隠居たるもの、数えきれない労働に杯を乾す。ザ・ローリング・ストーンズが1968年に発表した傑作アルバム「べガーズ・バンケット」、その最後を飾るのは「地の塩」という曲だ。手持ちCDのライナーノーツの対訳を引用すると、こんな歌詞で歌い出される。「重労働者諸君に乾杯 下層階級に乾杯 善いこと、悪いことのためにも杯を掲げ 地の塩に乾杯」曲名を新約聖書「マタイの福音書」の「あなたがたは地の塩である」からとったことは明らかで、「人が生きていくためになくてはならない塩」と労働者を讃えた、彼らには珍しいテイストの曲だ。「彼らは好んでこの曲を演奏するな」そんなことを思っていると、窓の外から今も「ピッピッ」と作業の笛の音が聞こえてきた。
働くおじさん
「小学生の時分、授業中に『働くおじさん』という番組をテレビで視聴させられた。そのおじさんたちが働き始めるのである。例えば、我が庵の前を流れる小名木川は護岸工事の最中で、みなさん朗らかに大きな声を出しながら作業にとりかかる」これは、3月に著した省察「光あるうち光の中を歩め」(https://inkyo-soon.com/lev-tolstoy/)の一節である。護岸工事は、我が庵の目の前の一画がはしっこでもないのに最後の最後に回されていた。それがようやくに始まったのだ。すでに工事が完了しているここ以外の遊歩道は、少し拡張されて舗装も整い、激しく雨が降っても水浸しにならない。それに比し、取り残された我が庵の前の両岸は、いまだ少しの雨でそこそこに深い一面の水たまりとなって歩くこともままならない。風の強い日には砂を盛大に巻き上げる。「遊歩道」といっても、私を含め「生活通路」として使っている人はたくさんいるし、ここを散歩コースとする「縄張り」を常に主張しなければならない犬たちだってたくさんいる。それはそれは著しい不便であったのだ。何故に最後に回されていたのか。それは、不法に投棄された何艘もの船舶が、沈んだまま撤去されずにずっと放置されていたからである。15年以上になろうか、水深が浅い日などは「幽霊船」がごとく不気味に顔を覗かせたものだ。
12月9日、最後の一艘が引き上げられる
陽が高く、もう11時になろうとしていた。何日にもわたった作業の末、最後の一艘もようやく引き上げられたようだ。私とつれあいは、その様子を眺めながら駅に向かっていた。これから白馬の散種荘に出向く。翌日10日に控えたインターネット開設工事に立ち会うこと、それが今回の主眼だ。申請してから苦節2ヶ月半、ようやくインターネットが通るのである。(この間の葛藤は、10月末「docomoショップで探りを入れる」https://inkyo-soon.com/docomo-shop/ 中の「散種荘のインターネット開設は12月10日」でつまびらかにしている)この間、自在にインターネットが通じない環境に日常的に身を置くことの「困難さ」を充分に味わった。(一方で、時にはその「困難さ」を敢えて味わうべき必要もあるとは思う)反面、「やはり」と痛感したこともある。インターネットがつながっていれば、この歳になった私なぞはどこであってもそんなに不自由は感じない。そのインターネットがようやく通る。
働くおじさん、再び
「おじさん」といっても、NTTの作業員である彼は私よりずっと若い。9時過ぎにやって来て、クレーン車に乗って外を走る電線から散種荘の引込み口である2階にケーブルを引っ張り、することもなく1階で漫然と本を読んでいた私たち夫婦の横を、風のように「失礼します」と横切って2階に駆け上がり、引き込んだ線を人知れず家内の機器につなぐ作業をし、「少し低いところにある(長野の人にとって標高は位置判断の重要な基準)電線に手を入れてきますからしばらくいなくなります」と言い置いて本当にいなくなる。戻って来たかと思うと、やはり「失礼します」と風のように階段を登っていって、しばらくして自前の脚立を担いで下りてきた。工事完了までに2時間半。さて、「ありがとう」と彼を送り出したところから、もうひとつの試練が始まるのだ。誰も助けてはくれない。あらかじめ届いているルーターをつなぎ、インターネット受信の設定を私の機器で私がしなければならない。モンスタークレーマーがそこかしこに潜む今日である、目指すゴールは同じであるにもかかわらず、NTTとプロバイダーそして私の三者の間はきっぱりと分かたれており、用意周到に「責任」を回避しながら、領域をまたいで「親切」にしてくれる人がいない。まあ、いいさ…。2ヶ月半の苦心惨憺の末、とにかくその日の夕方までには使えるようになった。
さっそくインターネットで映画を鑑賞してみた。わかりやすいやつがいいかと考え「スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」を配信でレンタルする。目論んだ通りに音も素晴らしい。ネットワークオーディオプレイヤーだってこれから本領を発揮してくれるだろう。このためにこそ、NTTの「働くおじさん」を私は待っていたのだ。
「不法投棄をする者」か、それとも「それをさらう労働者」か
洗濯物を取り込みながら、庵のベランダから護岸工事を眺めやる。本来の工事に取りかかったようだ。不法投棄が解決していれば、とっくに工事も終わっていただろうに、不必要なお金(これ、税金だろ?)もかからなかっただろうに。「不法投棄をする者」と「それをさらう労働者」がいる。各地で逼迫が懸念されている医療従事者なんかは、明らかに「それをさらう労働者」だろう。近所に、週に一度は顔を合わせて四方山を話していた医療従事者がいる。もう7ヶ月くらい会っていない。新型コロナウィルスに感染してはいけないから、「つきあい」を控えているのだそうだ。彼女が旅行に行くわけもない。「Go To キャンペーン」を提唱し主導し中断しようとしなかった、「国民のために働く内閣」の親分たる、頭の悪い側近にそそのかされたのか薄ら笑いを浮かべて「ガースーです」と自己紹介した自称「たたきあげ」の「令和おじさん」は、果たして「不法投棄をする者」と「それをさらう労働者」のどちらなのか。瞭然だろう。少なくとも私には「働くおじさん」には見えない。キース・リチャーズに合わせて歌い出そう。ああ、もうすぐ隠居の身。Let’s drink to the hardworking people.