隠居たるもの、時には甘味を所望する。「肉まんとあんまん、どっちにする?」幾度となく問いただされても必ず「肉まん」と応じて、「この坊主は間違いなく酒飲みになるだろう」とお墨付きをいただいた幼少のみぎりより、私はそれほど甘いものを好まなかった。周囲の大人たちの期待に違わず立派な酒飲みとなってからは尚更だった。そうした好みも歳とともに変わるものなのだろうか、それともかつてほどの酒量をこなせなくなったその穴埋めなのだろうか。このところはやはり3時あたりに甘いものを食したくなる。

朝の連続テレビ小説「エール」第8週「紺碧の空」

映画は観ても、テレビドラマを観る習慣がない。例外がNHK朝の連続テレビ小説で、7年前の「あまちゃん」以来、日々のリズムを作るためにチャンネルを合わせるようになった。現在放送中の「エール」もしかりだ。新型コロナ禍で収録ができず、6月後半から繰り返しの再放送となっていても、もはや日課だから朝になったらやっぱり「エール」を観ている。先週の土曜日から昨日の8月13日木曜日までが第8週「紺碧の空」の再放送だった。今のところ、これがこのドラマの中の最高のエピソードだと思う。私がくどくど述べ立てるまでもないが、「エール」は作曲家 古関裕而をモデルにしたドラマで、早稲田大学応援歌「紺碧の空」は実際に彼の作品だ。売れないレコード会社専属作曲家のもとに大挙して早稲田大学応援団がやってきて、「新しい応援歌を作曲してほしい」とせまる。

創作活動に思い悩む作曲家は引き受けておきながら投げやりな態度をとるのだが、三浦貴大が演ずる福岡弁の団長(暑苦しい演技が笑わせる)は諦めない。彼は作曲家に涙ながらに話す。九州の片田舎でバッテリーを組んでいた親友に大怪我を負わせてしまい、才能豊かだった彼の野球の道を断ってしまった、その親友は病院でラジオの早慶戦の中継を聴いて自らを鼓舞していたという。その友に「俺にできることなかね?」と聞くと、「早稲田を勝たせてくれ」と友は答えた。「野球の技量がない」自分にできるのは、そんな友に気持ちを届けるためにも「選手が頑張れるように応援すること」、だから「新しい応援歌を作ってくれ」と頭を下げる。作曲家から自己顕示欲という憑物が落ちて、「紺碧の空」作曲に真剣に取り組むことが約束される。1931年のことだ。どこまで事実に忠実かはわからないが(近藤正高さん「タモリの無名時代と早稲田『紺碧の空』の意外な接点:朝ドラ『エール』外伝」という記事に「へえ」となった)、気持ちが通じて安心した団長が「これなんですか?おいしかですね」と涙も乾かないうちにシュークリームにぱくつくシーンはとてもとても素敵だった。そして、何を隠そう団長がぱくついていたのは、我が庵の近くに古くからある洋菓子屋さん シュベーネのシュークリームなのだ。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74753

クリーニング屋さんの向かいに洋菓子屋さん シュベーネはある

そんな噂を聞きつけて、団長が美味しそうに頬張るシュークリームを思い浮かべ、久しぶりにシュベーネのお菓子が食べたくなったつれあいが買って帰ってきたのが、冒頭に掲載した写真のケーキというわけだ。「いま、甘いものを食べてるぅ」という実感が体の隅々まで行き渡る。だからといって砂糖べったりに甘いわけではない。そこが技量ということなのだろう。ずいぶん前に「今だって『向こう三軒両隣り』」(https://inkyo-soon.com/doteyaki/)という省察を著したが、その段にはどて焼きをお土産にと持ってきてくれた同じマンションに住む大学生男子が登場する。その子がアルバイトをしていたのがこのお店だ。最初のまとまったバイト料で自動車免許を取得するにあたり、自動車教習所に口利きしてくれたのはこのお店のダンナさんだと聞いている。再放送を見るにつけ、今度こそはシュークリームを食べたいと思っている。

https://schwane.jimdofree.com/ケーキ-1/

「紺碧の空」を歌う

「エール」の放送再開はいつになるのだろうか。そもそもは、延期になった東京オリンピックを盛り上げるために、1964年の東京「オリンピックマーチ」作曲者のドラマを今年にあてたのであろうに…。そして、古関裕而は「勝って来るぞと勇ましく」の歌い出しで知られる「露営の歌」をはじめ、数多くの軍歌を作曲し「軍歌の覇者」と呼ばれた人である。自らの作品で戦地に送られ、戦死した人への自責の念を持ち続けていたとも聞くが、ドラマではどのように描かれるのだろうか。私は目を離さないでおく。

さて、今日の夕方は姪孫(てっそん)のメロン坊やに木場公園に呼び出されているんだ。KIBACOという新しいカフェができたので陽が落ちてから散歩がてら偵察に行かないかというのだ。それにメロン坊や、昨日に初めてどこかに寄りかかることなく2本の脚で自力で立つことに成功した。その姿も披露したいのだろう。「大叔父、見ててよ」と君が頑張るのならば、昔とった杵柄さ、二番まで諳んじることができるもの。ああ、もうすぐ隠居の身。「紺碧の空」を歌って進ぜよう。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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