隠居たるもの、ふと指折り数える幾星霜。2023年11月12日、WOWOWで「伊藤 蘭 50th Anniversary Tour~Started from Candies~ Celebration day!」が放送された。デビュー50周年を迎えた伊藤蘭が9月に記念ライブを執り行ったことは知っていたが、わざわざWOWOWがそれを撮影していて放送するとはつゆ知らず、とはいえ番宣で知ってしまったからには当然のこと避けて通れるわけもなく、怖いもの見たさというべきか、録画したものを就寝前に数曲だけ観てみたのである。彼女は私より10学年上の早生まれ、9歳年上で68歳である。記録映像でなく現在進行形で歌う姿をまともに観るのは、1978年4月あの後楽園球場における伝説的なキャンディーズ解散コンサート以来、なんと45年と7ヶ月ぶりのこと、しかも会場は5,000人超を収容し音響抜群な東京国際フォーラムだというのだ。
3曲目の「春一番」でライブはいきなり佳境
腕っこきのミュージシャンで固められたバックは、主役を呼び込むイントロダクションからして素晴らしい音を鳴らす。女性コーラスも2人並び布陣は万全だ。ウォーミングアップかのような2曲をつないで始まったライブは、3曲目に配されたキャンディーズのヒット曲「春一番」のブラスが響き渡るやいなや一気に佳境を迎える。ほぼ半世紀前の名曲を、40年以上経って本人が、振り付けもそのまま照れることもなく媚びることもなくにこやかに歌っている。凄い…。「長らく歌っていなかったもう少しで69歳」にはとうてい見えず、やっぱりアイドルなのである。そういえば、一昨年2021年2月の省察でこの曲にまつわる想い出なぞをしたためていたので引用してみる。
「『春一番』は、1976年3月1日に発売されたキャンディーズの9枚目のシングルで、売上累計は49万枚だったそうだ。私が小学5年から6年になる春のことで、墨田区の小学校、同じクラスの女子たちがよく何人かで並んで歌っていたことを想い出す。とにかく、この曲は素晴らしい。冬が終わり春になるときのどこかソワソワする解放感、それに合わせて「重いコート脱いで出かけませんか」、つまりもうひとつ成長しようと歌われるその裏にひそむどことなく切ない覚悟、そんなこんなが3分6秒に凝縮されている。私は生まれて初めて女性アイドルのファンになった。そんな年頃でもあったのだろうけれど、今でも伊藤蘭には頭が上がらない。」
伊藤蘭は左端に立つ
客席を占めるのは60代をコアとするおじさんばかりであるから、30分も経った頃あいを見計らって「最後までもたないから無理しないで、さあ、みんな座って」とランちゃんは優しい。それを合図に私も視聴を切り上げ、その日は寝ることとした。間を二日あけた15日、残しておいた1時間半を一気に観る。途中、過去のキャンディーズの映像を流すことで休憩・お色直しタイムを取り、その後に怒涛のキャンディーズヒットパレード。「座って」と促されたおじさんたちがじっとしていられるわけがなく総立ちになる。人差し指をピッと立てる振りをしたときなどに時たま「筋張った」感が出ちゃうこともないことはないが、それだって愛嬌の範疇(こちらだって頭髪が薄くなっている)。リハーサルのときに藤村美樹(ミキちゃん)に来てもらって、振り付けを二人で必死に思い出したと聞く。
しかし考えてみれば、半世紀ほど前に売れていた芸能人で今になってこうした大がかりなライブを開催できるのは伊藤蘭だけ、ということだ。山口百恵ではなく、桜田淳子や森昌子でもなく、はたまた岩崎宏美や太田裕美、ピンクレディーでもない、蓋を開けてみれば彼女一人だけだったのである。(沢田研二も今年の7月に「沢田研二LIVE2022-2023『まだまだ一生懸命』ツアーファイナル バースデーライブ!」で19,000人収容の埼玉アリーナを満員にしたが、近年はツアーを中心とした「ライブパフォーマー」である彼のツアー最終興行と、女優というかあくまで「芸能人」である伊藤蘭のスポットツアーを単純に比較するのは的を射ていない。)大御所とならずとも仕事を続け、娘(朝ドラ「ブギウギ」で話題の趣里)を育てながらも「ママタレ」には成り下がらず(母娘それぞれに自立しているように外野からは見受けられて気持ちいい)、当然のこと容姿が衰えないよう摂生し、コツコツ努力を重ね芸能界で働き続けてきたからなんだろう。そして何よりも、彼女はキャンディーズの一員だったのだ。
キャンディーズヒットパレード最終盤、彼女が「次はデビュー曲」と断り「あなたに夢中」のイントロが流れた。すると撮影していたカメラが少しポイントをずらし、ランちゃんが映る位置を左端にずらした。デビュー当時、キャンディーズのセンターは田中好子、つまりスーちゃんで、ランちゃんの立ち位置は向かって左だった。ポッカリ空いた中央に、本来なら12年前に55歳で亡くなったスーちゃんがいて、その右側にはもう芸能界には関わらない藤村美樹、つまりミキちゃんだっていることを、映像は静かに語る。なにもキャンディーズに限ったことではない。スーちゃんのパートを歌うランちゃんを左端にカメラは映したまま、私たちがこの半世紀に経験した「喪失」を切なく露わにする。いい演出だ。ランちゃんは、気負っているわけではなかろうが、スーちゃんの分もミキちゃんの分も引き受けたのだ。だから彼女だけが、ステージにいない二人のファンの心情も巻き込んで、今となってこうした大がかりなライブが開催できる。
Rock and roll can never die
つい飲み過ぎちゃった晩があって、めずらしく攻撃的になったつれあいに「ランちゃんなんて、おじさんの郷愁でしょっ!」となぜかいいがかりをつけられた(脈絡もなかったから、おそらく彼女の記憶には残っていないだろう。その直後にスヤスヤと寝ていたし、笑)。確かにそうには違いないが、あそこまで快く郷愁に浸れるステージを作れるというのも凄いこと。しかし安心しろ、つれあいよ。次の機会があって、その会場におっとり刀で駆けつけるかというと、それはない。嬉々としてペンライトを振るおじさんたちに加わる勇気が、どうにも私には湧かない。ふざけてタイトルにした「伊藤 蘭 can never die」とは、ニール・ヤングの名曲「Hey hey, my my」にある歌詞の一節「Rock and roll can never die」(ロックンロールは決して死なない)をもじったものだ。近頃は流行らないようだが、「Rock and roll」の定義はなにかと尋ねたら、それすなわち「異議申立て」だ。わたしたちを取り巻く世界はもはや救いようもなくグチャグチャだ。ああ、もうすぐ隠居の身。私が本当に必要としているのは、今このときに鳴るべき新しいRock and rollである。