隠居たるもの、野郎ばかりで炭火を囲む。2023年8月5日、私はキックボードで白馬駅に向かって山を下りていた。中学高校の同級生ふたりが、新宿駅を朝8時に出発した中央線特急あずさ5号でこちらに向かっている。到着は午前11時42分、出がけにもたもたと遅れてしまい「お出迎え」に間に合うかどうか少し怪しい。とはいえ微塵も急ぎはしない。45年近くつきあう彼らに気兼ねなど要らぬ。車が多い道を避け、安全第一でブレーキを操作する。首尾よくなんとか到着前に着いてみると、マイクロバスでお客さんを出迎える各ホテルの運転手さんたちで駅正面は混み合っている。新型コロナ禍も明け、夏の行楽シーズン真っ只中の土曜日、山の中のこの小さな駅に驚くほどの観光客が吐き出される。それぞれにリュックサックを背負った友だちが、各々の手をあげ「よお」と現れた。

炭火を起こすまで

今回の来訪者、サッカー部の同期(仮にここではKとしておく)と通称「ヤング」(もしくは I と呼ぼう)も、外食ではなく散種荘での「炭火焼きがいい」という。駅近くで昼食に蕎麦をすすり、スーパーA -COOPに買い出しに出向き、タクシーを呼んで山に上がる。裏の平川をぶらぶらと散歩し、午後3時を過ぎたころに近所のホテルに頼んで温泉に入れてもらい、帰ってから陽が落ち着くのを見計らって火を起こす。ここしばらくちっとも雨が降らなかったのに雲の様子がおかしいと空を見上げたとき、予期せず玄関のインターホンが鳴る。翌6日の朝から借りられるよう馴染みのレンタカー屋さんに頼んでおいたのだが、「朝はバタバタしちゃうからね、持ってきちゃったよ」と社長はどこまでも人がいい。

メンズワールド 2023

はたして「メンズワールド」とはなにか、昨夏の省察にこう記している。「25年くらい前、30代前半のことになろうか。『メンズワールド』と称して同級生10人ほどが集まり、近場の温泉地などへ一泊旅行に出たことが2度あった。(中略)以後、仕事における責任らしきものが誰もが重くなる、いるうちでは子どもたちが大きくなる。すると宿泊を伴う『メンズワールド』を催す余裕もなくなる。」つまり男子校だった中高の同級生が集う一泊小旅行、それが「メンズワールド」だ。つれあいは仕事の都合で東京に戻っているから、昨年の8月開催の第3回目以来、これが第4回目の「メンズワールド」となるのである。

還暦間近の同級生たちの多くは「これから」を考えている最中で、仕事における責任らしきものも軽くなり、子どももたいがいは手を離れている。四半世紀の時を経て、「メンズワールド」の機があらためて熟している。ビール党であるKが、スーパーで地産のクラフトビールをずいぶんと買い込み、日の高いうちから始め、若いときのように続けざまにビールを飲む。また「繊細なのに肝心な一点が常に至らない」点がチャームポイントの I 、エイジングしたワインを持参したのはいいが、惜しくも保管に失敗しており、コルクが劣化していて開栓するのに3人がかり、結局はお茶パックでコルクのカスを濾しながらグラスに注ぐ。そんなこんなで、隣家が留守であることをいいことに、雨が降り出しても屋根のついている部分にこじんまりとまとまり、初老に差しかかった野郎3人、遅くまで炭火焼きに興じたのであった。

早朝をつんざく「ヤング」の叫び

6日の早朝5時くらいのことだったろうか、「うわああっ〜!」という I の叫び声が寝室をつんざいた。隣の2段ベッドの同じく下段に寝ていた私が「どうした!」と跳ね起き様子を窺う。I は「つった!つった!つった!足がつった!」と口を大きくへの字にして緊迫した顔をする。やれやれ、友だちの家で早朝に足をつるとはまったくもって「ヤング」。「水を飲んどかんか…」と苦笑しながら「伸ばそうか?」と声をかけるも、すでに「ごめんね、もう大丈夫…」とへの字だった口をまっすぐにしてぐったり落ち着いている。いい大人になっても、中2男子のような振る舞いを奇跡的に披露する彼を、私たち同級生は親愛を込めて以前から「ヤング」と呼び習わしている。

Kがおっかなびっくりダウンヒルを体験する

Kは近頃ソロキャンプなぞをやっていたり、もともと「ヤング」は私のスノーボードの師匠格の一人であったり、ともに山に親しみがある。「白馬に来たからにはどこかの山に上がってみたい、象徴的な観光施設マウンテンハーバーを抱える岩岳がとりあえずはよかろうか」というので、ふたりのリクエストにお応えして足を運ぶことにした。「ねずこの森」と名づけられた軽いトレッキングコースを1時間と少し歩いてみる。それだけでは物足りなかったようで、Kが「せっかくだからあのダウンヒル体験をしてみたい」という。岩岳は本来スキー場、その斜面を使って夏はMTBダウンヒルのメッカとなる。

初中級者コースの上に設置されたテントに並ぶKに手を振り、グリーンシーズンだからこその下りのリフトに乗って、残りのふたりはコースの底に向かう。待ち構えてKの勇姿を目に焼きつけようという算段だ。あの列の人数からして順番がすぐ回ってくるわけはない。「ハンモックが空いたよ」と I は私を促し、さっそく横になってくつろぐ。「虫がイヤだ」と言って長袖シャツにタイツまで穿いているからいいのかもしれないけれど、なるほどハンモックに揺られるのは心持ちがいいのだけれど、還暦だってもう視野に入っているんだから、太陽を遮るものがないところでそこまで簡単に無防備かつ無邪気に寝込んじゃだめだ。しょうがねえなあ、ほら、左腕が落ちたぞ。まったくもって「ヤング」なのである。

もうそろそろかというころ、遠目にも上体を軽やかに上下させ、颯爽と丘を下ってくる人影が見えた。「Kじゃないか?」と I を起こしてみたが、まるっきりの人違いだった。ヘルメットを取るとブロンドの長い髪、おそらくオーストラリアの少女だろう。時を経ずして、遠目にも上体を微動だにせず固定させ、おっかなびっくり遅々と丘を下ってくる人影が見えた。ヘルメットを取ると白髪混じりの短い髪、間違いなく初老にさしかかった我らが友だ。「スピードなんか出せるわけないだろ!とにかく転ばないようにブレーキ握りっぱなしだよ」口をとがらせるKではあるが、ブレーキパッドこそいい迷惑である。

締めくくりに八方池に登る

「痛っ!」ハイランドホテルの露天風呂で「ヤング」がまたしても叫ぶ。虫除けベープまで両手首に巻き、あれだけ虫に気をつけていたのに、最後に寄った日帰り温泉で、あっさりアブに背中を喰われた。かくいう私もアブに対するフェロモンでは負けておらず、前日の日帰り温泉で、やはり背中をアブに喰われていた。脱衣所でKからムヒを借り、私たちはお互いの背中に「痛々しい」とか声かけながら、丹念に痒み止めをぬり合った。Kと I は無事に白馬駅午後3時16分発あずさ46号に乗って東京に帰る。私はとういうと、つれあいがまだ白馬に戻らぬ今日8日の午前中、雲に包まれた八方池に一人で登った。次回の「メンズワールド」に備えて、朝から出かけて下山後に風呂に入ったとしてその日のあずさ46号に間に合うか、それを検証するためだった。支障はなさそうだ。ああ、もうすぐ隠居の身。どうやら散種荘は「メンズワールド」の牙城である。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

2件のコメント

  1. 久しぶりに、名文を熟読させて頂きました。

    アブに刺された箇所、結局強烈に腫れあがってしまいました。

    虫除けべーぶは風呂場でも外してはいけなかったです。

    岩城 野豚
    1. 湯に入るとき、虫除けベープを手ぬぐいのようにして頭に載せておくべきだったんだな。(おそらくフマキラーの注意書きに「やらないでください」と記載されていると思うが、笑)とにかく、1日も早く腫れと痒みがひくことを。

      sanshu

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