隠居たるもの、忘れえぬ人を想起する。6月上旬までほぼひと月半に及んでアルバイトをしていた私は、通勤時にほぼ毎日のこと箱崎を通り過ぎていた。PCにかじりつく座りっぱなしの仕事から身体を「解放」するべく、水天宮前駅までひと駅余分に歩いていたからだ。清洲橋を伝って隅田川を渡り、あらゆる方面から集まり散じていく首都高速ジャンクションを見上げ、羽田・成田の各空港に直結するリムジンバス発着所 東京シティエアターミナル「T-CAT」の中を突っ切り、地下にもぐって東京メトロ半蔵門線 水天宮駅に至る。このあたりをうろついていると、名前すら聞かなかったあの人のことが必ずや想い起こされる。彼は箱崎に住んでいた。そしてその理由を「いつだってすぐに高飛びできるようにさ」と語っていた。

九代目松本幸四郎が日本橋再開発のCMキャラクターだったころ

まだ九代目松本幸四郎(今の松本白鸚)が三井不動産の日本橋再開発CMキャラクターだったから、21世紀になったばかりのことだったと思う。三井本館の隣、上階にマンダリン オリエンタル東京を擁して38階の威容を誇る日本橋三井タワーがまだ建設中で、日に日にみるみると高くなっていたころの話だ。勤め先の日本橋の路地裏に、店内に4人ほどのカウンターと外に申し訳程度のテーブル、「Doors」という本当に小さいバーがあった。仕事が早く切り上がったからビールでも飲もうと初めて立ち寄り、「入れる?」と聞いたのは確か午後4時くらいのことだったと記憶する。それ以後、たびたび仕事をさぼって顔を出すようになった。「この前、松本幸四郎が店の前にたたずんでコマーシャル撮ってたんだよ」と話すマスターは小柄な人で、今になって思い起こすと私からしてひとまわりくらい年上だったろうか。私たちはどういうわけか最初からウマが合った。彼は私を名前で呼ぶようになったが、こちらからは「マスター」で事足りてしまうから、最後まで名前を聞くことはなかった。我が庵から隅田川を渡った隣町、箱崎で暮らしているという。「夜に仕事を終えて歩いて帰れるものね」とうなずく私に、「違うよ。いつだってすぐに高飛びできるようにさ。今は流れ流れてこの店だけどな」彼はそう答えてニヤッと笑った。ここでいう「高飛び」とは、もちろん「悪い人などが遠くの土地へ逃げること」を指す。

「人生最後の大勝負に出ることにした」

日本橋三井タワーができあがったのが2005年、それから2年くらい経ったころだったろうか、「金を出してくれるっていう奇特な人がいるからさ、人生最後の大勝負に出ることにした」と言う。ずっと水商売にたずさわってきた彼には当然に紆余曲折がある。以前に六本木で大きなバーを経営していたこともあったと聞いていた。どこでやるのか尋ねると、「今の俺のテリトリーは日本橋だ」という。中央通りから一本入った道に場所を移し、名前も変えて新しくできあがったその店は、赤い照明が基調で以前より何倍も大きくて、プロジェクターが常に何かを白い壁面に映写していて、マッキントッシュの真空管アンプが青く光っていい音を出し、とにかくおしゃれで素敵な店だった。「2,000万円使わせてもらいました」と彼はまたしてもニヤッと笑った。日本橋で飲むときは2軒目にほぼ間違いなく立ち寄ったし、私はより足繁く通うようになった。そのころにマスターからシングルモルトを教えてもらい、今に続く酒の嗜好がほぼほぼ出来あがる。

「なんかあっけなくて、でもそれもなんだかあの人らしくて」

いい店は当たり前に繁盛する。マスターを慕う若い従業員も増えてくる。以前ほど彼と話す機会を持てなくなったが、少し冗談を言い合って笑えれば十分だった。なぜか通じ合っているような気が私にはしていた。ときおり「でもやっぱりこれが一番いいんだよなあ」とつぶやいて矢沢永吉のライブ映像をプロジェクターにかけ、茶目っ気たっぷりニヤッと笑う様子が忘れられない。そんな数年を過ごしつつ、あれが東日本大震災の前だったのか後だったのか、今となっては正確に思い出せないのだが、いつものように店に立ち寄ると彼がいない。その次もまたいない。当時の彼は今の私と同じくらいの年恰好だったろうか。マスターはどうしたのかと若い従業員に聞いてみた。

「従業員みんなで隅田川で花見をしたんです。ええ、仕事の後だから箱崎あたりの夜桜で。みんな近くに住んでますから歩いていってね。マスターがなんだか調子に乗って笑いながらフラフラ川に近づいていって、僕たちはみんなで『もうふざけないでくださいよ』なんて笑い返して、そしたらマスターは川にはまってそのまま溺れてあっという間に死んでしまったんです。もちろんびっくりしたし、悲しいんですけど…。なんかあっけなくて、でもそれもなんだかあの人らしくて…」

「あんな『高飛び』ってありますか?」

マスターが私に語った「箱崎に部屋を持つ理由」について若い彼と話した。「ふふ、らしいな…。それにしてもあんな『高飛び』ってありますか?まったく…。高速も使わなければ、空港にも向かってない…」生活感を伴わないカウンター越しの間柄だったから、マスターの家族事情がどうなっていたのか私はまったく知らない。店はというと若者たちが働いているうちはまだ良かったのだが、慕うべきマスターがいなくなって一人また一人と抜けていく。そのうちオーナーが直接に切り盛りするようになったのか趣きがまるっきり変わり、いつの間にか民放テレビ番組がそのまま流されるような店になった。私の足もすっかり遠のいた。

今日2022年7月20日、逃げ場のない東京の夏が本格的にやってきた。といっても気候変動に由来するヨーロッパの熱波はそれどころでなく、ロンドンはじめ北方の各地が40℃を越え、スペインやフランスで山火事が頻発している。おまけに戦争まで起きているのだ。この10年で「文明の危機」の様相すら呈するに至っている。「マスター、高飛びしようにもさ、実のところ逃げ場なんてそうそう残されていないのかもしれないよ」箱崎を通り過ぎるたびに想い起こす名前も知らない彼に向かって、そんなことを言ってみたりもする。私が「逃げる」ということを意識し始めたのは、実のところ彼の言葉がきっかけだったのかもしれない。先日の参議院議員との同日選挙、白馬村民は76%の投票率をもってして村の舵取りを47歳の働きざかりに託した。私も2度宿泊したことのある白馬を代表する老舗民宿の若旦那、地元を熟知しつつも多様性を重んじる若きリーダーが新村長となったのだ。のんびりと活気あふれる白馬に、統一教会が跋扈する余地はあるまい。ああ、もうすぐ隠居の身。明日、私は白馬に高飛びする。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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