隠居たるもの、「グッバイを 鞄に詰めて 冬の旅」。俳人 吉田類に「酒場詩人の流儀」という紀行エッセイ集があって、書店に並ぶこの中公新書の帯に冒頭の句が記されている。酒飲みであれば、BS-TBSで放送される「吉田類の酒場放浪記」を一度は見たことがあるだろう。ナビゲーターである吉田類が、場末の酒場のカウンターに座り酒を飲み肴をつまむ、ただそれだけの番組だ。私たち酒飲みは、用がなくてもなぜか酒場に惹きつけられる。2024年1月24日、寒波に襲われた東京はすごぶる寒く、日が暮れるのを待ちかねて、酒飲みである私たちはそそくさと高田馬場の酒場に急いだ。そうそう、中公新書として出版されている吉田類の紀行エッセイはもう一冊あって、そのタイトルは「酒は人の上に人を造らず」であった。
まずい魚 青柳
同窓会を通じてここ最近に懇意となった母校しかも出身学部(厳密にいえば再編を経て学部名そのものも変わってはいるのだけど)の教授がいらして、その方がまた気持ちいいほどにざっくばらんなもんだから、調子に乗って「こんど研究室に遊びに行っていい?」と持ちかけると目論見通り「ぜひに」との返答。しかも「新年度となる4月から一年、オランダに身を置いて研究活動をするので、できたら1月のうちにどうぞ」と打てば響く。せっかくの機会を独り占めするのももったいないから、所属する同窓会の先輩お二人を誘って午後4時過ぎに一緒にうかがった。するとどうだ、教授を含めてこの4人がこれまたそろって酒飲みなのである。顔を突き合わせるなり「このあと、店はどうする?」と手の内を探り合う。なんとも可愛らしい酒飲みの性、そこが決まらないことには落ち着いて話ができない。
午後5時を回った頃合いをみて、4人は肩を並べスロープを下りてキャンパスを後にした。このスロープを上り下りすることが40年ほど前の私の日常だったわけだが、校舎は建て替わっているし、あるにはあるが立て看板は少ないし、かつて広場だったところが「アリーナ」とやらになって白く光っているし、「懐かしい」のか「隔世の感」なのか、どうにもややこしい。結局のところ今現在も日々にこの街で過ごしている教授のご提案に従うことにし、早稲田通りを高田馬場に向かって歩いて明治通りを越えてすぐの脇道に店を構える「まずい魚 青柳」に向かう。どうしてどうして、まずいわけがない旬の魚介を供する小粋な店だった。
酒は人の上に人を造らず
大学の先生と酒を飲むのは痛快だ(そうでないことも多々あるが、おおむねは痛快だ)。どんな分野にしろ視野を広く持って研究に勤しむ彼らの話が、それと気づかず狭い領域に拘泥しつつジタバタしているこちらの目を開いてくれるからだ。では学生のころに「先生と飲むのは痛快だ」などと感じていたかというと、実はそんなことこれっぱかりも頭に浮かんだことなどない。恥ずかしくも独りよがりだったあの当時、我が身の「小ささ」を思い知らされることを自然に避けていたのに違いない。そして初老にさしかかり経験を積んで厄介な自意識過剰も鳴りを潜めた今現在になってようやく、いくらかなりとも虚心坦懐というやつを心得たのだろう(歳を重ねるごとに「独りよがり」を頑なに進行させてしまう悲しいタチの方々がいることも一方の事実ではあるが)。この夜も、70歳ほどの先輩と65歳ほどの先輩ともう少しで還暦を迎える私の3人は、50歳を過ぎたばかりの教授を囲んで、「まずい魚」をつつきながら、「ははぁ、なるほどねぇ」と感嘆の相槌を打ちつつ酒を酌み交わす。
「毎日なんのために酒を飲むのか」という動機づけも年齢に応じて変遷しているかもしれない。40歳を過ぎたあたりからか、「現実の憂さを晴らす」ために飲むことはまずなくなったように思う。それでは「毎日なんのために酒を飲むのか」…。それはおそらく「現実に立ちかえる」ためなのではなかろうか。そもそも仕事とというのはそれぞれに特有の狭い領域しか持ち合わせていないから、その限られた人間関係の中で取り組んでいるうちに視野は自ずと狭くなる。そこに閉じこもって集中し過ぎてしまうと、現実世界の道理から遊離し、あげくの果てに手前勝手にそれを都合よく捻じ曲げていることや大切なことを忘れ去っていることに気づかなくなる。昨年来から今もこの国に表面化し続ける愚かしい数々の醜聞を見るにつけ、喜び勇んで狭い領域に凝り固まる連中が示す下劣さについてはあらためて説明する必要もないだろう。彼らは上下関係と狭い領域の結束を強化するための荒んだ酒席ばかりを重ねているに違いない。私は美味い酒が飲みたいのだ。一日を終えるにあたり、逆立った神経をゆっくりと和らげ、ああでもないこうでもないと話をしつつ、しっかりと現実世界に引き戻してもらい、大切なことを思い出す。金をかける必要などない、そういう酒さえ飲めれば心持ちは豊かになろうというものだ。とはいえ高田馬場の夜、「現実に立ちかえる」にもほどがある。寒いのに生ビールから始めて、今度は寒いからといってあれだけの熱燗を飲んどいて、二次会で空けたのは赤ワイン2本…。
早起きは三文の徳
高田馬場で夜を過ごした翌朝、私は酒が残るいささか重い頭を抱えて白馬に身を移した。寒波はこちらには大雪をもたらした。スキー場には恵みの雪だ。1月27日の土曜日のことだった。八方尾根スキー場のスタッフがわざわざホワイトボードに記してアピールするには、「今日は今シーズン一番のコンディション、そう言って過言ではありません」。私が白馬に到着するまで降り続いた雪は細くて、前日の夜がキンと冷えた。ピシッとしまったあんな素晴らしいコースコンディションはシーズンに何度とない。それを朝一番の8時から味わうため、シャトルバスに頼らず歩いて駆けつけた。とはいえこの日は土曜日、人も徐々にワサワサと出てきたから11時には切り上げる。初老にさしかかった身にはそれで充分。しかし午後にならないと帰りのシャトルバスも動き出さないから、帰路もまた徒歩。途中でコーヒーを買い求めにサトルコーヒーに立ち寄る。今日のゲレンデがいかに素晴らしかったか、それを説明すると、スキーヤーであるサトルは羨ましそうなそれでいてちょっと悔しそうな、そんな苦笑いを浮かべる。そしてまる店長のところでひと休み、ホットワッフルが焼き上がるのを待っている。
それに比して今日1月29日の五竜&47スキー場のコースはスケート場のようにカチンコチン…。こちらが尊大に構えたところでどうにもならないから、気まぐれな自然の中で遊ぶに際し、私たちは結局のところ分相応にならざるを得ない。そういえば、吉田類はNHKで「日本百低山」という番組も持っていたっけ。キャッチコピーは「山高きが故に尊からず」、さすがである。師の金言をもう一度かみしめよう。そうさ。ああ、もうすぐ隠居の身。酒は人の上に人を造らず。