隠居たるもの、ひとりぼっちを噛みしめる。世間ではソロキャンプなるものが静かに流行っていると聞く。徒然なるまま「吉田類の酒場放浪記」でも見ようかと軽い気持ちでチャンネルを合わせたBS-TBS、曜日が違っていて流れているのは「ヒロシのぼっちキャンプ」、そんなことがたまにある。かつてホストに扮して「ヒロシです」と自己紹介しつつ、右往左往するばかりの日常を自虐的に披露したあのヒロシが、ただ一人で自然に囲まれ一泊のキャンプをする、それだけの番組だ。なのにそのままつい見てしまう。ひたひたとしたソロキャンプブームの象徴ともいうべき番組らしい。誰にもわずらわされず、必要最低限の自身の世話だけしてボーッとする、それがいいのだという。今、私も「ソロ散種荘」の真っ最中だ。
訃報が届いたのは散種荘に到着したその夜だった
子供たちが夏休みを迎えた2022年7月21日、それに合わせて私たち夫婦も白馬入りした。なんてったって夏休みである。子供たちと違ってとっくの昔に大人になった私たちには、その解放感を「飲酒」という行動で表現することが許されている。(この期に及んでそれ以外の術を持ち合わせていないのもそれはそれで情けないのだが…)若い杜氏が作った信州の純米吟醸酒 透の音 をここぞとばかりに引っ張り出し、夫婦で浮かれて飲んでいた。しかしながら世の中ってえのはままならない。そろそろ切り上げようかという時分に、つれあいとはつきあいの長い、お互い信頼し合ってきたクライアントの訃報が入る。「このところ顔を見ない、体調を崩しているのかな、ちょっと心配なんだ」とつれあいかがつぶやいていたのはほんの数日前のことだった。小さい子供もいるのに、まだ40代半ばだというのに、やりきれなくてその晩は未明まで痛飲した。つれあいは当たり前のこと彼女のお弔いに出向くこととなり、25日11時05分、白馬八方バスターミナルから長野駅行きのバスに乗った。
散種荘 ひとりぼっち
そもそもつれあいは仕事のため月末にいったん東京に戻る予定でいたから、そいつがほんのちょっとズレたに過ぎないのだが、兎にも角にも、私の「ソロ散種荘」は始まった。25日の全歩行距離が12.2km、26日は8.8km、なんだか歩いてばっかりだ。飲食店が近隣にいくつもあるわけでないから外食に頼れない。するとなると賞味期限が短いできあいのもので一日3度の食事をなんとかしようとするものだから、自ずと買い物の頻度が上がる。どうせ遠い店まで歩くんならと、欲張ってあちこち冷やかしたがる性分がそれに輪をかける。買い物というよりウォーキングである。なにぶん田舎なもんで、みなさん移動はもっぱら自動車、人が歩いていることなんか滅多にない。微笑みかけてくれるのは岸田文雄自民党総裁と志位和夫日本共産党書記局長くらいなものだ。
「お嬢ちゃんは和歌山に行けたの?」
白馬の酵母パン koubo-nikkiに朝食用のパンを買い求めに立ち寄った際、 「お嬢ちゃんは和歌山に行けたの?」と店主に確かめてみた。内心「ダメだったろうなぁ…」と思いきや、「それが今朝、出発したんです!」と喜ばしい返答を得る。280円のパンをはさんで小学生の女児を育てるお母さんとなぜか涙ぐんで感激を分かち合った。
白馬村は紀伊半島の南の海辺「くじらが訪れる町」和歌山県太地町と姉妹提携をしているんだそうだ。夏休みに山育ちの白馬の小学生たちが太地町に遊びに行き、冬休みに海育ちの小学生たちが見渡すかぎり雪の白馬にやって来る、そして双方がそれぞれをもてなす。いい話だ。しかし新型コロナ禍、この2年それがかなわない。今年こそはという時にこの第7波、「白馬の人は農業も含めて自営業の人がほとんどでしょう。繁忙期の夏休みに子供をどこかに連れて行ったりできないから、ほんとにありがたいんですよ。私も子供のころに行っているし。でもどうなるかなあ…」店主が数日前にそうぼやいていた。白馬村と太地町、双方の大人たちが、なんとか子供たちを行かしてやれないか、なんとか迎えてやれないか、安易に中止にすることなくギリギリまでケンケンガクガクがんばったらしい。幸い白馬村も太地町も感染状況は抑えられているのだし、移動途中の食事休憩所を貸切にするなど、白馬村からバスに乗った子が太地町に着くまでいっさい外部と接触しないで済むよう、細心の手筈を整えて送り出すことにしたのだそうだ。海を知らない子供たちにはかけがえのない体験である、さぞや歓喜に沸いているだろう。仕事をしているふりばかりが上手で実のところ何もしない拝金主義者ばかりがのさばる辟易とした昨今、なんとも痛快、本当にいい話だ。
平日だというのに棚板を日曜大工する
「ソロ散種荘」中の私にはひとつ重大な宿題があった。夏休みの課題図書を何冊か持ち込んでみると、本を並べる場所がどうにも足らない。つれあいに「小さな本棚に収まらないものたちを、とりあえず階段に便宜上ディスプレイしているわけだけれども、そのスペースを拡張する棚板を製作しようと思うんだ」と告げると、彼女は「やれやれ」という顔をして「おそらくこれからも増え続けるんだろうし、最初からちゃんとした本棚をどこかにもうひとつ作れば?」と言う。私は「明確に将来を展望しないままそんな大仰なことをしてはいけない!君が東京に戻っている間にこれぞというものをチャチャっとこしらえておこうじゃないか!」と大見得を切ってしまっていた。
2cm厚のパイン集成板と1.5cm厚の桐集成板をそれぞれ1枚、他にニスと木工ボンドと目の細かいサンドペーパーをコメリで買い求める。しめて1,500円たらず。それぞれの板を寸法通りにノコギリで裁断する。ペーパーをかけて表面を滑らかにしニスを塗る。乾いたら裏っ返しにしてまたニスを塗る。一日目はここで終了。明けて二日目、2枚の板にあらためて軽くペーパーをかけニスのざらつきをならす。接続部に正確なネジ穴を開けるため、棚板にするパイン材と足にする桐材を木工用ボンドで直角に固める。そこそこ固まったらパイン材から直角にドリルでネジ穴を開ける。この工程に伴う衝撃で2枚の板は離れ離れになるからもう一度あらためてボンドを塗リ直す。再び合わせてすかさずそこにネジを打ち込む。あとはボンドが乾いてカッチリ固まるのを待つばかり。「階段から横に渡る本の棚板」の完成だ。ふふ、なかなか素敵な出来栄えじゃないか。私が下町の職人の息子であることを忘れてはいけない。
今日は7月28日、夏休みの課題図書の一冊、ジル・クレマン著「動いている庭」を読み終える。そろそろ「ソロ散種荘」も終わる。自分の面倒を見るというだけでもなかなかに大変なことを知る。夏休みの非日常てえやつはつくづく人間を成長させる。ああ、もうすぐ隠居の身。さて、つれあいを出迎えに山を下りていこう。