隠居たるもの、定点観測を怠らない。散種荘ができあがり、季節の節目とともに白馬との二拠点生活をおっかなびっくり始めた私たちである。「え?移住するの?」と聞かれることも多いが、今のところはあくまでも“二拠点生活”であり、その中心はいまだ江東区の深川だ。となると、憩いの場は相も変わらず庵から歩いて10分ほどの木場公園なのだ。今日もすっかり色づいた木場公園へ、昼食後の腹ごなしとばかり散歩に行ってきたところだ。

木場公園はメロン坊やの散歩コースでもある

こちらで暮らすとき、木場公園を散歩することで季節の移ろいを感じている。桜、新緑、深緑と蝉の音、紅葉、そして落葉…。今年の場合、唐突に公立学校の休校が宣せられた3月上旬からというもの、そこに新型コロナに右往左往する世相が上乗せされた。緊急事態宣言もからんで行き場をなくした人たちが公園に押し寄せごった返す、今までに見たこともないあの光景はついこの間のことだ。5月の省察「すさんじまった悲しみに、転んだおばあさんに助け舟を出す。」(https://inkyo-soon.com/help-boat/)で紹介した顛末に、心持ちが殺伐としたこともあった。(後日、やはり木場公園を朗らかに散歩しておられる当の転んだおばあさんとすれ違い、心底から晴れやかな気分になったものだ)この秋になって木場公園はすっかりと落ち着いている。東京の夏が長く過酷すぎるからか、このところの紅葉は以前に比べてもうひとつ鮮やかではない。そのことが残念ではあるが、二足歩行が板についたメロン坊やも、育児休暇が明けて在宅で勤務を再開した姪の息抜きにお供し、木場公園に頻繁に来ているようだ。

メロン坊やが真実を明るみにさらす

「あっ!」のひと言ですべてを表現する1歳2ヶ月のメロン坊やである。「こんにちは。」も「あっ!」、「これを見て」も「あっ!」、「これはなに?」も「あっ!」、「あれすごいね!」も「あっ!」。この「あっ!」がどの「あっ!」なのか、表情を勘案しながら推察する醍醐味を私たちに提供してくれる。こんなメロン坊やだからこそ、隠された真実を明るみに出すこともある。休日ともなると、木場公園のバーベキュー広場から広がる芝生面には小さなワンタッチテントがたくさん並ぶ。「小さな子供のおむつ交換やら日除けやらに使われているのだろう」とその賢さに感心していたものだ。メロン坊やはテントの波を二足歩行で縫って進む。その中に入り口が閉じられたものがあると、彼ははらりと開けて「あっ!」(この場合の「あっ!」は「こんにちは。」)と挨拶するのだそうだ。テントの中は大概イチャイチャしている若いカップルで、メロン坊やに突然ニッコリ挨拶されてビックリ仰天するという。なんだ、テントの中でそんなことしてやがったのか、まったく憎いねえ…。それにしてもメロン坊や、父親ゆずりでジャーナリスト魂を持ち合わせた男だ。突撃取材につき添う姪は、致し方ないから後から顔を出して「ごめんなさいね」とやはりニッコリ微笑むそうである。

こちらの真実は明るみにさらされない

先の15日、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が来日した。菅義偉総理大臣、小池百合子東京都知事、森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長らと会談・来年の開催を確認し、なぜか安倍晋三前首相の「功労」を認めIOCから表彰したりしている。開催されないと、期待していた「お金」が入らない上に違約金を支払わなければならなくて困る、つまり尻を叩くのに必死なんだろう。菅首相はバッハ会長が目の前にいるのに、相変わらず下に置いた文面を見ながら「人類がウィルスに打ち勝った証としてのオリンピック開催」とか読んでいる。バッハ会長を迎えた小池百合子都知事は、そのはしゃぎっぷりが久しぶりの太客を迎える「夜の街」のママみたいで気持ち悪い。オリンピックというコンテンツを手放したくないマスコミは、明るいニュースとばかりに結託して報道するけれど、果たして「オリンピックへの熱意」は今も通奏低音のように共有されているのだろうか。そんなものはとっくに霧消している。

「復興五輪」がいつの間にか変質している

そもそも「復興五輪」と銘打ってなぜに東京開催なのだろうか。「復興のためのオリンピック」なのであれば、東京の常軌を逸した暑さからすればずっと涼しかろうし、「盛岡オリンピック」もしくは「仙台オリンピック」にすればよかったじゃないか。そうすれば、東北の復興が抜き差しならない焦眉の課題だった時期に、多くの資金と資源を東北の一点に集中させることだってできたはずだ。「東京五輪」の開催が決定し、大型建設工事が分散・林立したがゆえに、建設関係の人件費や資材がべらぼうに高騰したことは記憶に新しい。その間に熊本地震もあった。「東京五輪」は復興の妨げにしかならなかったのだ。その「復興五輪」が、いつしか「人類がウィルスに打ち勝った証としてのオリンピック」にすり替わっている。ずいぶんと大きく出たものだが、「人類がウィルスに打ち勝つ」とはどういうことか。新型コロナに対処できたとしても、新たなウィルスが必ずいつか現れるではないか。どちらにしろキャッチコピーに「意味」も「心」もないのだろう。いつものことだ。

肌で感じるのは「東京オリンピックどっちらけ」

東京オリンピック2020はますます胡乱(うろん)さを増すばかり。あの人たちが息巻くほど「どっちらけ」がつのる。デタラメを並べてでもやらなければならない理由があの人たちにはあるに違いない。「自分たちの広報を担ってメディア支配をつかさどった電通を倒産させないため」という人だっている。このオリンピックにかけている選手たちには気の毒なことだとは思うが、ここでこそ「人類」全体を視野に考えるべきだろう。メロン坊や、こちらの真実は、私たちが君に伝えなければならないな。どちらにしろ無理くり強硬に開催するというならば、私は君を連れて疎開しよう。ああ、もうすぐ隠居の身。疎開先はすでに用意してある。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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