隠居たるもの、「贅沢の真髄」について思いを致す。「山の日」という訳のわからない祝日の前日となる2023年8月10日、つれあいの古くからの友だちが、山を分け入る中央線特急あずさ5号に乗ってここ白馬を訪れた。「寝坊して焦っちゃった」、それが第一声だった。午前8時に新宿を出発する列車に乗るというのに、目を覚ましたのが7時20分だったんだそうだ。幸い私鉄で新宿にほど近いところに暮らしていてギリギリことなきを得たわけだが、そもそも彼女の目的は「夏休みをゆったりと過ごす」こと、どうにか着いたからにはギックリバッタリはここまで、また新宿に戻るまでの55時間ほどはとにもかくにもゆっくりしたらいい。

暦の上では「立秋」なのだ

このブログを継続していることもあって、勤めを辞してからというもの、暑中見舞いもしくは残暑見舞いをしたためる習慣をよしてしまった。投函する日を逆算して、「暑中」なのか「残暑」を見舞うのか、以前なら神経を尖らして調べたものである。将来のある高校生にこんな炎天のもと野球をやらせて一方的に感動しようとするその無配慮こそ犯罪、というほどの酷暑が続いている。すでに「暑中」と「残暑」の分岐点となる「立秋」に入っていることがなんともピンとこない。「立秋」とは季節の指標である「二十四節気」の13番目、今年は8月8日から8月22日で「秋の兆しが見え始める頃」を指す。

わざわざKEENのサンダルを履いてきた友だちを川遊びに誘ってみると、立秋に入りさすがに山は季節を移行させていた。夏を通して立派に成長しきったトノサマバッタが身じろぎもせず私を睨む。いつしか上空はすっかり「赤トンボの天下」と化している。気がつけばススキの背もずいぶんと伸びていた。そんなこんなを観察しながら、私たちは夕方まで足を川の水に浸してゆっくりと時間を送る。

久しぶりに炭火でかますを焼く

ここ散種荘において、やはり夏場の最高のおもてなしは炭火焼きである。その夏も3度目ともなると、これまでに積み重ねてきた知見をもとに、焼いてみる食材も洗練される。この晩の品書きは、地場のナス・とうもろこし・椎茸、石川県から山を越えてやってきたかますをひとりにつき一本、地場の厚切りベーコンホットサンド、そしてメインに白馬ポークのサラダ菜包み、こんなあたりだ。

野菜は醤油をたらすだけで十分ですな。
まるまると太ったかます。塩をふるだけでたまりませんな。

コースのメイン料理についてはもう少し解説を加えたほうがいいかもしれない。まず炭で焼いた白馬ポークをモランボンの「焼肉の生だれ ジャン」につけ、それをサラダ菜にのせる(当初は「サンチュで」と考えていたのだが、スーパーにあった千葉産のものがシオシオだったので、ご当地産のサラダ菜に変更)。そこに薬味として信州名物「ねぎ唐辛子」をたっぷりトッピングし包んで食べる。

「ふっくらと焼けたかますが丸々と太っていて美味しい」「地場の厚切りベーコン、塩気がほどよく油も甘い」「モランボンの焼肉のタレは牛肉に使うよりさっぱりした豚肉に使ってこそポテンシャルを発揮する」「サラダ菜に変更した判断は間違っていなかった」「なによりねぎ唐辛子のパンチが効いている」私たちはスーパーで買い求めた食材ひとつひとつを吟味し舌鼓をうつ。するとどこからかキリギリスが飛んできて、すぐ横で「チョン!ギィーッ」と鳴き始め合いの手を入れるのであった。

うなぎとパラグライダー

この春から初夏にかけて、友だちはお母さんを看取り、そして四十九日の法要まで済ませた。だからゆったりと過ごしたいのだ、心中を察し忙しなく遊びに出かけるようなことはしない。とはいえ、せっかく北アルプスまで足を運んできたのである。「少しばかりは雰囲気を味わってほしい」ということで、一夜明けた8月11日「山の日」、昼近くまでゴロゴロと過ごし、それから裏山である八方尾根のゴンドラリフト「アダム」の発着所に向かい、途中のこいやで昼食にうなぎを食べ、もっとも暑い昼過ぎの時間帯に標高の高いところにひと思いに上がる、という計画を立てる。

岩魚の塩焼き一尾を注文し、3人でビールのつまみとした。
せっかくだからうな重は松。こいや:https://www.koiya-hakuba.com/home

今日、うなぎは頻繁に口にできる代物ではない。ここ2年を見渡してみても、食した回数は片手ほどだ。そのすべてをこのこいやが賄っている。つまり私は今や白馬でしか食べないのだ。このこいや、なにしろ腕がいい。山の中で商いを続けてきた割にあか抜けている。東京の店に比較してグッと安価なのである(これほどのうな重、東京なら5,000円台になりましょうな、ここでは3,000円台ですが)。うなぎ好きの友だちも心底から堪能してくれたようだ。さあ、精をつけたところで陽光にさらされてみようか。それにしても人出が多い。ゴンドラとリフトを乗り継いで登った先は標高1,400mから1,800m、さすがに風が涼しい。この「山の日」から新型コロナが5類に移行して初めてのお盆休みが本格的に始まる。すぐ横の日陰で冷たいジンジャーエールなぞ飲みながら、立て続けに飛び立つパラグライダーを、私たちはしばらく面白がって見物していた。

自生しているシソを引き抜きながら「贅沢」について考える

「Amazonとかさ、過剰包装だろ?なぜか品物とサイズが合わない大きな箱で、乱暴かつ無駄に梱包材の紙を詰めて送ってくるじゃないか。すぐに捨ててしまうのはもったいないしなんだか忌々しい。だからとっておいてこういう時に敷き詰めテーブルクロスとして使うことにしてるのさ」2晩目の食事は鉄板焼きだ。結局のところ焼いて食べることに違いはないから、前日の炭火焼きから食材がガラリと変わるわけでもない。しかし野菜は蓮根とししとうに変わっているし、舞茸のチーズ焼きというお口直しもある。でも白馬ポークを焼く段になって支障が生じる。友だちがいう、「今日はサラダ菜はないの?」ないのである。食べ尽くしてしまったのである。彼女が八方尾根で買い求めた「焼きねぎ味噌」を薬味にして美味しくいただくには、やはり葉物が欲しいところ…。ここでつれあいが右手の人差し指をピンと立てて思いつく。「そうだ!物置のまわりにどっさりシソが自生しているじゃない!」そうだ、どこから来たのか知らないが、うちには勝手に繁茂したシソの群生地があるのだ。

この「使い捨てテーブルクロス」は妙案であった。

3人でワイワイとシソを摘みに出入りした隙に侵入したのだろうか、昨晩と同じ子ではないと思うが一匹のキリギリスが足もとに佇んでいて驚く。滞在中、食事をしながら「なんて贅沢…」と友だちが何度も口にした。確かにそうかもしらん。どんなシュチュエーションで、誰といっしょに、どんなものを、どういう風にカスタマイズして。それをゆっくりと楽しむ私たち3人は確かに食い道楽に違いない。「贅沢」を「値」ばかりに結びつけるのは「精神の貧困で」しかなかろう。ほのかに香る、虫に食われた野生の葉で包んだ白馬ポークは贅沢そのものだった。

8月12日、「ゆっくりできた。またね」と友だちは午後3時16分発のあずさ46号で東京に戻っていった。ああ、もうすぐ隠居の身。シソの育て方を少し調べてみようと思う。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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