隠居たるもの、同日中に交錯する悲喜交々。2026年10月19日月曜日午前10時、私は「なるほど『ひきこもごも』とはそう書くのだったか」などとひとりごちながら、深川の内科医院の待合室に座っていた。だからといって身体のどこかに変調をきたしているわけではない。東京都江東区では、6月から12月までの間に年齢末尾が偶数となる50代と60代の区民にかぎり、内視鏡による(つまりは胃カメラによる)胃がん検診を地域の医療機関で受診すると補助が出る。私は今年の5月に62歳になった。そろそろ検診を受けねばと申し込んでみると「まずは問診が必要」と地域の医療機関は言う。だからこうして予約を取って診察室から呼ばれるのを待っている、とまあこういうわけだ。手持ち無沙汰の徒然に「この予約を取ったのはいつだったか」と気になりスマホの電話アプリをおもむろに開く。ああ、そうか、13日の朝か…。その日の夜のことだった、この10月に62歳になったばかりの中学高校の同級生が永眠したのは。

初老の身の健康事情
引越しの最中である5月に生活習慣病検診を受けていた。ならばなぜに胃がん検診をあらためて受けねばならないのか。持病として結腸にいくつかの憩室(ポケットみたいな小部屋)を持つ私のような者は、そこに入り込んだまま固まってしまう懸念を払拭できないがゆえ、バリウムによる胃の検診を実施してもらえない。「それでは胃カメラで」と「特別扱い」を願い出ると概ね料金が10,000円ほど跳ね上がる。だから胃の検診そのものを省いてその分安くしてもらい、別途こうして補助に基づき受診するというわけだ。いまだ住民票を江東区に置き住民税もこちらに支払っているのだからバチもあたるまい。会社勤めでなくなると万事こうして自分のことは自分で気にかけないといけない。あいつももう少し自分のことを気にかけていたらなあ、家族のためにもそうだよ馬鹿野郎、事故でもなく心臓発作みたいな突発的な病でもなくガンでもないのにさ、たった62歳で死んじまうなんて今どきそんなことあるかい、病院の待合室で前々日前日と二日にわたって参列したあいつの葬儀が頭に浮かび、ついそんなことを思ってしまう。

そもそもの帰京日程
遺族の意向は「葬儀は家族葬にて執り行いたい」とのこと、もちろん何にも増してそれは尊重すべきこと。とはいえ私たちは中学1年のときから、つまりは半世紀に及ぶつきあいなのである。喪主である奥さんと窓口となる同級生の簡単なやり取りを経て、とりわけ繋がりが深かった者たち十数名だけ、最後の別れに参列させてもらうことにした。葬儀場は西日暮里の道灌山。17日土曜日のお通夜に駆けつけた者もいれば、18日日曜日の告別式になんとか間に合った者もいる。葬儀の様子を見ながら迷惑にはなりそうもないと判断し両日ともに参列した私のような者も何人かいる。そこで数人の同級生から「このために白馬から?」と聞かれた。その都度ありのままに「いやたまたま予定があってね、最初から16日の金曜日に戻ってくることにしてはいたんだ」と私は答える。

「へえ、なんの予定だい?」とたいがい続くから、またありのままに「大学の同級生がお稽古事で能をやっていてね、自分も舞台に立つ発表会があるんで『よかったら』と誘われていて、面白そうだから観に行くことにしていたんだ。それがたまたま17日だったというわけさ」と応じる。すると同級生はどういう顔をしたらいいのかわからないという表情で「なるほど、ちょうどタイミングが合ったということか…」と困ったような相槌を打つ。バレー部のあいつが「危ないらしい」と知らされたのは10月初旬、伝え聞く状況からしてどうやら厳しそうで、もし葬儀があるとして帰京日程とどう前後するか、そんなことを密かに想定して気を揉んでいたのも事実だが、こうもぴったり「タイミングが合っ」てしまうとは。いざとなったらどうとでもするんだから、そっちの方でここまで帳尻を合わせてくれる必要はないんだ。まったくもって馬鹿野郎だ、「このために白馬から?」と聞かれて「もちろんそうさ」とカッコつけさせろよ。

国立能楽堂
初老になってから能を習っている文学部ドイツ語Q組の同級生から、本来ならこっそり済ませたいのだが「皆様のお目に触れることが何より稽古の励みになると先生からも厳しく申しつけられており」と、おずおず国立能楽堂で17日に開催される発表会に誘われた。能を生で観たことがない。映像でじっくり観たことだってない。こんな機会がなければ国立能楽堂に足を運ぶ機会なぞこれからもないだろうから、つれあいともども喜んでうかがうことにした。つれあいは着物をまとい、そのままお通夜に出向く私は当然のこと久しぶりにスーツを着る。東京に生まれ育ちサッカー観戦にこれまでさんざっぱら国立競技場に足を運んできたにも関わらず、そのすぐそばの国立能楽堂には足を踏み入れたことすらない。ドイツ語Q組の友だち二人とは、午後3時ごろだという出番を目安に時間をすり合わせてあるから、会場で容易に落ち合うことができるだろう。


能の中間表情
いくらかなりとも能に通じている者が一人もいないから「実のところ上手いのかどうかもよくわかんないよな。でも能楽堂そのものはやっぱり立派だし、バックを固めていた地謠や囃子方はさすがに本物、『よ〜』って掛け声とかスネアみたいに乾いた鼓の『ポンッ!』て音とか、ありゃあすごかった」なんて門外漢4人は勝手なことを語り合う。友だちが出る少し前から観ていた私たち、合計で三演目1時間40分ほどの鑑賞を終え代々木駅まで歩いて軽く一杯やっている。友だちが披露したのは能の一曲の中から見どころとなる「舞(まいごと)」の部分だけを抜き出し略式で上演する舞囃子(まいばやし)、面や派手な装束は着けず紋付袴で演じるものなんだそうだ。その姿を思い起こし「能に笑顔ってないんだろうね」なんてさらに勝手なことを言う。あとで教えてもらったところによると能とは「喜怒哀楽のどれか一つに固定されず最小限の動きで無限の表情を見せる」もので、それを指して中間表情ともいうのだそうだ。初めて知ることなど世の中にはまだまだすぐそこにたくさん転がっているもんだ。

代々木から山手線に乗って西日暮里へ
「これからお通夜なのに酒飲んで大丈夫か?」「5時20分までには葬儀場に向かうからどちらにしろ一杯か二杯だし。それに死んだあいつはそれがもとで寿命を縮めてしまったんだけれどめっぽう酒が好きだった。今日ばかりはいわば供養ってえやつだよ」なんて語らいつつ、「近いうちにまた会おう」と約束を交わして大学時代の同級生たちとはそこそこに別れた。つれあいは銭湯の二階に帰り、残りの友だちは二人でもう少し飲みに行くという。古典落語に「道灌(どうかん)」という演目がある。「生半可な教養をかじって失敗する」江戸っ子の滑稽な様子を描いた噺だ。ここに出てくる道灌とは、徳川が入ってくるずっと前、つまりは室町時代に江戸を根城とした太田道灌のことで、同級生の弔いが執り行われる葬儀場がある道灌山という地名も当然のことこの武将に由来する(異説もあるが)。私は代々木駅から山手線に乗って、そんなことをつらつらと考えながら西日暮里に向かった。

再会を約し病院に予約を入れる
どれくらい前のこととなろうか、中学高校同級生の親たちが立て続けに鬼籍に入った時期がいっときあった。私たちはその都度に礼服でお通夜に集い、その後どこかの店に立ち寄りしみじみ飲んだものである。つれあいもそんな席に居合わせ死んでしまったあいつとよく飲んでいた。だから「迷惑にならないなら」と告別式になってつれあいも参列した。久しぶりに葬儀で集い「変わんないね」と声をかけ合ったりもするけれど、実のところそれぞれがすでにいろんな薬を飲んでいたりもする。なにせ死んでしまったのは同級生なのだ。そして残った私たちはガキのころからの友だちだから、再会の約束をするにしても「近いうちにまた会おうぜ、それまではとりあえず生きてろよ」などと乱暴な口をきく。

問診を経て、とりたてて目くじらをたてる既往症もないことが確認され、留意点と注意事項が伝えられ、胃がん検診は帰京日程に合わせた来月に実施されることとなった。ものはついでだから同じ日に歯の定期検診も予約しようとかかりつけの歯科医に電話する。首尾よく済んで電話を切ろうとしたら応対していた事務員が「あ、少しお待ちください」とどういうわけか慌て出す。保留後に電話に出てきたのは歯科医本人で、治療中の患者を放り出したのか、「聞いていますか?」と血相を変えている。そう、私のかかりつけ歯科医は同級生の弟で、死んでしまったあいつを敬愛していたのだった。「うん、葬儀にも顔を出したよ。そこで兄貴にも会ってる」それを聞いた歯科医はほっとして受話器を下ろした。ああ、もうすぐ隠居の身。悲喜交々交錯する中で健康に留意する。