隠居たるもの、おどけたダンスでお出迎え。メロン坊や御一行が昼過ぎに散種荘に到着したとき、ニューオーダーの1983年作セカンドアルバム「Power,Corruption & Lies(そのまま訳せば「権力、腐敗、嘘」なのに、なぜか邦題は「権力の美学」)」がターンテーブルに載っていた。「やあやあ」と出迎え、手洗いしたり荷を解いたりして、落ち着いたころにそのままレコードを回す。1曲目「Age of Consent 」に合わせてにじり寄るように踊って近づくと、メロン坊やはけたたましく笑って喜んだ。「明日の誕生日でいくつになるんだっけ?」と問いかけると、人差し指・中指・薬指の3本を立てて、そして小指と親指の先どうしをなんとかくっつけた右手をグッと差し出す。小指はまだうまくたためない。「明日、僕の誕生日パーピーだよ」私たちにキッパリにっこりと言い渡す。まだ「ティー」の発音も難しい。
メロン坊やがリビングとウッドデッキを行き来する
今年3歳の「誕生日パーピー」は、当初からにぎにぎしく白馬で開催する計画を立てていたのかというと実はそんなこともない。8月上旬に予定していた御一行の訪問が、2022年この夏の新型コロナ第7波のあおりをくらって中止を余儀なくされた。しかし普段から忙しい姪夫婦、ゆっくり過ごせる白馬の休日を諦めきれない。可能な日程を探してひと月ずらした結果、それがメロン坊やの誕生日と重なった、とまあこういうわけだ。私たち夫婦からして異論があるはずもない。着くなりポーッとしている若夫婦に昼寝を勧め、弱い雨が降ったりやんだりする天気を気にかけながら、水が張ったウッドデッキを縦横に走りたがる姪孫と遊ぶ。カナディアン・バックブリーカー、ツームストーン・パイルドライバー、ボディ・シザーズ、etc…、室内に戻ってきた彼をプロレス技で上下左右にくるくる回すのは私の役目だ。姪夫婦の昼寝が終わる時分を見計らって風呂をため始め、いくらか雨にうたれた幼児をすぐに温める準備も怠りがない。
どんぐりころころ どんぶりこ
「見てるからゴンドラ乗り場ライブカメラに向かって手を振りなさいね」誕生日当日、どうにか朝から晴れたので、親子3人はゴンドラとリフトを使って八方尾根を上がってみようと出かけていった。シャークのTシャツを着たメロン坊やは、律儀にもどこに向かってか手を振っている。私たち夫婦は気持ちよくそれぞれの家事に取りかかる。さて、ここからが盛りだくさん、怒涛の1日の始まりである。
昼前に帰ってくると、若い夫婦は「少し横になって休みたい」という。つれあいが雪に降りこめられた冬に自作した「知育玩具」を持ち出す。「くまさん、ピンポーン」、ついさっき荷物を置いていった宅配便を真似て一所懸命に遊ぶ姪孫につれあいは相好を崩す。若夫婦が起き出してきてから、このところすっかり馴染みとなったピザ屋SANFERMOに歩いて向かう。メロン坊やは「どんぐりころころ どんぶりこ」と歌いながらどんぐり探しに余念がない。「おいけでしょ?」と父親が囁くが、どうやっても「おまけにはまってさあたいへん」と続いてしまうのがなんとも屈託がない。
SANFERMOで知らないオーストラリアのお兄さんスタッフたちに「Happy Birthday To You〜」と歌いかけられてビックリおののいたあと、平川の河原で冷たい水をパシャパシャさせてひとしきり遊ぶ。帰宅後、電話で確認し頼んであった近所のホテルの「日帰り温泉」(宿泊客に迷惑にならないときは入れてくれる)にタオルをぶら下げ歩いて出向く。壁越しに「お母さん、どこにいるの〜」とわかっているくせに叫び、「こっちでお風呂に入っているよ〜」と返答を得て嬉しそうにニンマリ笑う。男湯は私たち3人だけ、大叔父とお父さんとメロン坊や、この組み合わせでひとっ風呂浴びるのはこれが初めてだ。庭で涼んでビールを飲みながら、蚊除けのため焚き火をたく。「くべてみて」と小枝を持参するメロン坊やのもうひとつの手には、どんぐりがまたいくつか握られている。さあ「誕生日パーピー」がもうすぐ始まる。
メロン坊やは即座にキングジョーを選ぶ
キングジョーが2話にわたって神戸港を襲う「ウルトラ警備隊西へ」、このウルトラセブン屈指の名作をご存じだろうか。先日の一時帰京の際、Wi-Fiルーターを新調すべく大慌てで有楽町ビックカメラに足を運んだことがあった。目的物は5階で、急いでいたにも関わらず、私は途中3階でエスカレーターを降りてしまう。キングジョーが目に入ったからだ。「誕生日プレゼントはどうする?」とせっついていたのに、「対象年齢3歳以上と書いてあった」とウルトラセブンらと合わせて買って帰ってきた私を、つれあいは溜息まじりに笑った。ところがどうだ、姪孫はやっぱりキングジョーに即座に反応した。両親からもらった横須賀線と駅のセットのプラレールに、乗客となるよう並ばせろと、駅の構内放送を真似てリクエストする。普段は駅を破壊する彼らが、反対側に礼儀正しく、尻尾の長いエレキングを最後尾に並ぶ様子がなんとも愛らしい。
これが終わったら、これになりたいの
「誕生日だから、胴締めたの?」メロン坊やが私にそう質す。私にかけられたプロレス技の中でも、彼はボディ・シザーズ、つまり胴締めがお気に入りだ。小さい胴体を私の両脚に挟まれ「胴締めだぁ〜」と低い声で囁かれるたびキャッキャと喜び、離れてはまた挟まれにやってくる。この子はとても「耳」がいい。技を指した「胴締め」という名詞ではなく、「胴を絞める」という意味の「胴絞める」という動詞として理解したのだろう。過去疑問形にした上で私に問いかけたわけだ。「違うさ。3歳になれば大丈夫だからかけてみたのだが、これからはいつだって胴締めてやろう」と答えると、メロン坊やは人差し指・中指・薬指の3本を立てて小指と親指の先どうしをなんとかくっつけた右手をグッと差し出し、「僕はこれが終わったらね」、そして親指だけを折って離した小指を含めた残りの4本はキッパリ広げて、「これになりたいの」とこっそり次なる目標を教えてくれた。
Age of Consent
彼らの滞在中、同じレコードは一枚もかけなかったことと思う。帰りの荷造りをしているとき、なんとなく湿っぽくならないようにと、またニューオーダー「Power,Corruption & Lies」を引っ張り出した。1曲目「Age of Consent 」が陽気にかかるやいなや、メロン坊やが「またこれやるのぉ!」とはしゃぎ出す。耳に残して憶えていたのだ。バスターミナルまで見送り、御一行は窓から手を振って東京に帰っていった。今はつれあいも仕事のため東京に戻っている。私はメロン坊やの置き土産、九つのどんぐりとともに散種荘に残っている。さて「Age of Consent 」でもかけてみようか。ああ、もうすぐ隠居の身。おどけたダンスを密かに反芻しつつ。