隠居たるもの、春を感じてピクニック。どれくらい前のことになろうか、宇都宮で暮らすつれあいの義兄一家を訪ねたときのことだった。いくらか酒が進んだころに義兄がこう話し出した。「久しぶりに母校を訪ねたんだよね。男子校なのに女子高生がたくさんいるからさ、『この女の子たちは、なにかイベントでもあって来校してるんですか?』って先生に聞いたんだ。そしたら先生が『え?うちはずいぶん前に共学になったんだよ』って。『えええっ!』って本当にびっくりしちゃった。」桜を見ながら今日いっしょに弁当を食べた後輩は、男子校から共学に変わった義兄の母校の卒業生にして、私の大学の後輩だ。もしかしたら、驚愕する義兄の前で溌剌と青春を謳歌していたうちの一人だったかもしれない。
昼休みに木場公園で花見ピクニック
木場公園のバーベキュー広場での待ち合わせは2022年4月6日正午だった。土日の冷たい雨に桜はすっかり諦めていたのだが、低い気温が幸いしたのか、ギリギリ「桜を見る会」と名乗って差し支えないほどに花が残っている。風もなく穏やかな晴天で気温は20度、絶好のピクニック日和でなんとも喜ばしい。子供連れに混ざって、私たちも桜の下にレジャーシートを広げてみる。半月ほど前のこと、新型コロナ禍で対面での会合がままならない大学の同窓会、近頃はオンラインで細々と「読書会」なぞ催しているのだが、彼女がそこに顔を出した。久しぶりなもんで近況を聞いてみると、今は我が庵の近所で一人暮らしをしているというではないか。これも先輩の務めであるから「早く言ってこないか」と軽く叱っておいて、ご時世のご多聞にもれずテレワークが多いともいうから「ならば昼休みに木場公園で花見ピクニックでもしよう」と誘い合わせた。
父親は私よりひとつ年下
「君は仕事をしていて忙しいだろうし、私は暇なのだから任せておきたまえ」と近所の橋膳で日替わり幕の内弁当をつれあいの分も含めて3個調達した。「もう葉桜かなぁって思ってましたからすごく嬉しいです。近所に住んでるのにこの春は木場公園の桜を見てなかったんですよ」まあ、若い時はいろいろと忙しいもんさ。「それで白馬はどうですか?」なんて弁当を広げて話は弾む。「最後にお会いしたのはあの会だから、2019年の秋ですか。あのあとからコロナですもんね。はい、卒業間近でしたけど、あのときはまだ学生です。就職先が決まってホッとしていたころです。」新人教育が厳しいと聞く大手金融機関に就職したからどんなもんか心配してみると「変わったみたいです。今はそんなにつらくないですよ。それより(2020年4月に)就職するなり世の中はテレワークになって、それからずっとですから、なんか寂しくてその方がきつかったな」とのこと。私と後輩が並ぶ写真を撮影したつれあいは「先輩と後輩というより、どうやったって父と娘、叔父と姪、って感じ」さもあらん、なにせ彼女の父親は私よりひとつ年下なのである。
先輩の義務と後輩の義務
それにしてもこんな心持ちのいい「桜を見る会」が最後の最後に待っていたとは望外だ。「学生のときにおうちに遊びに行かせてもらいましたけど、そのときに出してくださった料理が美味しかったなぁ」6年くらい前のことを彼女は思い出す。つれあいも「せっかくの近所なんだから、遠慮しないでまた遊びにいらっしゃい」とにこやかに応じている。先輩は後輩のことを気にかける、後輩は先輩に遠慮なく甘える、これこそが先輩と後輩それぞれの義務ではなかろうか。また人は先輩であると同時に最長老でないかぎり後輩でもあるから(言い換えるならば、人は後輩であると同時に最若年でないかぎり先輩でもあるから)、双方の義務を場面によって使い分ける器量も必要だ。そしてこれらは親愛に基づく不断の義務であるから、かかる義務を果たさない者が自分の都合によって「先輩である・後輩である」と権利ばかりを主張するのに出くわすとどうにも居心地が悪くなる。「おととい来やがれ」と言われないよう、自身を省みる。
同窓会のボランティア仕事を手伝ってほしいとの私のオファーを、後輩は快諾してくれた。そして暖かい盛りの昼下がり、近日中の再会を約して「桜を見る会」はお開きとなった。つれあいと後輩は仕事に戻り、私はウォーキングがてら越中島まで用足しに出向く。そこそこ歩いて汗ばみ上着を脱いだ。帰宅して肩からバックを下ろしてあにはからんや。ああ、もうすぐ隠居の身。そこには桜の花びらがひっそり3枚、忍びこんでいた。