうと思う。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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