隠居たるもの、時には庵で蟄居する。昨晩からしとしと冷たい雨が降り続いている。天気予報がはしゃいだほどの雪にはならず、静かに雨が降り続いている。こんな雨を日中ベランダ越しに眺めていると、村上春樹「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の一節が必ずや思い浮かぶ。レンタ・カー事務所の女の子がボブ・ディランを評する場面だ。「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声なんです」と。今日も変わらずその一節を思い浮かべ、なんと見事な表現だろうとあらためて感嘆する。にも関わらず、朝から私が続けざまに聴いているのはR.E.M.だ。

1月30日木曜日までは蟄居を命ず

先週後半に蔵王の旅を終え、いまだ隠居にたどり着いていない我が身、昨日の月曜日より勤務先に赴くつもりでいた。ところが、日曜日の昼食後に寒気がすると思って熱を計ったら39度。月曜日の診察開始を待って病院にかかったら、インフルエンザA型と診断された。少なくとも感染力が持続する木曜日までは蟄居するよう命じられてしまう。今までにインフルエンザに感染したことがなく、つれあいや父親が罹患し看病した時だってうつらなかった。「こちとら子供の頃はまだ乱暴な時代だったから、無闇矢鱈に予防注射された貯金がたっぷりと残ってるのさ」などとうそぶいていたものだが、どうやらそれも底をついたようだ。友人は「たまに高熱出した方が身体がすっきりするように思うぞ」と励ましてくれたし、何年も高熱を出してなかったところでたまった毒を抜いてる感じがしないでもない。酒を一滴も口にしない日が2日続いていることにも驚いてしまう。そちらはもう10年ぶりくらいになろうか。

カーディガン親父

外出先ではセーター男子を気取る私であるが、我が庵では「カーディガン親父」である。グレーの薄手、亡き父に着せていたものを没後つれあいにつくろってもらって着ているブラウンの中庸、濃いグリーンの厚手、麻の明るいベージュの春先用、この4つを陽気に合わせたバリエーションとしている。物持ちがいいから何年もこの陣容である。この冬は暖かいし、フリースベストでなんとはなしに誤魔化してしまうことが多かったのだけれども、こうして日がな一日となると、自然素材のニットが醸してくれる包まれ感・くつろぎ感は比ぶべくもない。セーターとは違って、カーディガンは●●●(スリードッツ)のザックリしたやつが好きだ。そういえば2年から3年前にかけて、暮らすマンションが排管更新工事という一大工事を控え、意見交換会やら工事説明会やら頻繁に会合を持った頃のことだ。常にみなさんの前で司会をし説明する役を担うに際し、1階のコミュニティルーム開催だし、よそいきのカッコなどしない。その時はブラウンのカーディガンを羽織っていた。年輩の女性にこう声をかけられた。「理事長、カーディガン姿が素敵よ♡ 近頃、男の人はあまり着ないでしょ。」

なぜ今日はR.E.M.なのか

国会中継を見てしまったからである。平日の日中にすることもなく1人で庵にいることなどそうそうないし、ニュース番組で取り上げられる断片しか普段は目にしないから、つい見てみようと思っちゃったのである。なんだあれは?将来のある子供にはとてもじゃないが見せられない。偉そうにふんぞり返って、シラを切ることすらせず質問には何も答えない、関係ない者にダラダラと話をすり替えさせて時間を潰し、それでいて芝居がかった蔑むような態度に終始する。こんな人たちを「選良」と呼ぶのか?一体全体、それで何を「取り戻す」というんだ?暗澹たる気分…。しかし、療養の身である。少しでも清廉な気持ちを取り戻したかった。

R.E.M.は1980年に結成された米国のロックバンド。2011年に活動を終えている。解散ではない。1984年、私が大学2年の時、彼らはツアーの一環で母校にやって来た。楽曲とバンドの姿勢にこめられた文学的で政治的なメッセージや高いアート性でアンダーグラウンドシーンに君臨し、ことあるごとに頼りにされたバンドである。なぜ頼りにされたのか、清廉だったからだ。テレビを消して、そんな彼らのアルバムを発表順に聴いている。なにごとかに汲々とすることなく、2011年に「生涯の友として共に歩んできたR.E.M.としての活動を、終わりにすることに決めた。」とコメントし、彼らは50歳くらいであっさりと活動を終えてしまった。考えてみると、「隠居道」の偉大な先達なのかもしれない。だけれど、こう思うこともある。米国、あんなだぜ?R.E.M.が今いてくれたらなぁ、と。

激しい雨が降る

まだ雨は降っているようだし、そろそろボブ・ディランに変えようか。そういえば、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」はディランの「激しい雨が降る」が流れる場面で物語を終える。ああ、もうすぐ隠居の身。まさしく今、「激しい雨」が降っている。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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