隠居たるもの、たたみかける啖呵を小耳にはさむ。2023年8月16日木曜日、以前に比較し分散されたとはいうものの、世間一般からしてお盆休み最終日の午前中、墨東病院3階内科の待合スペースで、つれあいは年若い女医さんの木で鼻をくくったような応対にプンプンといらだっていた。ついさっき血液を採取され、その結果を見ながらの再診察を待つ間、私たちはロールプレイングに余念がない。「いいか、開き気味の両膝にパーにした両の手の平をガシッと置いて、上半身をグッと前に乗り出してさ、どちらかの肩を少し落としてそっちをさらに前に出しながらな、『ずいぶん悠長なことをおっしゃるけれども、その間ずっと私は得体の知れない不安を抱えたままご飯もろくすっぽ食べずジッと耐え続ける、つまりそういうことかい?』って凄むんだよ」と。備えつけのテレビから流れてくるのは台風一過炎天下の甲子園、慶應高校の面々が爽やかな笑顔でサラサラヘアから汗を滴らせていた。

体調不良は突然に

本来はこの16日に白馬から東京に戻ってくるはずだった。ところがつれあいが原因不明の吐き気にまとわりつかれ食事もままならくなった。そうそう回復しそうにもない。新型コロナ罹患の際にもお世話になった白馬診療所で診てもらうと「大方の見当はつくけど、いかんせんここは山の中の小さな診療所…」とのこと。つけてもらった大方の見当からしてきちんと検査するに越したことはなく、台風7号が列島を席巻する最中でもあり、移動できるうちに一刻も早く都会に戻るべく、紹介状をしたためてもらって15日のうちに東京に帰ってきた。あらかじめ最寄りで最も大きい医療機関、墨東病院に予約をとり、おっとり刀で朝一番から診てもらう。なのに年若い女医さんは、紹介状にきちんと目を通した形跡もなく、「とりあえず血液検査をして、今すぐは空きもないし9月に胃カメラで診てみましょう。胃カメラは金曜日なので、どの週がいいか考えておいてください」なんてのたまいやがった。だから空きっ腹のつれあいに、まなじりの上げ方から始めて「啖呵の切り方」を伝授していたのである。

「祭囃子が聞こえる」

「あたしにこれ以上きたない言葉を使わせるんじゃないよ!」待合スペースで待機している私の耳に、今節なかなか聞けない気風(きっぷ)のいい啖呵が飛び込んできた。少しばかり右に首を振り向けると、小柄でいささか腰が曲がり、黒々とした短い髪をオールバックにした高齢のご婦人が、かがみ込んだ看護士を相手に立板に水、とうとうと啖呵を切っておられる。痩せた身体から発せられる声に一本ピシッと筋が通っている。聞き耳を立てると「あたしの亭主が肺ガンを患っているのは承知しているだろう。なのにこないだ調子が悪かったとき、お宅の医者はうちの亭主の胸に聴診器をあてることもなく、『様子をみましょう』とほったらかしたじゃないか。そうだろ?おかげで肺炎になっちまってとんでもないことになった。そして今日も苦しいというからなんとかこうして連れて来てるんだ。だのにどれだけ待たせるんだい?あたしたちはどうせ老い先が短いんだ。もう治してくれとは言わない。麻薬でもなんでもいいさ、少しでも楽になる薬をさっさと出して早く家に帰らせておくれよ!」

お盆の時期にどこからか聞こえてくる祭囃子のようだった。にわかな野次馬である私が経緯を知るはずはなく、ご婦人の言い分が正しいのかどうかも判断しようがない。しかし聞き惚れた。ここは墨東病院、永井荷風「濹東綺譚」の舞台と同じく、隅田川の東岸に位置する東東京の拠点病院。皇居より向こうにある病院とはそもそも趣きが違う。江戸川区までを網羅するがゆえアジア系の外国人患者も多く、そこに前述の「下町の生き残り」といったご婦人も混ざる。拠点病院であるがゆえ来院する方々の数がべらぼうなのも事実で、医師たちがつい「さばく」ように診察してしまうのも無理はなかろう。とはいえ誰もがすがりつくような心持ちでたどり着いているのだからして適切な配慮を求めたい。つれあいが診察から帰ってきた。「ねじ込んでやったわよ。『そうですね、すいませんでした』って。今日の昼過ぎにさっそく造影剤入れてCTスキャン、胃カメラは明後日の金曜日の午前中」と鼻息が荒い。ロールプレイングが実を結んだようだ。

花壇街とラブホテル密集地の間

墨東病院の立地をご存知だろうか。最寄り駅が錦糸町という時点でそもそもガラが悪い。なんら予備知識もなく、お見舞いやらで初めて訪れた方など、まず間違いなく面食らう。楽天地から京葉道路を渡って路地を抜けると花壇街という飲み屋街が現れる。外国からいらした方が営む異国の料理屋も多く、軒先に赤い「R」の文字がドンと鎮座しているから何かと思うとロシアンパブだったりする。そんな街角に貼りついた「←墨東病院」というそっけない看板の先に、近代的で高層の病院が突如として聳え立つ。しかも病院をそのまま江東区側に抜けるとラブホテル密集地だ。近隣の馬鹿者たちが「墨東病院に入院するとソワソワしちゃって療養に専念できない」などと冗談にするなんともチャーミングな立地条件。これほどまでに「貪欲な生」と隣り合わせた拠点病院、私は他に知らない。

墨東病院のレストランで「当店おすすめ 洋食プレート」を食す

だから墨東病院には「啖呵」が似合う。見事な啖呵の末に主張が聞き入れられたのか、あのあと病院側は、鼻まで管が伸びる酸素ボンベを引いたご主人とご婦人を丁重に診察室に案内した。つれあいがCTスキャンを受けている間に待合スペースに戻っていらしたご夫妻、こちらこそが本性なのだろう、ご婦人は穏やかで慈愛に満ちた優しさを取り戻しておられた。

「小池百合子が以前、この墨東病院は民営化も視野に入れている、とかぬかしただろ?『民間に任せると効率が良くなる』、まったくそれが金科玉条、馬鹿のひとつおぼえなお題目ってわけだ。そもそも『民間』ってえのは『利益』が最優先だからこそ『効率』とやらを求めるんだ。だから儲からないことは省く。採算が取れない治療は切り捨てるか、金持ち向けに方向転換するかどっちかだ。ここは隅田川の東に暮らす我々の大事な大事な共有財産だ、勝手に民営化なんかされてたまるもんか。根っからの馬鹿か悪人か、はたまた根っからの馬鹿でなおかつ悪人か」つれあい相手にクダを巻きながらながら、墨東病院のレストランで「当店おすすめ 洋食プレート」を食べている(しかし病院のレストランが揚げ物メニューを薦めるというのもどうなんだ?笑)。胃カメラを終えたつれあいは、安心してきつねうどんをすする。とりあえず発作的な吐き気は去っているし、検査した結果、正式な診断は後日のこととはいえ喫緊な大事には至っていないようだ。

「還暦」というのは「暦を一巡して新たに生まれ変わる節目」を指す。そこからすると、うちのつれあいたるやどうしてどうして、まったくもってあなどれない。つい先日に新型コロナにかかって新たな抗体を手に入れたかと思えば、身体に潜んでいた問題をこうして白日にさらし、今後の生活指針を組み立て直す。生まれ変わる準備が万端だ。なにせこれをしたためている今日こそが。ああ、もうすぐ隠居の身。還暦を迎えるつれあいの誕生日なのであった。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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