隠居たるもの、慌てて片脚ケンケンことなきを得る。このまま放っておくと、人生自己最重量記録を更新してしまう。それでは、これまでの自己最重量記録がいつのことだったかというと、35年前の24歳の時分。大学を卒業して仕事をし始めたからこそ規則正しく3食取るようになり、なのに運動などせず仕事をしている他は太りそうなつまみを口にしながら酒を飲んでるかゴロゴロしているだけ、あっという間に太った。今、59歳にしてその頃の体重に迫った。このままではいけない。2023年11月21日、風もやんで穏やかに晴れた午前中、私は近くにある木場公園を今日も2周しようとしている。このところジョギングを交えながらこの公園を2周するのを日課としてきた。気掛かりなのは右脚のふくらはぎ、油断すると決まってここがピキっと肉離れを起こすのだ。

標準体重 60.3kg

私の身長から割り出される「標準体重」は60.3kgだそうだ。しかし骨太で筋肉質な身体つきの私が「標準体重」まで絞るにはボクサー並みの減量をしないといけない。だから人間ドックでお医者さんに指摘されても右から左に聞き流してきた。自身でもっとも「身体が動く」と感じるのは63kgを少し切ったくらいか。とはいえ代謝もままならないこの歳になると、その「ベスト体重」を維持することなぞ至難の業。体重計に乗るたび「なんとか65kgを切ったあたりで手を打ってくれないかね」と祈るばかり。まあ摂生なり運動なり生活態度を根本から変えないのだからそれはそれで虫のいい話。ここ1年ほどは66kgを超えたあたりで「安定」推移していた。それがだ、ここ数ヶ月で急に自己最重量記録68kgに肉薄してきたのである。私の身長からして68.5kg以上は「肥満体重」と認識すべきだそうだから、このまま捨て置くわけにはいかない。さすがに手持ちの服もキツくなり始めている。(ちなみに、「普通体重」は50.7kg以上 68.5kg未満の間とのこと)

8年ぶりにジョギングしようと思いは至る

なぜにここまで体重が増えてしまったか。まずひとつ考えられるのは当然のこと「代謝能力の減退」である。あと半年もすれば還暦を迎えるのだ、こればかりはどうにも致し方ない。先日、しばらく会わずにいた中学高校の同級生にバッタリ出くわした。「あれ?」とすぐに気づくほどスッキリと痩せている。身体に支障をきたしている可能性もあるから「どうしたの?」と尋ねると、「酒をやめると痩せるんだよ」とのこと。彼は昨年、「好きというわけではなく、『酔っ払うために』飲んでいるだけと気づきキッパリやめることにした」と家に残していた酒を白馬の散種荘に寄贈してくれた。減退した代謝能力のほとんどを日々のアルコール分解に費やしていること、いい加減に私も気づいてはいるのだ。胆石発作を経験して以来、つれあいの酒量も減った。そして以前ほどには食べなくなった。だからつれあいは痩せた。しかし、ついこれまでと同様に食卓を用意してしまうから、どうしても私が多めに胃に収めることになり、急速に体重を増やすことになった。まずは酒とのつき合い方を中心に、食生活を考え直すことに取り掛かっている。

自己最重量を記録した35年前、食事を急激に減らすとともにジョギングを始めた。まだ若かったからすぐに走力を取り戻し、結果2ヶ月で6kg痩せてみせた。もちろん今となって当時同様の乱暴な荒療治はかえって身体に悪い。木場公園には100メートルごとに距離が表示された3.5kmの周回コースがあって、ここ数年はウォーキングというか適当な散歩のコースとして思いついたようにここをブラブラしているわけだが、そんな生半可なことではもはや追っつかない。暑さも収まった10月半ばから、これから始まるスノーボードシーズンへのトレーニングも兼ねて、まず2周(つまり7km)することを日課にし、距離は少しずつ伸ばすにしろ、そこにジョギングも含めることにした。物持ちがいい私はクローゼットの奥からジョギングウェアを引っ張り出す。指折り数えてみると、走るのはなんと8年ぶりのことだ。

情けないこと2日連続500m走ったら…

初日、1kmくらいは走れるかと思いきや、息も上がるし500mで精一杯…。あと半年で還暦になろうかという初老にさしかかった者の8年ぶりのジョギングなのだ、まあ仕方あるまい。情けないことにその程度で筋肉痛まで抱えるのだが、今回ばかりは覚悟が違う。翌日になって「もう少しでも長く走るぜ!」と意気は上がる。しかし気持ちばかりが前のめりで調子は上がらない。あげくに前日と同じ500m地点で右脚ふくらはぎがピキっと肉離れ。はあ…、寄る年波を考えてもっと慎重になるべきだった。クセといえばクセなのか、8年前もうっかりするとここを肉離れさせていた。とはいえ泣いていても始まらない。それほど重くはないし、治るまではウォーキングに徹し、治ってからはストレッチなど余念なく、あらためてジョギングに取り組む。再開後、一週間もしないうちに、2周のうち半分の1周、つまり3.5kmを続けざまに走れるようになり、「えへん」とばかり胸を張る。

どうしても腰を支点にして左に身体が傾くから

好事魔多し。1周走れた翌日、「ふふ、今日は1周を超えてやろう」などと意気軒昂、しかし1.3km地点で右ふくらはぎに違和感、ピキッといく前に走りやめて大事には至らなかったものの、せっかくその気になっていたのにトホホと意気消沈。幸いその翌日、かかりつけのカイロプラクティック、タイミングよく予約を取っていたコンドーくんにどうしてなのか聞いてみた。「あなたはどうしても腰を支点にして左に身体が傾くから、左脚は真っ直ぐに下ろせるんだけど、浮いた右脚はそういかなくて外側から着地してしまう(たしかに新調したジョギングシューズ、右踵部分のみ減り方が著しい)。だから右ふくらはぎに不自然な負担が集中して音を上げる。何十年もかかってできたクセだから直せっていってもそう簡単にはいかない。だから走る前にこの3種類のストレッチをしてください。場合によっては足首にこうテーピングをしてください」と具体的な対処法を教えてもらった。そしておっかなびっくりウォーキング中心で今日も木場公園に出向いたというわけである。

認識しているかどうかは別にして、「ねじ伏せられる若さ」を持ち合わせなくなったのはとっくの昔。昨今、我が庵の近所、駅を出てすぐの同じ建物に入るチェーン系の飲食店が2軒、繁盛していたのにほぼ同時に店を畳んだ。「働き手がいないってんだよ」とテナントを失った建物のオーナーは頭を抱える。私たちがそれを必要とする歳になったとき、飲食業同様にこの国で介護の仕事をする人はいなくなるんじゃなかろうか。すでに他国に比べて賃金も安い上、ちょっとした要望を口にすれば何様だか「嫌なら帰れ!」と息巻くレイシストも相変わらず、外国の方が今後やって来て働いてくれる材料も見つけづらい。だから、なにより身体あっての物種なのだ。ああ、もうすぐ隠居の身。己を知りつつゆっくりやるさ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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