隠居たるもの、この40年に思いを致す。今年は1940年10月9日に生まれたジョン・レノンの生誕80年にあたるんだそうだ。それに合わせて新たにリマスターされたベスト盤が、収録曲の数に違いを持たせて各種、CDとレコードそれぞれで、まさしく当日である10月9日に発売された。12日にふらりとdisk unionを訪れた私は、この新譜を見つけ2枚組のレコードで購入していた。プレイヤーは山の散種荘にあるからまだ聴いていない。ジョン・レノンが熱狂的なファンに銃撃されて亡くなったのは1980年12月8日(日本時間9日)、彼が40歳のときだった。それからだってもう40年になる。私たちは彼の曲を聴きながら、彼のいないこの40年を過ごしてきた。
私はジョン・レノン派
ほぼ1年前、「ABBAで始まる“NO MUSIC, NO LIFE !”」(https://inkyo-soon.com/no-music-no-life/)で、音楽遍歴の出発点を省察しているが、中学に入ると、7年前の1970年に解散した「ビートルズ」のことを教えてくれる者がいた。この世界に、美空ひばり、都はるみ、五木ひろし、尾崎紀世彦、沢田研二といった歌手がいることは知っていたが、ビートルズのことを教わったことはない。育った環境で聴いた覚えがない音楽に夢中になった。そのうちに、どの曲がジョンのもので、どれがポールで、ときおりテイストが変わる素晴らしい曲がジョージ、ということもわかってくる。高校に上がると、前段「disk union で人格は形成された」(https://inkyo-soon.com/disk-union/)で省察したように、中心的に聴くものがビートルズ周辺から遠ざかる。「人格」の形成とともに好む対象もはっきりとする。「ビートルズのメンバーでは誰が?」とよくされる質問に、「ジョン・レノン派」さっぱりとそう答えるようになった。時には斜めから時には正面から世界と対峙し、ベトナム戦争と不毛な冷戦に抗議し、「正義を我らに」と歌う彼に想いを入れるのは私からすれば当然の成り行きだった。新たに発表されたこのアルバムのジャケット写真は、1965年に外貨獲得に貢献したとして授与された大英帝国勲章を、英国のベトナム戦争支持に抗議して1969年に返上しに行ったその時の横顔なのだそうだ。かっこいい。
1980年12月8日(日本時間9日)
ジョン・レノンが殺害されたのは、大きな通りを隔ててセントラルパークの向かいにあるダコタハウス、その建物を見上げるあたりの公園内に「イマジンの碑」がある。これまでニューヨークに2度行った。近くに自然史博物館があったりするから、2度ともここを訪れた。1980年12月8日(日本時間では9日)、私は高校1年生だった。人生の中で最もヤケのヤンパチの頃で、学校をズル休みして朝寝坊し、頭痛は治ったからと午後から通学定期を使って石丸電気レコード館とやはりdisk unionに出向いて時間をつぶし、なにか買ったのかどうかも今となっては想い出すことはできず、暗くなってから帰宅して、「ビートルズが死んだらしいぞ」と親父に大雑把に教えられてなんのことやらさっぱりわからず、それがジョンのことだと知って食卓の前で立ち尽くしたことをはっきりと記憶している。彼は40歳で死んじゃったけれど、少年期に仰ぎ見たがゆえ、私にとっていつまでも「歳上」のロールモデルであることに変わりはない。オノ・ヨーコとの間に生まれた5歳の息子ショーンに、自分が何者であるかを示すため5年ぶりにリリースした「(Just Like)Starting Over」の歌詞が、この歳になるとあまりにも沁みる。「僕らは成長した、年もとった…まるで新しいスタートを切るように、また最初から始めよう」のっけから彼はそう歌う。彼が亡くなるひと月前のことだった。
真心ブラザーズの「拝啓、ジョン・レノン」
真心ブラザースに1996年にリリースした「拝啓ジョン・レノン」という曲がある。発売時に一部の放送局で「歌詞がレノンを冒涜している」と放送禁止になったそうだ。その歌詞を見るにつけ、この人たちのどこに目がついていたのか不思議でならない。この曲を作ったのは私より3つ年下の倉持陽一。こんな歌詞で始まる。
拝啓、ジョン・レノン
あなたがこの世から去り ずいぶん経ちますが、まだまだ世界は暴力にあふれ 平和ではありません
僕があなたを知ったときは、ブルース・リーと同じようにこの世にあなたはいませんでしたね
十代中頃でファンになってから一番かぶれてた二十歳の頃
続いて「人格」が形成される青少年期にジョン・レノンやビートルズとの距離感が微妙に揺れ動くことを見事に歌い、しかしジョンが歌にしたことが今も何も変わっていないことに気づいて敬愛を新たにする、その心情が素直にのった素晴らしい曲だ。この曲を初めて聴いたとき、2人のカリスマを正しく並び称していることにひとしきり感心したものだ。
*あらためてミュージックビデオを見ると、「俺たちの旅」へと続く「俺たちシリーズ」の第1弾、松田優作と中村雅俊が共演した刑事ドラマ「俺たちの勲章」のあからさまなパロディなのがとてもおかしい。どうやら、田舎町で逮捕された傷害犯の護送を命じられた2人が、その傷害犯を狙う刺客に次々に襲われる第12回「海を撃った日」が元ネタのようだ。あまりに真っ向から気持ちをつづちゃったんで照れ臭かったのだろう。(最後にそのMVも添付するのでぜひどうぞ)
ブルース・リーも生誕80年だった
ビートルズも知らない小学4年の頃、そのブルース・リーに焦がれるほどに憧れていた。ジェームス・コバーンやスティーブ・マックイーン、バスケ界のカリスマ カール・アブドゥル=ジャバーを弟子に持つ、映画界初のアジア出身世界的スーパースターだ。彼は惜しいことにたった32歳で死んでしまったけれど、生きていたら11月27日で80歳なのだそうだ。この2人、実は同い年だった…。
中国にルーツを持つブルース・リーがどうだったかは知らないが、ジョン・レノンはFBIやCIAにマークされていたという。当時の米国大統領は、後にウォーターゲート事件が発覚するリチャード・ニクソン。ジョンは彼にとって排除したい対象だったに違いない。日本学術会議会員に推薦された6名の任命拒否を取り仕切ったと取り沙汰されている、ジョンやブルース・リーよりひとつ年下の杉田和博内閣官房副長官は、内閣官房内閣情報調査室、つまり日本のCIAの室長だった人だ。この8年ほど、官邸で頼りにされ今も絶大な力をふるっているのはなにを隠そう諜報機関の実力者なのだ。さもありなんだ。ジョン・レノン生誕80年に思う。「あなたがこの世から去り ずいぶん経ちますが、まだまだ世界は暴力にあふれ 平和ではありません」ああ、もうすぐ隠居の身。「拝啓、ジョン・レノン」なのである。