隠居たるもの、追憶のハイウェイを駆け抜ける。2026年6月19日午前8時32分、数日前に納車された新車のドライバー席に落ち着き、カーナビに「安土城跡」と目的地を打ち込んでいた。旅に出るのは久しぶりのことだ。ここ数年来、コロナ禍に白馬に散種荘ができあがり東京と頻繁に行き来もすれば、新しくできた拠点を中心とする周辺域に足を延ばすことで「旅への渇望」らしきものが充分に満たされてもいた。ゆえに場当たり的な「Go To Travelキャンペーン」に惑わされることもなかった。それではなぜに今さら旅に誘われたのか。東京は深川のマンションを売却して白馬を本拠とするに際し、久しぶりに車を買ったからだ。容易に移動できる手段が手に入れば「どこか遠くへ行きたい」と思うのは人情である。そしたらなぜに目的地は安土城跡なのか。そこ近江八幡に、古くからの友だちが暮らしているからだ。

慣らし運転、いざ近江八幡へ!
7年前の6月末、悲しいこと大学時代の同期の友だちが逝った。彼の葬儀で、居住地もバラバラで30年以上も会ってなかった同期数人と再会を果たした。その中に夫婦となり近江八幡に暮らす二人がいて、このブログに過去なんども登場願っているように、ばったり47スキー場で出会したり、縁あってか彼らとは白馬で何度も顔を合わす。その度に披露される夫婦漫才のような掛け合いに、呆気に取られながらつれあいもすっかり魅了された。しかし白馬に遊びに来る際、そのほとんどを彼らは車に乗ってやってくるわけで、ならばその返礼として「納車されたあかつきには慣らし運転を兼ねてこちとらも近江八幡へと出向こうじゃねえか」と啖呵を切っていた、とまあそういうわけである。

安土城跡でさんざっぱら蚊に食われる
20代から30代にかけて、仕事で常に車を運転せざるを得なかった私は、長時間ハンドルを握ることが今も苦にならない。マイカーを所有するのはほぼ9年ぶり、新車の操作を確かめながら休憩を挟んでほぼ6時間半に及んだドライブを楽しみ、午後3時あたりに安土城跡に到着した。そして城跡を見上げていささかの不安を憶える。これほどの石段(段差も大きく405段)とは想像していなかった。織田信長にシンパシーを抱いているわけではないから逡巡しないでもなかったが、せっかくここまで来たのだし「ここはひとつ登ってみようじゃないの」と奮起する。しかし、息が上がるシュチュエーションを苦手とするつれあいの言葉数が少なくなる、汗がひっきりなしに流れ落ちる、それが奴らを誘うのか、さんざっぱら蚊の襲来を受ける、つまりは這々の体だったのである。いくら権威を見せつけるためとはいえ、あれほどに急峻な通勤路で部下たちを天守まで日々に出勤させる信長、やはり桁違いののハラスメンターである。

八幡堀から近江牛
そうこうするうちすっかり夕暮れ時、30℃を超えていた気温も落ち着いた。最終一本前の八幡山ロープウェイに飛び乗り山の上から琵琶湖を望み、蚊に食われたところをポリポリ気にしながら人もまばらになった八幡堀をゆっくりと散策する。こぢんまりとした観光スポットに涼風が渡って静かに満ち足りる。こうした感慨はきっと安土城跡を登って降りた者にしか訪れまい。友だち夫婦との合流はこの日の宿泊先であるホテルニュウオウミのロビー、午後6時半だ。

数えてみると5箇所も蚊に食われていた。汗もかいたしホテルに着くなりシャワーも浴びて、こんなこともあろうかとつれあいが持参していたムヒを塗りたくる。なんとか時間通りにロビーに下りて、友だち夫婦に近江牛の店に連れていってもらう。彼らが予約しておいてくれた店はいささか街から離れて建つ。だからこそ平屋の店からの眺めは絶景で、近江牛は大変に美味だった。なんとも愉しい旅の空。確かめてみたら、私たち夫婦が旅行という旅行をするのは2020年3月に富良野へスノーボードを滑りにいって以来、なんと6年と3ヶ月ぶりだった。せっかくだからとこの場は友だち夫婦が奢ってくれるという。今回ばかりはありがたくご馳走になっておこう。忘れやしないさ、「借り」ってやつだ。

旅の二日目は大型犬との異種格闘技戦で始まる
翌6月20日はあいにくのこと雨だった。とはいえ梅雨なのだから仕方ない。近頃のホテルときたら大したものを並べるわけでもないのに朝食に法外な値をつける。それゆえ近くにコンビニだってあろうと食事抜きの素泊まりで予約しておいたところ「ならばうちに朝食を食べに来い」と友だちが言う。お言葉に甘えて車を走らせた。さすが慣らし運転が主眼の旅行、この車でワイパーを動かす初めての場面だ。友だちの家に着くなり、まだ幼い大型犬2頭に襲いかかられ首根っこを押さえながらしばし格闘する。再会を祝しているのだろう。親愛の情の表現が荒々しくもストレートで可愛らしい。大型テレビで放映されているW杯は彼らには関係ないようだ。しかし友だち夫婦のダンナの方と私には大いに関係がある。40年前となる1986年W杯メキシコ大会、それも準々決勝のアルゼンチン対イングランド、マラドーナが伝説となる「神の手ゴール」と5人抜きを披露したあの試合、今となっては思い出せないが東京でなにかがあり私の家に泊まっていた彼と、私の部屋にあった小さなテレビでいっしょに生で観ていたことを懐かしく想い出す。

雨にけぶる三井寺と霧の中の比叡山延暦寺
幸いなこと雨も小降りで済んでいるので観光に出ることにして「雨にけぶる三井寺と延暦寺はかえって乙」というアドバイスに従い、昼から夕方にかけて天台宗の二大寺院を訪れる算段をつける。東京で暮らしてきた私は失礼なこと三井寺を知らずにいたが、雨にけぶる名刹は確かに比類なきものであった。天候のせいで人も少ない境内には凛とした気品が滲み出していた。見学後に名物である長寿そばを昼食にすすりながら「いやあ、このシュチュエーション、かえって幸運だったね」などとつれあいと語り合いながら「この歳になると『長寿そば』を注文するにしてもそこには真剣な趣きがある」などと付け加えるのも忘れないのであった。

延暦寺は比叡山の上にある。三井寺をあとにし延暦寺に向かうには比叡山ドライブウェイというくねくねした有料道路を登らなければいけない。この道を走り始めるなりどうにも雲行きが怪しくなった。雨足が強くなり霧(というか雲)が漂い始める。さすが慣らし運転が主眼の旅行、この車で霧に包まれたワインディングロードを走行する初めての場面だ。こうした局面で適切にライトが点くのかどうかも確かめる。なにを隠そう山道の運転が好きな私、久しぶりにゾクゾクと腕が鳴る。おかげさまで延暦寺にも人は少なく、幻想的ともいえる光景をひっそりと満喫できた。

メインイベントは同期会
この旅のメインイベントは実のところこの夜の宴会にあった。浅ましい誹謗中傷や陰謀のためでなく正しく使えばSNSというのはやはり便利なもの、ここ最近でそれをきっかけとしてあらためて40年ぶりに繋がりを確保できた京都で暮らす同期がいた。せっかく滋賀まで来ておいて彼に会わない手はなかろう。ならば「何人か集めて京都で宴会をしようぜ」と私の中で盛り上がり、あちこちに声をかけてみた。その結果、通っていた大学も違えば暮らす場所も違う同期の者が6人、そのうちの一人と結婚している私が通っていた大学の先輩も1人誘い、さらに京都の大学で教鞭をとる私が通っていた大学の後輩も1人駆けつけてくれ、そこに私のつれあいも加わり、総勢9人で宴会が催されることになった。京都で暮らす同期が予約してくれたのは東九条の名店 水月亭、ここの自家製マッコリにすっかりきこしめして泥酔したのもまた40年前のことになる。


水月亭の食べログ:https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260101/26002383/

ほぼ40年ぶりに顔を合わせる同期が2人いて、そうともなれば参加者みなに高揚感らしきものが通底していて誰もが「今日は長くなる」と考えていたにも関わらず、宴会は否応なくのっけから盛り上がる。それではどのような経過を辿って盛り上がったのかをここで再現しようと試みるのは野暮というものだし土台は無理な話。予定通り二次会に繰り出し長くて愉しい夜となった。しかしあれから40年、ここだけは年の功、もう泥酔する者はいない。そして名残惜しくも再会を約してそれぞれにまた散っていった。

慣らし運転を無事に終える
翌6月21日、雨はすっかり上がったけれど昨日の今日で観光に繰り出すのも億劫で、幸いなことBooking.comのタイムセールで安く取れていた大津は湖畔の名門 琵琶湖ホテル、チェックアウトまでゆっくりくつろぐことにした。すっかり声が枯れている。海のような湖を望む大浴場で身体を伸ばす。悲しいことにあいつは死んでしまったけれど、あの日をきっかけに私たちはこうして着々と再会を積み重ねている。そして新車の慣らし運転を主眼とするこの旅の全走行距離は850km。この車、燃費はいいし快適で取り回しも軽快、いい相棒になりそうだ。松尾芭蕉の句を思い起こす。ああ、もうすぐ隠居の身。旅に病み 夢は枯野を かけめぐる。
