隠居たるもの、右に左にあくせく動く。2026年1月16日、晴天の白馬は暖かかった。気温は10℃、前夜に空から落ちてきたのが雨だったこともあり、本格的シーズンはまだ始まったばかりだというのに融雪が進みまるで3月のよう。風が強く吹いてスキー場のリフトが停まり、どうにも手持ち無沙汰なインバウンドさんたちは薄着で駅周辺をウロウロ。年明け早々二週間にわたる滞在をいったん切り上げ、午後1時41分発新宿行き中央線特急38号に乗って東京に戻るべく、私たち夫婦は白馬駅まで下りてきた。馴染みのパタゴニア直営店に立ち寄り、馴染みのスタッフと「気候変動の一端なんだろうけれども、この時期にこの陽気というのはちょっと恐ろしいね」とお互いに語り合いながら発車時刻まで時間をつぶす。東京に至ってはあくる17日の土曜日にかけて気温は18℃に達しようかという。そんな夜に私は新旧理事懇親会に出席する。

車窓には山梨県の山林火災

 甲府を過ぎたころ、隣の席でつれあいがスマホを開きGoogleマップでなにやら調べ始めた。「やっぱりそうだ」と呟くから、本から顔を上げ「どうしたのか」尋ねてみると、「この中央線特急の線路はニュースになっている大規模な山火事現場のすぐ脇を走る」とのたまう。大きくしたり小さくしたりしてみても確かに線路は現場である扇山のすぐ脇を通る。「もうそろそろか」と緊張しつつ窓から進行方向を見やった夕暮れ時、居並ぶ山々の中に明瞭にはげた一画が現れた。しかもそこからうっすら煙が上がっているのがわかる。列車は速度を下げることなくずんずんと近づいていく。煙はますます濃くなる。そして唐突に扇山に向かって視界が開ける。消化活動にあたっているヘリコプターの姿が肉眼にもはっきりと捉えられる。呆然としたまま車窓に食い入る私たち夫婦をよそに、インバウンドさんとビジネス客で大半が占められた7号車の乗客たちは、目の前にある自身のスマホやタブレットはたまたPCを漫然と眺めやるだけ、倦怠感とでも呼ぶべき無関心が漂うばかり。これだけの風が吹いていたら火事は容易に収まるまい…

新旧理事懇親会

 長らく暮らしてきた深川のマンションの理事会には新旧理事懇親会という行事がある。例年11月の末か12月の初頭に開催される定期総会が任期の区切りとなり、理事から退く者もあれば、その代わりに新たに理事となる者もいる。管理会社の担当も交え、慰労会、歓迎会、打ち上げ、それらを一緒くたにして年頭に新旧理事懇親会は開かれる。もちろん気の合う者どうしが袖擦りあい酒を飲むことはあるが、理事が業者と雁首そろえてやたらめったら宴会をしていたら諸々あらぬ疑いを抱かれる。なので当マンションでは理事会として催す宴席は年に一度、これっきりを通例としている。昨年の初秋に大規模修繕を無事に終えたばかりでもあるし、今回はその大工事の打ち上げも兼ね工事業者もゲスト参加、20名あまりの宴席となった。半年にわたった大規模修繕工事の裏話もたっぷりと披露されたが、何はともあれメインイベントは私の慰労と送別だ(あくまで個人的感想です🤭)。

 20年ほど前に歓迎される側として加わり、以後20年ほど慰労し歓迎する側として席につき、そしていよいよ慰労される側として送り出される。後を託した才気あふれる若者たちに花束と記念品を贈呈されなんとも照れた。考えてみれば、長らく勤めた会社を早期定年退職したのは2020年7月、世相は新型コロナ真っ盛りだった。もちろん送別会など開かれるわけもなく、在宅ワークが基本で出社は許諾性、誰とも接することなく閑散としたオフィスで荷物をまとめ、一人ひっそり会社を後にした。だからか、遅ればせながらようやく定年退職を果たしたような心持ちを実感し感無量。二次会にも繰り出し、中華料理屋の円卓を若者たちと囲み、今後の課題について丁々発止と語り合った。そうして私はこのマンションにおける役割のようなものを完全に終えた。

電車に乗って連日のこと右往左往

 新旧理事懇親会を主たる目的として東京に戻ってきたのではあるが、戻ってきたからには済ましておくべき事柄が様々あり、連日のこと電車に乗って右往左往。17日夜の懇親会の前には東京メトロ半蔵門線と京成線を乗り継いで青砥に出向き、中高同級生のヤスが営んでいた美容院で父親の跡を継いだ娘に散髪してもらった。引退したヤスの近況を探りつつ「まったくあの野郎はしょうがねえなあ」と父に対する娘の愚痴も聞く。翌18日の午前中は父の命日が近かったもんで墓参りに出かけ、昼を過ぎてから東京メトロ半蔵門線と千代田線を乗り継ぎお茶の水、断捨離の過程で売却を決意したCD50数枚をディスクユニオンに持ち込む。「CD・DVD買取20%UPキャンペーン」の最終日ということもあって、それぞれに大きな袋を手から下げたオヤジたちで店内はごった返していた。しかし「音楽を聴くのはサブスク」が主流となった昨今、CDの買取価格はべらぼうに低い。総額で6,320円にしかならなかった。駿河台を歩いて下りて神保町、馴染みの東京堂書店でそのお金はそっくりそのまま数冊の本に変わった(実のところは足が出たのだが)。

 19日の午前中は大学時代の先輩である税理士との定例ミーティング。うちの会社の年度は1−12月だから1月はとりわけ重要な決算ミーティングとなる。といっても予想外な数字が出てくるわけもなく淡々と滞りなく終了。ほっとしたついでにここ最近に鮨屋の看板が残る建物に居抜きで入り気になっていた近所のイタリアンtomoniで昼食。東京スカイツリーのお膝元たる押上から移転してきたというからぽっと出の店ではなく、あからさまに鮨屋な店内で供されるエビとブロッコリーのペペロンチーノはなかなかに美味しかった。重宝する店になりそうだ。その足で半蔵門線に乗って日本橋に出る。

 どういうわけか奥歯の古い被せ物がポロリと落ちるのは必ずや冬の白馬での夕食中、これが4度目だった。かつての勤め先の近くに開業している歯科医が今も私のかかりつけ、院長は中高同級生の実の弟だ。弟の診断は「ずいぶんとくたびれているから型をとり新しく作り直してあらためてそれを被せましょう」。出来上がった新しい被せ物をようやく装着し、年末年始を挟んでやっとのこと歯が正常にそろった。そして20日は何日かの暖かさがまぼろしだったかのような寒波に包まれた。向かいから吹き荒ぶ北風に抗って錦糸町まで歩き、JR総武線に乗って下総中山、常用している薬の処方をしてもらうため中高同級生の主治医シックスのクリニックに向かう。とまあこれだけ右に左にとあくせく動いていたわけだが、新旧理事懇親会と並ぶ東京滞在の主たる目的がもうひとつ21日にもあった。しかしそれは待ち構えていればいいだけだった。

風呂屋2階の押入れリフォーム

 「へえ、いい部屋じゃん。もう遅いから『あけましておめでとう』というのもなんだけど、今年もよろしくお願いしますね」と中高サッカー部の同期が大工さんと担当プランナーを引き連れ朝早くからやって来た。彼は品川区で三代続く材木商、彼の代になってリフォームにも業容を広げている。この春から「東京の拠点」となる銭湯二階の簡単な改装を依頼していた。綺麗に手入れされているとはいえなにせ古くからの賃貸物件、かろうじて襖を引き戸に変えてはあるものの押入れがふたつ連なっている。布団を敷いて暮らすわけではないから、この押入れに収納するだけのモノがない。反対にクローゼットが見当たらず、コートなど長いものは箪笥を持たないとしまうことができない。なので大家さんに「この部屋が大変に気に入っておりまして長く住まわせていただく所存なのですが、つきましては当然のこと費用はこちらで持ちますので押入れを簡便なクローゼットに改装させていただけないでしょうか」と交渉し、快諾を得ていたのである。 

 片方の押入れの中段を撤去し、その奥にフレームを打ち込み可動式の棚をこしらえる。仕事で使っていたZラックがそのまま入るから長いものはここにかければいい。もう片方の押入れにはバーを取り付けハンガーをかけられるようにした。こんな小さな工事も嫌な顔せずやってくれるから友だちというのはありがたい。しかしこうして書き並べてみると、友だちたちのおかげで暮らせていることがあらためてよくわかる。兎にも角にも、東京スカイツリーを日々に眺めつつ右往左往した東京滞在はこれにてお開き、22日には再びの今季最強寒波のなか白馬に戻る。ああ、もうすぐ隠居の身。到着時の気温は−7℃と予報されている。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です