隠居たるもの、おっかなびっくり差し足入れる。2023年8月3日午前10時34分、今夏に備えて買い求めたKEENのサンダルで足元を固め、平川を渡って47スキー場に出向こうと、今まさに水面に足をつける。毎度のことだが少しだけ身構える。この川は水温を推し量ることが難しい。「これだけ暑いんだから温んでいるだろう」と無闇に足を差し入れ、その冷たさに飛び上がったことも数知れず。先月にメロン坊やご一行がやって来たときもそうだった。朝から太陽が照りつけ、みるみる上がる気温を実感できる日だった。対岸の「あそび王国47」を目指し、みなで平川を渡ろうとしていた。そして「さあ、行こう!」と川に踏み込んだ途端にみなで身悶えした。想像を超えて冷たかったのである。
KEENのドリフト クリーク エイチツー サンダル
梅雨が明ける前で雨が降った直後だったこともあり、その日は普段からして水かさも増していた。山に降ったばかりの雨水がたっぷり流れてくるから冷たいのか。それだけではない、ひとつ重大な要因がそこに加わると私は睨んでいる。雪解けだ。山の谷間にできた雪渓が、雨にあたり、角度を高くした夏の太陽に照らされ、解け出し暖められる間も無く急な傾斜を流れ落ちてくる。
平川をはさんで対岸に位置する47スキー場が、夏の間「あそび王国47」に様変わりすることを昨年に初めて知った。大きなキッズプールまである。もう少し成長したら、ゴンドラに乗った先のジップラインなど森林アトラクションも楽しいだろう。せっかくこれほど近くにあるのだ、メロン坊やをはじめとする姪孫軍団が遊びに来たおり連れていかない手はない。しかも川をバシャバシャ渡って出かけるのだ。幼な子たちが喜ばないはずがない。となると初老に差しかかった我が身、引率して石がゴロゴロと転がる川を渡る機会も増える。若いころと違って咄嗟な動きができるはずもない。そこを装備で補うべく、KEENのドリフト クリーク エイチツー サンダルを今夏に新調した。つま先をすっぽり覆うカバーがなんとも安心感を醸し出す。
平川は干上がる寸前
熱波から白馬だけが逃れられるわけもなく、日陰に入れば凌げるとはいっても、ともに晴れているならば、東京の最高気温が37℃という日は白馬は32℃くらい、その差にしておおむね5℃から6℃といったところだ(陽が落ちると白馬はグッと涼しくなるので、最低気温はそれ以上に差が開くが)。このところまとまった雨が降っておらず、平川はカラカラに干上がっている。浅い流れに足を差し入れると生温かい。山の上の雪渓もとうに解けてしまったか。それでも標高3,000m付近に残ったいくつかの雪渓は夏でも解けない。それが白馬のシンボルともなっているのだが、もしそれらも消失するほど気候変動が苛烈に進んだら…。歓声を上げて川原を走る小学生たちを微笑ましく眺めつつ、なさそうな話でもなくてゾッとする。では幼な子もそばにいない8月3日、私たち夫婦はなぜに平川を渡り47スキー場に足を運ぼうとしているのか。
つれあいのリハビリ兼ねて、47スキー場の「山下り」
近ごろ密かに「山下り(やまくだり)」が流行り始めていると聞く。山と親しみたいのだが、慣れない人にとって「登り」は息が上がってとても辛い。そもそも辛いことを楽しみたいというわけではない。だからゴンドラやリフトで上がれるところまで上がり、あとはゆっくり森林浴なぞしながら下りてくる。この夏から47スキー場もコースを整え「山下り」を始めた。前段でご案内したように、つれあいは7月26日に新型コロナを発症してからというもの、検査のため白馬診療所に出向いた以外は散種荘で療養に専念してきた。庭に出たり、人が少ない近隣をひとまわりだけ散歩したりはするものの、身体を充分に動かせてはいない。外出を控えるべき期間は過ぎ、まだ本来の味覚と嗅覚は戻らないが、すでに熱は下がり喉や頭も痛くない。そもそも47スキー場はスノーボードで親しんだゲレンデ。リハビリをかねて、その「山下り」とやらをしてみようと計画したのだ。
片道乗車券(大人1人1,600円)を購入するときに、一人にひとつ、熊すずが貸し出される。4ヶ月ぶりにゴンドラに乗り込み、ひと思いに標高1,200mまで上がる。リュックサックからトレイルランシューズを取り出し、サンダルから履き替える。森林アスレチックに列をなす子どもたちを尻目に、3.5kmの山下りコースの端緒に立つ。47は斜度のきつい中級上級コースがメインのスリリングなスキー場だが、初級者を無事に下ろすため長大でなだらかな迂回コースも併せ持つ。それが「山下り」のコースだ。
ここの「初級者コース」に足を踏み入れるのは初めてのことだった。途中、冬に滑り倒した斜面の下に立ち「ほらここで尻餅ついたろ?アイスバーンだったもんで止まれなくて20mくらいなすすべなく滑落したじゃないか」と思い出したり、小粋な休憩スポットがあるから給水のため座ってみると「あ、この石の間から冷たい風が吹いてくる。ははあ、洞窟みたいなもんだな?陽があたらないからここに降り込んだ雪は万年雪となり、その上をそよぐ風がひんやり冷たくここに吹くって寸法だ」と感心したり、見たこともない毒々しく色鮮やかな毛虫たちから飛びずさったり、「山下り」はとても楽しかった。
つれあい、いったん東京に戻る
「山下り」を終え、熊すずを返却し、先月にメロン坊やご一行が「魚のつかみ捕り」に興じるあまり置き忘れた「水中メガネ」を忘れ物センターから回収し、あらためてサンダルに履き替え、また平川を渡って散種荘に戻る。そして一夜明けてみると、カーリングの藤沢五月が衝撃的にキュッと上げてみせたお尻の上の方の筋肉とふくらはぎが痛い。どうしてどうして「山下り」、馬鹿にできない。こうして療養期間は終わり、メロン坊やの「水中メガネ」を携えて、つれあいはいったん東京に戻った。
「地球沸騰化の時代」に
先月28日、アントニオ・グテーレス国連事務総長はニューヨークの国連本部で会見し、「気候変動はここにある。恐ろしいことだ。そして、始まりに過ぎない。地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が来た」と指摘、各国に対し「言い訳をやめて具体的な行動を」とるよう求めた。例えば先の広島サミットで、「石炭とアンモニアを混焼すると石炭火力発電所からのCO2排出量を抑えられる」と「姑息な言い訳」でしかない研究成果を誇らしげにプレゼンし、すべての参加国を呆れさせたのはなにを隠そうホストである日本政府だった。私はまだしばし白馬に残る。もはや「避暑」という言葉は当てはまらない。ああ、もうすぐ隠居の身。世界はこれを指して「疎開」という。