隠居たるもの、一堂に会して旧交を温める。同窓会の時だけやたらに重宝される決まり文句「旧交を温める」、厳密には「久しぶりに会って過日のごとき親しいつきあいを再開する」ことを意味する慣用句だそうだ。しかし実のところ同窓会というやつは「一堂に会する」時点で満足してしまって、「旧交を温める」までに至ることは滅多にない。2022年7月12日、まだ明るい午後6時が約束の時間だった。私は字義通りに「旧交を温める」ささやかな会に参加した。ひと月ほど前に34年ぶりの友人に再会したことはすでにご案内しているが、それをきっかけに、仲の良かった4人の友人たちがやっとのこと都合を合わせ、「一堂に会する」この日を迎えたのである。私たちが友だちになった時からするとすでに39年の月日が経っている。
「だから俺たちは主流派じゃないんだって」
「そういえば今、ゲルハルト・リヒター展をやってるじゃあないか?そうそう『生誕90年、画業60年。待望の個展』これだ。白馬に引っ込んじまう前に観にいっとこうぜ」とつれあいを誘い、私は竹橋の国立近代美術館に足を運んでいた。ゲルハルト・リヒター、1932年ドイツはドレスデンに生まれ、まだ壁がなかったベルリンの東から電車に乗って1961年に西に亡命し、それ以後の現代アートに大きな足跡を残し続け、驚くことに今日においても精力的に創作している偉大な芸術家だ。だから「どっさり作品が集められた大回顧展なんだろう、観終わるころにはへとへとになっちまうんじゃなかろうか」と密かに期待していたんだけれども、考えてみれば国立近代美術館自体がそれほど大きな施設ということもなく、この後に「再会の宴」が控える(初老にさしかかった)私にはほどよく落ち着く規模となっていた。とはいえ具象と抽象を行き来した「画業60年」であるから、あらゆる年代の作品が網羅された素晴らしい展示ではあった。私は、私たちが友だちになった39年前、1983年の作品はないか探してみた。1枚だけあった。写真を忠実になぞりながらもそこに不穏な「ぼけ」を描きこんで「客観性」に疑義を呈していた時代の作品で、タイトルは「頭蓋骨」。あまりのシンクロニシティに漏れ出る笑みを禁じ得ない…。1983年、そう私たちはパンクだったのだ。
始まりは「スターリン」だった
閉館する美術館から追い出され、代々木の居酒屋に約束の時間からして20分ほど早く着いた。一番乗りかと思いきや、先月すでに再会を果たした友人がすでにいる。2人でビールを飲んでいるうちに残りの2人もおいおい店の戸口に現れる。席を探す友人に「よお」と手をあげる。すでにグループLINEでやりとりはしていたから34年ぶりといっても挨拶はそれで十分、つまみを注文するのも忘れて私たちは話し始める。まずは1983年4月、私たちが文学部に入学した39年前の春の話だ。「ドイツ語Q組(そうだった、私はQ組だった)で、イギリス人の先生に英語の時間を早く切り上げてもらって、付属から上がってきたやつが仕切って1人ずつ自己紹介しただろ?そん時に君が『パンクロックが好きだ。新宿ロフトにスターリンを観に行って遠藤ミチロウに消火器をぶちまけられたこともある。興味があるなら一緒に行こう』みたいなことを言ったじゃないか」そうだった、思い出すことはなかったが、確かに私はそう自己紹介した。授業が終わってすぐに3人が「次の機会にぜひ誘ってくれ」と私に声をかけてくれて、こうして4人は友だちになった。今は映画監督を生業にしている友人が、「だから俺たちは主流派じゃないんだって」と言って笑わせる。「だってみんながユーミンとサザンばっかり聴いてる時に、俺たちは一切そっちに興味は持たず、スターリンとかP.I.LとかP-MODELとか、そんなのばっかり聴いてたんだぞ?そして今でもそんなバンドの話ばっかりしてるんだぞ?でも30人程度のクラスでそんなのが4人もいたなんて凄いことだ。」
*念のため、「スターリン」とは当時もっとも先鋭的だった日本のパンクバンドで遠藤ミチロウ(2019年逝去)がボーカル。
「桐島、部活やめるってよ」
31年前に、「解凍」と銘打たれて日比谷野外音楽堂で開催されたP-MODELの再結成ライブがあった。どうやら4人ともそこに身を置いていたらしい。それこそが趣味趣向ということであるから、顔を合わせることはなかったにしてもやはり近いところをウロウロしていたことが判明し感慨を新たにする。「そういえばつい先日、君が監督した『パーマネント野ばら』という映画を観たんだよ。君の劇場公開された作品8本のうちそれだけ観ていなかったんでね。素晴らしかった。最後のたった二つのセリフで完全に持っていかれた。それで余韻にひたっているとね、つれあいが『いやあ、小池百合子が良かったぁ』って言うんだよ。『それを言うなら小池栄子だろ!よりによって百合子はないだろ、百合子は!とぼけるのもたいがいにしやがれ!』って、そりゃあもう大笑いさ」などとも語り合う。4人のうちの1人は、2012年に「桐島、部活やめるってよ」で日本アカデミー賞を受賞した映画監督だ。学生時代も映画制作サークルに所属していた彼の作品を観るたびに、ドイツ語Q組のこの4人の友だちのことが思い出されていたから、実のところ34年のブランクがあった気はしていない。ただただこうして「旧交を温める」ことができたことが嬉しい。長い年月を経てようやくのこと「解凍」に至ったのだ。
HEY HO LET’S GO !
翻って今日に目を向けてみると、たとえば一昨年2020年に大学に入学した子たちなんか、新型コロナで大学の授業がすべてオンラインになってしまったから、「新生活」で友だちができるかどうかドキドキしながら自己紹介するチャンスすら持てなかった。仮に39年前にパンデミックがあったとしたら、私たちが友だちになることもなかったかもしれない。そもそも一人でいる方が気安くていいという方々だっていらっしゃるから一概にはいえないけれども、今となって思うに私たちはラッキーだった。そしてここで肝に銘じよう、反主流派にとって欠かせないのは何よりも結束なのである。
コンピュータープログラマーの友人のTシャツには、ニューヨークパンクの狼煙を上げたラモーンズ「BLITZKRIEG BOP」の言わずと知れた一節が鮮やかな赤字で記されていた。ああ、もうすぐ隠居の身。そうさ「HEY HO LET’S GO !」だ。