隠居たるもの、お初の店で旧交を温める。「え?吉田類さんの小さくてこれくらいの大きさのあの本?そうそう新書っていうんだっけね。へえ、『あの本で見たから』って人、初めてですよ。なんか嬉しいなぁ」、お追従でなく大将は心底に喜んでいるようだ。2025年7月3日午後6時を少しまわったところ、私たち夫婦は清澄白河はYAKITORI APOLLOのカウンターに座り、顔を合わせるのはコロナ禍をはさんで6年ぶりとなる友だちを待っていた。大将は「一見の客」である私たちに「どうやってうちを知りました?」と聞いてくる。私は答えた。「近所で暮らしているもんで『魚金だったこの建物の最上階ペントハウスに、YAKITORI APOLLOという門前仲町で人気の焼き鳥屋が越してきた』という噂はとっくに耳に届いておりましてね。その上に吉田類の『酒は人の上に人を造らず』って本を読んでいたら『馴染みのYAKITORI APOLLOに立ち寄って』なんてくだりが出てくるじゃないですか。もちろん何年も前の門前仲町を飲み歩いている話の中にですけど。だからこうして来れる日を心待ちにしていたんですよ」

かつてWINE Cafe Buugoで
深川の庵のほど近く、這ってでも帰れる距離にWINE Cafe Buugoという店があった。私たち夫婦はその店の常連衆の一角を占めていて、夜な夜な立ち寄っては近所の酒飲み友だちたちと管を巻いていた。その直後に新型コロナが襲来しあんなことになるとは想像だにしなかった6年前2019年の秋、その店を一人で切り盛りしていたオーナーが母親の介護もあって商いを畳んで郷里の青森に帰った。管を巻くカウンターを失ったとはいえ常連衆はそもそもご近所さんであるから、買い物に行く途上の道すがらばったり出会したりもすれば、たまたま入った店で隣り合わせることもあった。その度に「Buugoのカウンターに集っていたころは楽しかったなぁ、彼女はどうしてるかねぇ」などと今はない店を懐かしんだり、すっかり友だちともなった店主の身を案じたり。ときおり彼女が上京することもあったようだが、私たちが再会を果たす機会には恵まれなかった。その彼女から「7月3日から東京に行くのでいろいろお話もしたいし久しぶりにご一緒しない?」と連絡が届く。もともと7月上旬に白馬から東京に戻る予定にしていたから、その日をピッタリ3日に合わせ、庵に帰り荷を解くこともなく直接にYAKITORI APOLLOで待ち合わせることにしたのだった。

そしてYAKITORI APOLLOで
東京メトロ半蔵門線と都営地下鉄大江戸線が走る清澄白河駅のA1出口から地上に上がり、小名木川にかかる高橋は渡らずそのまま清澄通りを下ってすぐの横道に入り、ひとつ目の角を左に曲がりまっすぐ進んだ先にその建物はある。かつてこの建物の一階は魚屋の魚金だった。創業何年になるのかはあずかり知らなかったが、どんと掲げられた看板を見るにつけ相当の年季が入っていることに疑いの余地はなかった。近くに元関脇 寺尾が創設した錣山部屋(先代亡きあと元小結 豊真将が継承)もあって、大通りから一本入っただけなのにあたりにはどことなく江戸の風情が漂っていた。魚金が廃業してすぐ、門前仲町のYAKITORI APOLLOがこの建物の最上階であるペントハウスに引っ越してきた。そのうちすべて合わせて5層となる各フロアにも飲食店が入り、あれよあれよという間に建物自体が「グルメビル」に変貌する。かつて通っていた飲食店の店主と久方ぶりに顔を合わせるに際し、新しくできて地域の名物となりつつある店で待ち合わせる、それもまた乙じゃあなかろうかと思い予約を入れた。話題のスポットに初めて足を運ぶにしても絶好のシュチュエーションではある。

MASTER RECOMMEND COURSE
エレベーターの乗り口に小さなステッカーが奥ゆかしく貼ってあるだけで看板も出ていない。たどり着いたはいいが初めての店で勝手がわからない。メニューを見ても「普通の冷やしトマト」とか「買ってきたキムチ」などの前菜的なつまみ、および「焼きおにぎり」や「親子丼」などの締め的な炭水化物がまばらに並ぶばかり。肝心の焼き鳥はどうなっているんだとキョロキョロすると、カウンターに貼られた白い紙に「MASTER RECOMMEND COURSE」と記されている。5本コースの「Corvette Stingray(コルベット スティングレー)」が1,400円、8本の「Cadillac(キャディラック)」が2,240円、10本の「Lincoln Continental(リンカーン コンチネンタル)」が2,800円。そしてその下に「お一人 5本以上がノルマです」との追記。焼き鳥屋なんだからとにかく焼き鳥を食え、というわけだ。大将は「初めてだから、まずはそれぞれ5本にしたらどうです?追加という段になったら1本ずつ相談に乗りますから」と気さくに助け舟を出してくれる。私たちは安心して「Corvette Stingray」を注文した。

すべて往年のアメ車の名前から取られているコース名からも察しがつく通り、この店はあの時代のアメリカンテイストで統一されている。能天気ではあるが楽観的、現在の「トランプのアメリカ」が入り込む余地は微塵もない。そしてここはCRAZY KEN BAND友の会(深川狂剣会本部)でもあるんだそうだが、だからといってBGMがCRAZY KEN BAND一色というわけでもない。原宿クリームソーダのドクロが懐かしい。


深川ハイボール
備長炭で炙られる肉厚な焼き鳥たちがこれまた美味しい。ハツとかレバーとかここまでのモツ系にもそうそうお目にかからない。「Corvette Stingray」を食べ終えた私はさらに違った部位の焼き鳥が食べたくなり「そもそもからして8本の『Cadillac』を注文していたということにして残りの3本を提供してくれろ」とわがままを言う。大将は快く追加で焼いてくれ、その3本のうちの1本をとてつもなく美味しがる私を見た友だちが「私もあれが食べたい」と言えばその1本のみのリクエストにも応じてくれた。そのうちビールから深川ハイボール(地元クラフトジンFUEKI+SODA)に移行、このジンベースのハイボールがまた青臭くてさっぱりと焼き鳥に合う。

焼き鳥を頬張り積もる話に聞き耳を立てる
3人はこの6年で順番に60代になった。仕事にまつわる変転もあったし、大事に至ってはいないがそれぞれに身体に支障もきたした。すでに友だちのお母さんは亡くなったし、なんとかコロナ禍もやり過ごした。身体がまだなんとか動くうちにしておきたいこともある。つまり積もる話に事欠かない。そのそれぞれについて私がベラベラ語るべきではないからこのくらいにしておくが、ほぼ満席となり酒も入ってボルテージが上がる一方の周囲に比して、満腹となった初老の3人はもう少しヒソヒソ話したい。河岸を変えることにした。

スカイツリーにつながる一本道
日中あれほど暑かったのにすっかり暮れた道は思いの外に涼やかで、懐かしさを抱きつつ店を物色しながら歩くには快適だった。とはいえ時間も忘れて話し込んでいたからそこそこに夜は更けていて、目当てにしていた店も半分シャッターを下ろし営業を終えている。清澄白河周辺のホテルが取れなかった友だちは東陽町のイースト21に泊まっているという。東京のホテル宿泊料が高騰する中、都心から少し遠ざかる分、料金もいささか安いんだそうだ。最上階である21階のバーにインバウンドさんに囲まれ座を占めることにした。テーブルに面したガラス窓の向こうにスカイツリー、眼下にはそこにつながる一直線の道。7月に入ったばかりだというのに梅雨も明けるという。ああ、もうすぐ隠居の身。そんな夜に私たちは時間を惜しんで話に興じた。

情報サイト「深川くらし」より
清澄白河に移転!下町で愛される本格焼き鳥バー<YAKITORI APOLLO>|清澄:https://f-kurashi.tokyo/yakitori_apollo/
深川を愛する人に、まちの魅力をたずねる。【まちを愛する人に聞く#2】柳澤大輔|焼き鳥アポロ:https://f-kurashi.tokyo/human-interview-2/