隠居たるもの、最先端の恩恵にあずかる。朝から綺麗に晴れた2022年7月29日金曜日、私たち夫婦は山を下りて駅に向かっていた。つい数日前まで「この週末は雨がち」とされていたにも関わらず、前日になって天気予報が一転、「夏らしく暑い晴天」へと臆面もなく打って変わる。となると白馬午前11時42分着あずさ5号にはさぞや登山客がたくさん乗り込んでいることだろう。その中に、34年ぶりに再会するなりたたみかけるようにして遊んでいる「ドイツ語Q組」の友だちふたりが並んで座っている。登山客のみなさんは感謝した方がいい。ふたりのどちらかが「晴れ男」に違いない。彼らはFUJI ROCK ’22 に合わせて白馬にやって来た。

再結成っぽい😃

白馬とはいえ30℃を越える暑さだったため、散種荘に荷を下ろすなり裏の平川に案内する。そこでアロハを着た友だちが、川の水に足をひたしながら白状した。「俺、晴れ男なんだ。前に台湾に行った時なんか、天気予報でさんざん警告されていた台風が直前でそれたんだよね。」山と川と入道雲、せっかくそろった夏休み3点セットを背に撮影した初老にさしかかった男たちの集合写真、都合が合わず今回はこちらに来れなかったもうひとりの友だちに向けて、LINEグループに写真を送りつける。しばらくして彼から返信があった。「再結成っぽい😃」と記されていた。確かに「若いころにふとした弾みで解散してしまったメンバーたちが、酸いも甘いも経験した果てにいい歳してバンドを再出発させた」、恥じらい混じりの慎ましい歓喜を自然体で表現したレコードジャケット、そんな写真ではある。シャッターを切った当のつれあいが、我が意を得たりとばかり「さっすが映画監督!まさしく!」とゲラゲラ笑う。それにしてもテクノロジーってえのはこの34年の間に進んだもので、驚くことにこの場にはいない友だちを含めてスマホを通してみんなでコミニュケーションできる。

「国葬」にふさわしいのは

LANケーブルでインターネットにつながるAppleTVがYouTubeを受信し、AppleTVから配線されたAVアンプが音をステレオセットに、映像をプロジェクターに配分する。繰り返しになるけれどもテクノロジーってえのはこの34年の間にずいぶんと進んだもので、夕方からこうしてFUJI ROCK ’22YouTube生配信を、ウッドデッキに出て炭火焼きをつつきながら観ている。隣近所まではずいぶんと距離があるから、音に関する苦情を心配する必要もない。炙っているのはもちろん白馬ポークだ。

「これで2年続けて現地に身を置いていないわけだけども、これまでにお釣りがくるくらいに楽しんできたことだし、散種荘でのFUJI ROCK、これはこれでたっぷり充分と心地いいし、年の功ってえやつで今後はこれでいいかな」などと考えていると、どうした経緯でエリック・クラプトンの話になったのかは思い出せないのだが、友だちが「クラプトンってもう死んでるんだろ?」などと乱暴な事を口にする。残りのふたりが「生きてるよ!」と即座にツッコミを入れ、さらに私が「好きか嫌いかは別にして、クラプトンのような歴史に残る稀代のロックギタリストの死に際しては『国葬』こそがふさわしい」と持論を展開する。「確かにその通りだ。どこぞの誰かに対するのとは違って、クラプトンの『国葬』に異論をさしはさむ者はまずいないはずだ」と笑い合う声が静かに森の中に吸い込まれていく。そしてBONOBOを観て、私たちは一日目を終えた。

若いミュージシャンがジャズマスターを肩から下げているのは

白馬まで呼びつけておきながら家でFUJI ROCKばっかり観るというのもいくらなんでも不躾けだから、30日の昼前にゴンドラに乗って八方尾根に登ってみた。標高も1680mくらいまで上がるとすっかり涼しい。牛たちも心持ちがよさそうだ。リフトで1860mまで運んでもらうと半袖ではどこか心許ない。下界に目をやると、そこかしこでパラグライダーが漂っている。「これまた気持ちよさそうだねえ」と思うのも束の間、標高が下がるに従って体感する気温は着実に上がる。ゴンドラを降りたあたりは31℃を越えているという。どうにも詮方ない…。お昼に一成でそろってカツ鍋膳を食べて、ちんたら散種荘に帰るころにはすっかり汗びっしょりになっていた。

「このJ・マスキスなんかがさ、昔からジャズマスターを使っていてさ、それに憧れた子が真似し始めて、それが連綿とつながって今日に至っているんだよ」ジャズマスターというのはエレキギターの機種名である。かつて誰も見向きもしなかったこのモデル、いつの間にやら若いギタリストたちが好んで肩から下げるようになったことを不思議がるギター弾きの友だちと、ダイナソーJr.というバンドを観ながらその所以を語り合っていた。今も変わらず弾きたいよう気ままに弾くJ・マスキス、なんだか枯れて、以前よりずっとカッコいい。私たちが大学生の時にレコードデビューした彼は、私よりひとつだけ年下、なんだか嬉しくなる。このすぐ後ジャック・ホワイト圧巻のロッケンロールショーもすごかった。やっぱりFUJI ROCKはFUJI ROCK、二日目、いいものを観た。

町田町蔵と戸川純の話

三日目は朝に少し散歩をし、ずっとレコードを聴いていた。それも私たちが学生の時に聴いていたものばかりを立て続けに。「これは君からレコードを借りて、カセットテープに吹き込んで、それをウォークマンで聴いていた。だからカセットを再生する装置を持たなくなってからはずっと聴いていなかった。」ここにいない友だちもLINEグループで加わる。1981年に発表されたINUのデビューアルバム「メシ食うな!」のタイトルは、矢野顕子「ごはんができたよ」に対するアンチだった、町田町蔵(芥川賞作家 今の町田康のこと)がそれを矢野顕子や松任谷由美に意地悪されていた戸川純に打ち明けた、その顛末が彼女のエッセー集「ピーポー&メー」に素敵な文章で記されている、などなどなどなど…。そうこうして、ふたりはあずさ46号に乗って東京に帰っていった。私たち夫婦は買い物をしてから散種荘に戻り、麻婆ナスを食べながらスコットランドの至宝 MOGWAIのステージを観た。兎にも角にも、こうして今年のFUJI ROCKは終わった。

世の中というのは34年もするとまったくもって進むもので、昨夕にアマゾンに注文した戸川純著「ピーポー&メー」が今日8月1日の午後に届いた。友だちたちも東京に帰って発注しようとしたかもしれないが、だとしたら申し訳ない、散種荘に届いたこれが在庫最後の一冊だったようだ。取寄せになって少し待つことになるだろう。ああ、もうすぐ隠居の身。そろって読み終えるころにまた会おう。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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