隠居たるもの、しみじみ飲めばしみじみと。2024年1月16日、昨夕からの雪が降り続いている。以前にタクシーの運転手さんから「昔の白馬では雪合戦なんかできなかったんだよ。雪がサラサラで雪玉に固まらなかったんだ。投げたところで空中でパッと散っちゃってね。そう、昔はね…」と教えてもらったことがあった。窓の外に降る今日の雪、どうやら昔気質のようだ。細かく乾いていて軽い。ときおり強い風が吹くと、いったんは屋根や木々に落ちたものがいっせいに上へ下へと舞い踊り、「これ、ブリザードか?」と思うほどにあたり一面の視界を奪う。ここ白馬が少ない雪を嘆いていたのは10日ほど前までのこと、ここ数日など日中は晴れても夜になると降り出し、朝になるたびエントランスから30cmほどの積雪を掻き出すのが日課となっている。しかし都会育ちのもやしっ子にとって今日の「降り」はいささか荷が重い。だから朝の雪かきも控え散種荘にこもってヌクヌクと過ごしている。

「アントニオ猪木をさがして」

「明日は籠城だ、朝だって起きたなりでゆっくりしてかまわない、だとしたら酒が過ぎたってよかろうってえもんじゃないか」と調子に乗った昨晩、出始めたホタルイカと鯖の干物を肴に夫婦で白ワインを1本空けた。私たちの日常的な晩酌からするといくらか多いのだが、そうやって飲んでしまうと今度はそれで終わるはずもなく、スクリーンを下ろし、プロジェクターを起動し、ウィスキー片手に映画を観る。酒が入ったまま観るのにふさわしかろうと、Amazon Primeで配信が始まっていたドキュメンタリー映画、「アントニオ猪木をさがして」を上映する。一昨年の10月に亡くなったアントニオ猪木は幼少期から青年期の私にとって最大のヒーローだった。

「元気ですかぁー!元気があればなんでもできる」彼がマイクを持ってそう叫ぶと、なぜか笑っちゃって元気になった気がしたものだ。かつての映像が流れ、彼と近しく接していた、もしくは仰ぎ見ていた人たちがそれぞれに語り、映画は進む。イラクでの人質解放とか、物事を難しく考えない彼だからこそ実現できたあれこれを思い出す。今、ああいう人がいない。どうだろう、もしもアントニオ猪木が元気に存命で、能登半島の避難所を「元気ですかー!」と叫んで回ったとしたら、打ちひしがれた方々の中に、一瞬でもささやかでも、闘魂の火が灯ることもあるのではなかろうか。それとも、ひろゆきあたりにX(旧Twitter)で「ただ迷惑になるだけだから行くべきではない」としたり顔で難癖つけられて終わり、そんなオチだろうか。それはそれで今どきかもしれないが、アントニオ猪木をさがすことで自身の魂のありかをさがそうという私たちからすれば、そんないけすかない世情にため息のひとつも漏れようというものだ。

お酒はぬるめの燗がいい

ここまで雪に降りこめられると晴れたところで道が危なっかしい。買い物のために山を下りるのは一週間に一度をかぎりとしたい。となると食材の賞味期限からして週に一度は夜に外食をしないと帳尻が合わない。冷蔵庫がほぼ空っぽになった1月12日金曜日のこと、とり克になんとか予約が取れた。先日の省察でも触れたご近所の焼き鳥屋さんである。午後6時の開店に合わせて予約を取った私たち夫婦は少し早めに着き、先からいた若いチャイニーズカップルとともに店の前で少しのあいだ佇んでいた。入口の明かりが灯り「お待たせしました」とようやく扉が開く。カウンターに案内され腰を落ち着けると、スタッフの彼女が背を向けてiPadを操作しBGMをチョイスする。八代亜紀の「舟唄」だった。「お!」と反応した私に、カウンターの向こうでいそいそと働く彼女は、「偲ばないわけにはいかないでしょう」と微笑んだ。

狭い店内はオージーとチャイニーズで満杯で、ひっきりなしに扉を開けるインバウンドさんを「Full,Right Now」と断るのも忙しい。なのに演歌を聴くような年齢には見えない、小さめのTシャツを着ておなかを少し出している彼女は、徹頭徹尾に一貫して八代亜紀しかかけない。Apple Musicで配信されている八代亜紀のプレイリストをそのまま流しているのだという。そのリストには八代亜紀自身のヒット曲以外にも、「朝日のあたる家」とか吉幾三「酒よ」のカバーも含まれていた。大雪渓の純米酒を注文すると、気の利く彼女は「冷やですか?あっためますか?」と聞いてくる。もちろん「ぬるめの燗で」と答える。「あ!」とつい声を漏らしてしまうのは今度は彼女の番だ。向こうでダボシャツの大将が焼き鳥を焼いている。沁みる。周囲から聞こえてくる言語が日本語でないがゆえ余計に沁みる。酒場のカウンターで、日本酒を飲みながら、焼き鳥を頬張り、八代亜紀を聴く。これ以上の追悼シュチュエーションが考えられようか。

八代亜紀は、ふるさとを襲った熊本地震だけではなく、阪神大震災や東日本大震災など、被災各地に幾度も幾度も足を運んで歌ったそうだ。たまたまその12日の日中、「令和にはこの時代に合った令和歌謡というのがあるのだろうし、それはそれで機会があればチャレンジしたい、でも昭和歌謡を必要としている人がいる以上、その担い手であった私はその歌を届けなきゃ」と答えるインタビュー記事を読んでいたものだから、なんだか涙ぐんでしまった。思い起こしてみれば、私は一度だけ八代亜紀を生で観たことがある。今から8年前、2016年のフジロックフェスティバルでのことだった。「これぞ演歌」という衣装で陽気にステージに現れた彼女を若いもんはクスクス笑ったもんだが、歌い出した瞬間にその笑い声はピタリとやんだ。八代亜紀はこの国における不世出のブルースシンガーである。

YouTubeを調べたら、その時の映像がアップされていました。

血となり肉となり

それではこうした方々の訃報に際し、抜き差しならない「喪失感」を抱えるかというと、たとえばアントニオ猪木に心酔していた10代のころならいざ知らず、還暦になろうかという今の私はそうでもない。成長し無事に「依存」から脱却しているからだろう。反対に、凝り固まった感性しか持ち合わせなかった若いころには八代亜紀の凄みを知る由もなかった。どちらにしろ、60年の時間をかけてどれもこれもが私の血となり肉となったのだ。また、この先達たちは「表現する」ことを生業にしてきたのだし「してやられた」のはあくまでこちらの方だから、「ありがとう」という言葉が思い浮かぶことも滅多にない(それは私がひねくれ者だからか、笑)。この1年と少し、次々と報じられた訃報に驚きはしたが、淡々と偲ぶより他に術はない。遅い午後になってようやく雪もやんだ。つれあいが運動がてら姪孫たちのためのリュージュコース建設に取り掛かり始めた。ああ、もうすぐ隠居の身。夜ふけてさみしく なったなら 歌いだすのさ 舟唄を。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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