隠居たるもの、定石はずして悦に入る。散種荘は寒冷地に建つ山の家である。やっぱり足裏が冷たい。私とつれあいは、この11月に部屋ばきスリッパをそれぞれにあらためて購入した。あまり使われずにあまっていたものを東京から持ってきただけだが、もちろん来客用スリッパの用意もしてある。いろいろなものが出そろい、あらかたが平穏に在所に収まりつつある引渡し後ほぼ2ヶ月の散種荘である。しかしながら、その来客用スリッパたちを束ねる適当な収納だけが見つからない。放り出されたままの4つのスリッパが私たちの頭を悩ませていた。
スリッパラックの迷宮
試しにインターネットで「スリッパラック」と検索すると、上の写真のような画像がずらりと並ぶ。どうだろうか、「存在を主張し過ぎ」てはいまいか。もちろんこれらは「スリッパラック」となるべく造形されているわけだから、「スリッパラック」として堂々と胸を張っているそのあり様に言いがかりをつけるつもりはないのだが、散種荘の場合、スノーボードの手入れをすることも考慮して玄関土間が広めに作られている。仕切りもなくリビング・ダイニングに続くこの土間、山小屋として作られた大きなワンルームの一部に他ならないのである。だから「スリッパラック」に「ここから向こうが玄関および外で、ここからこっちが内なる居住スペース」と結界の役割を担ってもらう必要はないのだ。それに、潤沢に床面積があるわけでもないから、柔らかいスリッパをギュッと束ねてくれればよいものに巨大なスペースを占められるのもかなわない。籠のようなもので代用することにして、ただ放り込んでおくのも一案ではあるのだが、どうにもテイストが合いそうにない…。そうこうしているうちに、ようやく「これぞ」というものを見つけたのだ。
うなぎをゴチになった後に
植木鉢である。11月10日の省察「人生最後のなけなしの大散財の余波、うなぎをゴチになる」(https://inkyo-soon.com/treat-eels/)、「鰻 駒形 前川」でうなぎを食したあとに、コンランショップでつれあいが2千円ほどのセール品に目を留めたのだ。植木鉢だからといってそれで植物を育てることが法律で義務づけられているわけではない。「容器」として見たときに、私たちがイメージしていた大きさや形にここまで完璧に合致したものはなかった。底に穴が開いていることになんの不都合があるというのだろうか。迷宮から脱出するには柔軟な発想に基づくひらめきが必要なのである。
オーストリッチのはたき
過ごしてみたら予期しなかった問題が出来(しゅったい)した。少々こだわって、鉄の骨組みに木材の踏み面だけを渡した階段にしたもんだから、下に配置した書斎スペースやプロジェクターに、上り下りするたび一段ごとの隙間から「埃がふりそそぐ」のである。だからといって毎日せっせと勤勉に雑巾がけなどしていたら、なんのための「山の家」なのかわからない。「あれ、なんていうんだっけ?」と頭をひねり、ようようにして名称を思い出す。「はたき」だ。今時は「ダスター」なんて呼ぶらしい。しかし最新のファンシーな「お掃除グッズ」は、ここ散種荘にこれまたそぐわない(あくまで個人的見解ではあるが)。そうこうしているうちに、これまたようやく「これぞ」というものを見つけた。「高級オーストリッチのはたき」。つまりダチョウの羽毛でこしらえた「はたき」である。昔の映画にはこんなシーンがよくあった。「お抱え運転手が毛ばたきで高級車の塵をはらいながらご主人を待つ」、あれこそがオーストリッチなのだそうだ。「高級」という割に高価でもなかったから、それをぶら下げるマグネットも見つけて、ともどもインターネット越しに発注してみた。この「こけおどし」感がたまらなくいい。
薪ストーブの暖かさが身に染みる
11月20日、出発するころの東京の気温は24℃だった。混雑するであろう3連休を避けて、その日の夕方4時半くらいに、雨が上がったばかりの白馬に到着した。その日は寒冷地の気温も記録的に高かった。リュックサックから引っ張り出す上着が一枚で済んだ。それからはみるみると気温が下がる。晴れた日の午前中にふと山の上を見上げると、またしても頂は白く覆われている。薪ストーブの暖かさが身に染みる。ファイアーワールド永和さんにおんぶに抱っこだった薪ストーブ事情(参照:「薪ストーブに火を入れる」https://inkyo-soon.com/put-a-fire-in-the-wood-stove/)、ずいぶんと慣れて必要なグッズも取りそろえ、もはや「薪ストーブ使い」の様相を呈しつつある。
初めてお客さんが訪れる
日本医師会会長が悲愴にも「我慢の3連休」と呼びかけていたけれど、そもそも「Go To トラベル キャンペーン」によって過去に例がないくらいの旅行申込みがあったそうだ。直前だからすでにキャンセル料がかかるし、今さらどうにもならずこの3連休は予定通りにごった返すだろうと考えていたが、実のところ観光地は「素晴らしく」賑わったと聞く。もはや「人災」である。立ち会わなければならない追加工事があったこと、3連休の混雑を見越して行きも帰りも平日の切符を取っていたこと、こちらに来てしまえばあとは散種荘にこもるだけ、そんなことを勘案して移動には十分に用心してこちらに滞在している。びっちりと客で埋まった23日のラグビー早慶戦(秩父宮)を見るまでもなく、紅葉と雪の観光シーズンから外れ、閑散とした今の白馬は東京より安全だ。それを見越して、山の下ではまだ雪も降らないこのタイミングで、備品が各種そろった散種荘に、自動車に乗ってやって来た初の来客があった。メロン坊やご一行である。身悶えするくらいに楽しんでくれている。こんな時代である。「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」ではなく。ああ、もうすぐ隠居の身。「わんぱくでもいい、賢く育ってほしい」。