隠居たるもの、山から小僧が泣いてきた。童謡「おおさむこさむ」の歌い出しである。小僧は「寒いといって泣いてきた」のである。2024年2月27日火曜日、私たち夫婦は山を下りて東京に戻らねばならなかった。朝には雪もさほど降っておらず、JRの運行に問題も起きてはいない。しかし、あと少しで午後3時という前日の遅い午後のことだった。47スキー場で、雪の重みにたわんだ木が強風にあおられ折れた。その木に倒れかかられたリフトは当然のこと停止、あの寒空の下、1時間半にわたって宙吊りになった乗客がいたそうだ。「無事だったか?」と気づかってくださった先輩からのLINEで夕刻にそのニュースを知る。まさに危機一髪、私たち夫婦はそのリフトに止まる2時間ほど前に乗っていた。そんなことがあったから心配しているのだ。雪が少しずつ横殴りになっていて、なんとも雲行きが怪しい。

*同日の午前10時頃、止まってしまったリフトから私が撮影した写真。当日の信越放送のニュースはこちら:https://news.yahoo.co.jp/articles/bd6d8cccb660a9935d12fcb138edcf4b2d8668e8

雨氷(うひょう)

橋 幸夫が歌って1966年にレコード大賞を受賞したのは「霧氷」だが、「0℃以下でも凍っていない過冷却状態の雨(着氷性の雨)が地面や木などの物体に付着することをきっかけに凍って形成される硬く透明な氷のこと」(Wikipediaより)、それを雨氷というのだそうだ。異常な高温となった2月19日から3日間、断続的な雨が降った。その雨は急激に冷え込んだ22日未明に雪へと変わるのだが、その前に「過冷却状態の雨」となっていた数時間があり、それが雨氷となったようだ。朝になってロールカーテンを上げてみると、散種荘の庭に植えた紅葉のか細い枝に、氷が覆うようにビシッとついていた。初めて見る光景だった。

*やはり止まったリフトに同日の午前中に乗り撮影した写真。枝がすでに何本か折れて下のネットに落ちている。

JR大糸線は22日、雨氷がもたらした架線の凍結によって、信濃大町から南小谷までの間を運休する羽目になった。21日と22日に開催が予定されていた八方尾根スキー場リーゼンスラローム大会も、気の毒なことに22日はJR大糸線同様リフトを動かせず中止となった。その4日後に47スキー場のリフトを止めた倒木も、遠因を探れば雨氷にあるという。数日の高温から打って変わり、22日以降は冬らしい気温で断続的に雪も降った。枝を覆う雨氷が解けないまま、その上に新しい雪が張りついてさらに凍りつき、風が吹いても落ちず、その重みで高い木の頭を垂れさせた。実はリフトに乗りながら何本も折れた木を目にしていたから、いささか危ぶんではいたのだ。気候変動がもたらした新しい「リスク」のひとつに違いない。

3月1日に終了したけれど:https://snow-machine.com/jp/ja/

吹雪の中でフェスが始まる

前回の省察でも触れたが、とうとうデビューする姪孫のスノーボードをどこでどうやってレンタルするか調べていた。近所のレンタル大手ふたつのHPにあたってみると、「2月後半に開催されるイベントで混雑するため、レンタルの予約は受けつけできません。再開は3月以降です」とあった。???、告知も届いてないし、イベントとはなんのことやら…。LION GEAR RENTALの店頭で姪孫のボードレンタルを受けつけてくれた、額に赤いティーカをつけていたからおそらくインド人であろうスタッフが、「27日からオージーに向けたフェスが始まるんです」と教えてくれた。なるほど、そういうことだったのか。不思議に思っていたのだ。2月をもって彼らのバカンスシーズンは終わるというのに、オージーが一向に減らない。それどころか、やたら元気なパーティーピープル風の一団が新たに加わって増えさえしていた。2月27日から3月1日までの4日間で開催されるSNOW MACHINEというこのフェス、冬の白馬を席巻した彼らのいわば「シーズン打ち上げ」なのだろう。

HPによると、このフェスは「世界有数のスキーリゾートとして国内外から人気を誇る長野県・白馬村で、音楽とパウダースノーを満喫する4日間!昼間はスキー場のマウンテンステージでスキーやスノーボードの合間にDJプレイを、夜はメインステージで世界中から集まるオーディエンスと共にパーティーで盛り上がろう!まさに、スノーマシーンはスキー旅行と音楽フェスティバルが1つになった究極のイベント」なのだそうだ。やってくれるじゃないか。とはいえ初老にさしかかった我が身にはもはやToo Much、東京に着いてその足で向かわなければならない先もあることだし、素直に山を下りよう。だけれども、昼を過ぎてからというもの、天候はすっかり吹雪の様相を呈している。白馬15時16分発新宿行きあずさ46号は無事定刻に動くのだろうか。

虎ノ門ヒルズのレセプションパーティー

定刻通りにホームに滑り込んだあずさ46号で、オージーやチャイニーズとともに一路東京に向かう。途中の甲府でビジネス帰りの日本人がわっと乗り込み満席となる。もう少しで新宿というところで阿佐ヶ谷駅から発せられた停止信号のため特急は停車し5分ほどの遅れが発生する。新宿で東京メトロ丸の内線に、さらに霞ヶ関で日比谷線に乗り換える。目的地はそこから一駅、新設された虎ノ門ヒルズ駅だ。到着したのは19時45分。アパレルを生業とするつれあいのクライアントが、昨年に竣工した虎ノ門ヒルズ ステーションタワーの2階から3階を占める、とても大きなショップを2月29日にオープンする。そのレセプションパーティーに招待されているのだ。

SELECT by BAYCREW’S:https://select-by.baycrews.co.jp

駅周辺の地下通路はオープン間近のこのショップの広告で埋め尽くされ、生バンドやDJが入ったパーティーには驚くほどの来場者。この大盛況にスタッフの皆さんも目を丸くされていた。虎ノ門ヒルズでこの規模の店だから誰もが興味津々だったに違いない。当然のことだが、みなさんここぞとばかり気合いを込めてきらびやかにお洒落だ。しかし吹雪の山から下りてきた初老にさしかかった夫婦、そろって場違いにもすっかりと山仕様。それがかえって「かわいい」とウケたりするから、沢田研二が「恋のバッド・チューニング」で「Bad Bad Bad Tuning ずれてるほうがいい」と歌うのもあながち間違っていはいない。

東京に帰るなりすぐ頭に浮かぶのは

私たちが山から「おおさむこさむ」を運び下ろしてきたのか、この夜は東京も冷たい風が吹いて寒かった。東京に帰るなりすぐに頭に浮かぶ「感」がある。極端から極端へと移動した27日にしたって同じこと。その「感」とは「人が多い」ではない。「日本人ばっかり」と思ってしまうのだ。オージーを筆頭にあちこちの国の人が集い遊んでいる山間の白馬村から帰ってみると、この国の先端的国際都市であるはずの東京がとてつもなくドメスティックに映る。いたずらに流布される「イメージ」とは裏腹に、その内実たるや肌感覚の方が的を射ているのかもしれない。さて、「存じ上げない」とか嘘つきたちにあらためて嘘をつく場を提供した政倫審を横目にしつつ確定申告も済ませたことだし、ワールドワイドな白馬村に戻ろうか。ああ、もうすぐ隠居の身。シーズンはあと少し残っている。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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