隠居たるもの、庭仕事は瞑想である。by ヘルマン・ヘッセである。ここにはテレビがないから、みなさんが暮らす各地の夏がどんな塩梅になっているのかは窺い知れないのだけれども、インターネットで確認した天気予報によると、今日2022年7月24日の白馬の最高気温は29℃ということになっている。朝晩は必ずや20℃を割るから薄手のコットンカーディガンは手放せないし、とりわけ涼しかった昨夜はすっぽり毛布にくるまって寝たのだとはいえ、昼間にかぎってみると確かに夏はやってきていると体感する。となるとここは標高が高いだけあって、陽光が容赦なく文字通り刺すように降りそそぐ。ここで過ごす2度目の夏、私たちはみすみす手をこまねいていたわけではない。「タープ」という未知なる秘密兵器の準備を周到に進めていたのだ。

だったら日陰を作ればいいのだ

庭もせっかく庭らしくなってきたことだし、夏にだって風を受けながらそこで過ごす時間をゆっくり楽しみたい。しかし初老にさしかかった我が身の危険を冷静に顧みるとき、「容赦のない陽光」に考えもなく己を晒すのは「蛮勇」以外のなにものでもない。そこで思い至る、だったら日陰を作ればいいのだ。サンシェードというやつを、うちの外回廊の柱やこっそり隣地の木々にロープで張ったらどうかと考えた。さっそくインターネットでググってみる。商業施設用からブルーシート然としたものまで、まったくもってピンからキリ、何を基準に選べばいいのやら私には皆目見当がつかない。餅は餅屋だ、こういう時は少しでもその道に明るい人に頼るに限る。深川で同じ集合住宅に暮らすプロダクトデザイナーを職業とする若い友人に助けを求めた。彼はあっという間に調べ上げてくれた。どうやらそこそこ広いスペースを常時日陰にしようとするなら、強度・耐久力・汚れ対策、商業施設用を選ぶ以外に方法はなさそうだという。そうとなると設備を含めべらぼうに高い。「この際、タープでもいいんじゃないですか?ええ、キャンプに使う日除けのタープです。」

テントは ogawa

彼は小さな女の子ふたりを育てる父親で、ときにその子たちをキャンプに連れて行くこともある。「これなんかどうです?」とふたつのメーカーを紹介してくれた。それをもとに「ここいらへんを日陰にどうか」と庭の一画を採寸した後、サイズがぴったりの ogawa というメーカーのタープに決めた。キャンプなどしたこともない私たち門外漢はまるっきりあずかり知らなかったのだけれど、選んだのは「テントは ogawa」堅牢を旨とする日本で最も信頼されている老舗テントメーカーなのだそうだ。さて、ここにもうひとつ問題が出来(しゅったい)する。果たして私たちは滞りなくそれを張ることができるのか?これもソロキャンプを趣味とする友人が夏の走りに散種荘を訪れることをいいことに、「どちらにしろ上手くできっこねえだろうし、彼女にやってもらえばいいさ」とあくまで他力本願でのんきに構えていた。しかし彼女は散種荘に来ないことになった。東京で新規感染者が連日3万人を越える新型コロナ「第7波」の渦中、断腸の思いで妥当な判断を下したのだ。タープは門外漢にして素人の私たちだけで張ることになった。

ペグと張り綱

張り上がった姿の写真やら同包されていた簡単な説明書を目にしてどんな風にすればいいかざっくりは理解するものの、それは「基本的共通認識」ということなんだろうか、素通りされている肝心の細部がわからない。例えば「ポールに対してこの角度とこの距離の位置にペグを地面に打ち込め」と言われても、こちとらペグの頭をハンマーで叩いたことなんかなく(他人がやるのを見たこともない)、どっちの向きで地面に刺すべきかすらわかっていない。「張り綱をループ結びにしてポールにひっかけろ」と言われても、そもそも「ループ結び」というものがにわかに頭に浮かばない。インターネットで「タープの張り方」を検索し、見様見真似で悪戦苦闘、上手くいったかと思いきや他愛もなく2度バラバラになり、その都度ようやく考えてみれば当たり前なその「基本的共通認識」を「ああ、そうだったのか…」と思い知り、「容赦のない陽光」の下、午前中いっぱい汗びっしょりになってようやく3度目にしてしっかり張った。「習うより慣れろ」とはこのこと。おかげで「安定的にタープを張る」原理をこの期に及んですっかりマスターした、僭越ながらそう言っても差し支えないと私は思っている。

テントは ogawa:https://www.campal.co.jp

夏休みの課題図書

湿気は少ないし山から吹く風は涼やかだから、日陰さえできれば「容赦のない陽光」が降りそそぐ日中だろうが庭に佇むことができる。この夏に読了しようと考えている本が数冊あるのだが、そのうちの2冊は庭に関するもので、できたらタープの下でビールなぞ飲みながら読み進めたい。まずフランスの庭師で修景家で小説家のジル・クレマン著「動いている庭」、人間はこれまで庭を自身が好むように作り込みすぎてきたと彼はいう。「植物はつくりこまれた庭から逃げて、ただ花を咲かせるのに適した地面だけを待ち望んでいる。あとは風が、動物が、機械が、種子をできる限り遠くへと運んでいく」人と自然の関係を問いかける「動いている庭」の手入れは的確でないといけないし、そこにはいわば「哲学」らしきものが必要だ。

紅葉を植えた以外は主に芝生の種を蒔いただけの我が庭、1年経って自然な草むらに成長しつつある。どこからか種がやってきて、予期せぬ花がそこかしこで咲いている。萩、桔梗、山百合、カワラハハコグサなど、端っこにはいくつかつれあいが植えた株もある。まだ芝生も根づいていなかった昨夏とはうってかわって、今年うちの庭は成長途上のキリギリスたちの楽園と化している。秋口が華やぐに違いない。そして季節がまた一巡したら果たしてどうなっているのだろうか、これまた楽しからずや、なのである。

もう一冊は、泣く子も黙る大御所、ヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」。ここでつれあいが口をさしはさむ、「そこまで言うのなら、もう少し庭仕事に精を出してみたらどうだ」と。それもそうなのだが、ヒグラシも鳴き始めたことだし、とりあえず今日のところは風呂につかってビールを飲むことにしよう。なにしろ大御所の言は後日にあらためて確かめよう。ああ、もうすぐ隠居の身。庭仕事は瞑想なのである。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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