隠居たるもの、年の初めはなにかとせわしい。スノーボードシーズンも本格化するというのに、年が変わるころに根を詰めるべき「仕事」が例年にあって、そこに「新年会」と呼ぶべき食事会も加わる。そうした「新年会」のお声がかかるのは東京に限ったことだから、とりわけ冬になって暮らしの重心が白馬に移り自ずと短くなる1月の東京滞在は、あれやこれやととてもせわしい。とにかく2024年1月19日、文学部1年Q組の友だちと板橋でふぐをつつきながら、そんな新年会モードは幕を開けた。

板橋のきくひろでふぐをつつく

「紅白、最高のパフォーマンスは間違いなくYOASOBIだったね。曲もさることながら、ずらっと並んだ若い子たちに『あ、時代が変わったんだ』というかな、感じ入ったよ」そんな話に興じるこの4人組は、一昨年の6月に34年ぶりに再会を果たして以来、この間のギャップを埋めるかのように数ヶ月にいちど集って酒を酌み交わしてきた。今回は渋い。JR埼京線板橋駅近く、路地裏に佇む ふぐ割烹きくひろ が会場だ。ふぐなんてどれくらいぶりだろう。私はポン酢という調味料を好む。なのでふぐが嫌いなわけがない。なのにどういうわけかすっかり忘れていた。いつしか変わらぬ小さな行動領域に充足してしまい、外に目が向かなくなったからに違いない。

隣席に陣取ったおそらく同年輩の太った4人組の壊れた笑い袋のような下卑た蛮声にいささか辟易しながら、私たちは耳を寄せ合って親の介護について聞き合い、女性として初めて日本共産党の書記長に就任した同じ学部の歴史専攻だった一年後輩について(「田村はすぐ一年後輩なんだよ」「そうなの?でも党大会結語のあの吊上げはガッカリしたな、表向きは刷新されたように見せて共産党だって何も変わっちゃいないんじゃないか?」とか)、ヴィム・ヴェンダースの新作「PERFECT DAYS」について(「ルー・リードを聴いてるようには見えないんだよ、役所広司は。だから八代亜紀の曲とかがサントラに入っていたら説得力が増したのに」「でも結局は『ヴェンダースの世界』を観る映画だからな」とか)、ときに笑ってたゆたうように会話を重ねていくのであった。

地元のフーチンで世話人が寄り合いをする

続く1月20日、暮らす集合住宅の期も変わり、世話人を勇退する方、新たに加わる方、つきあいの長い管理会社関係者、そんな面々が地元の店に20人弱集って懇親会を持った。「癒着」と疑念を持たれないよう、こうして一年に一度だけ集うことを慣例にしてきた。しかし新型コロナの影響でここ数年は中止もしくは縮小開催を余儀なくされ、通常の形で開催できたのは4年ぶり。「マンションなんて、つまりは西洋長屋だろ?」とおっしゃって、管理組合に40年近くずっと携わってきた御大が勇退されるこの夜はとりわけても特別な会ではあった。親しくしていた管理会社の人とも「そうか、もう嘱託になったんだ。あんなこともあったし、こんなこともあったね」と語り合う。私たちは営々として集合住宅の暮らしを支えてきた。東日本大震災だってあった。ことさらに管理組合が目立つのは、うまくいかないことが表面化したときである。40代になったばかりの若い世話人たちと酒を酌み交わしていると「人知れずこれからも営々」と展望できて心強い。初老にさしかかった身ではあるが、断るわけにもいくまい、2日続けて2次会まで繰り出した。

香取鮨のとば口を相撲取りが出勤する

「生きていたら105歳か…」親父が大往生を果たしたのは9年前の今時分だ。告別式の朝にうっすら雪が降ったことを思い出す。無闇に息子の負担を増やしたくなかったからだろう、親父は「法事なんかしなくていい」と言い置いた。息子はそれに従ったが、代わりに近所に墓を見つけて散歩がてら墓参に出向く。命日の墓参帰りには必ず香取鮨に立ち寄り、いささか豪勢な鮨をつまんで法事の真似事をする。今年も同様だ。つれあいは「まだお昼なのにずいぶんとお相撲さんを見かけるね」という。そりゃあそうさ。今は本場所中で正月場所は両国国技館、そして最も下の位が始まるのは午前8時半、彼らはこのあたりの部屋から都営大江戸線に乗って二駅先の両国に出勤する。すでに取り組みを終えて帰ってきた者もいれば、これから出かける者もいる。もう少し遅い時間になれば、いったん帰ってきたのに付き人として関取について再び出勤する者もいる。そして香取鮨は相変わらず美味い。

幼な子にくら寿司の発注システムを教えられる

さて香取鮨に舌鼓をうったその夜、私たち夫婦はメロン坊やを保育園でピックアップし、しばらくお相手をするよう姪から依頼されていた。幼な子の父親は報道番組に携わるテレビマンで能登半島に急遽出張することになり、姪には夕刻からどうしても外せない仕事があった。初老にさしかかった夫婦の出番である。しかし整体で身体を整えたばかりのつれあいは、気まぐれな幼な子の夕食を考えることがどうにも億劫だ。「晩ごはんはお店で食べよう、どこがいいかな?」と聞いてみると、姪の答えは「くら寿司だったら間違いなく喜ぶ」だった。回転寿司店なんてふぐ屋以上に長らく足を踏み入れていない。しかも昼夜続けて「すし」とはこれいかに。しかしだ、品のある大将が握る香取鮨と、あの下劣な松本人志(はるか以前から抱く個人的感想です)がCMキャラクターを務めるくら寿司…、まあ別物だろうからここは仕方があるまい。

度肝を抜かれた。映画「ブレードランナー」を初めて観たときの衝撃に近い。入り口に設置されたタブレットに、姪から伝えられた予約番号を打ち込むと「あなたの席は35番テーブルです。バーコードが記されたこの紙を持って席に進んでください」と指示される。「人」は裏で働いているばかりでホールには誰もいない。注文の仕方もさっぱりわからず、場数を踏んだメロン坊やに教えてもらう。レーンは上下に二段、下段は常に皿が載ってクルクル回っている。欲しいものがあれば取ってもいいそうだ。しかしドリンクも含め、席についているタブレットから注文したものを受け取るのは上段だ。「もうすぐお届けします」と予告されると、凄いスピードで飛んできて席のところでピタリと止まる。食べ終えた皿は上下二段のさらに下に隠されたレーンにテーブルの端から差し入れる。それが5皿になるたびゲームが始まり、「あたり」となるとグッズの入ったカプセルが上から降ってくる。ハンバーグにぎりなど幼な子が喜ぶメニューも豊富、だから子どもづれで席はいっぱい。そして最初に「持って進め」と指示された紙を、最後に出口のレジにかざしてバーコードを読み込ませ、クレジットカードを差し込めば精算も完了。店に入ってから去るまで、いっさい「人」と接しない。とにかく驚いた。

姪が帰宅するまで家で一緒に遊んでいたメロン坊や、どこで耳に拾ったのか「うん、まあまあだな」と、左右どちらかの手を立てて嬉しそうにそのフレーズを繰り返す。稽古の結果、納得のいく抑揚を見つけたらしく、ニンマリとうなづいている。明日の保育園で友だちに披露するに違いない。路地裏のふぐ割烹から始まった新年会モードは近未来の回転寿司屋でとどめ、と思いきや、明日には母校の、それも出身学部に行って、このところ懇意になった教授の研究室に遊びにうかがってそのあと飲むんだった。学生時代には研究室になぞ寄りつきもしなかったくせに…。ああ、もうすぐ隠居の身。この年の初めは「うん、まあまあだな」。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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