隠居たるもの、田園地帯でペダル踏む。昨年からこの方、いささかなりとも高山植物を愛でるようになった。頻繁に東京と白馬を行き来していると、可憐で儚げに花を咲かせるその姿に親しむことが多い。そして私の胸はその都度なんともキュンとする。冬の間は「白馬五竜スキー場」である「白馬五竜高山植物園」、今季は6月5日にオープン、6月18日までは週末のみを「早期週限定開園デー」とし営業している。だから早速の2021年6月6日日曜日、おっとり刀で行ってきた。片道5kmほどの行程である、私たち夫婦はもちろん自転車にまたがった。
稲の張る田園を自転車ですり抜ける
田んぼと田んぼの間を走る狭い農道に、小さくポツンと写っているのが私である。散種荘から標高差72mを下りてきて、なだらかな田園地帯で気持ちよくペダルを漕いでいて、サドル高の設定が少し低かったことをちょっとだけ後悔している。(私の愛車は六角レンチがないとサドル高を調整できない。そしてそのレンチを持参していない。)しかし「まあ、一大事ということでもあるまい」と高を括っている。甘かった。あとで調べてみると、このあたりから植物園までの標高差は99m。それも曲がりくねったつづら折りを一気に上らなければならなかったのだ。サドルの位置が低いと腿裏とふくらはぎの筋肉を効果的に使うことができず、大腿四頭筋に負担が集中する。最後のひと折れを残して、ギヤチェンジに失敗したところで力つきた。「ハアハア」と息の上がった後期中齢者夫婦は、観念してなぜか笑顔で自転車を降りた。
白馬五竜高山植物園の絶景
昨年8月後半のことだ。完成までひと月ほどとなった散種荘建築工事を視察する際、レンタカーで白馬五竜高山植物園に初めて立ち寄った。6月から7月あたりが最盛期のようで、その時に開いている花は少なかったのだけれど、ひっそり咲いているコマクサを見つけては感嘆の声を上げていた。私の「高山植物ラブ」の起点である。そして「来年の違う時期にまた来る」と誓った。とはいえ「早期週」というだけのことはあって、6月に入ってすぐはまだ早かったようだ。本当の盛りはこれからだ。「今年のうちにまた来よう」とあらためて誓うのだった。それにしても、ゴンドラに乗って標高1,515mから始まる植物園は絶景かな絶景かな。だもんで野暮な講釈はやめて写真だけ載せよう。
やっぱり思いがけずのヒルクライム
高山植物園からの帰り道、昼食をとろうと寄り道をした。国道148号線まで下りて白馬駅方面に向かい、行きつけの松庵で蕎麦をすする。汗をかいたから冷たい蕎麦が美味しくしみる。さて、ここからが試練だ。いつかは挑まなければならなかった。駅から散種荘までの標高差は94m、距離にしてほぼ3.5km、一部を除いてひたすら上り坂、山に向かってるんだからそりゃあそうだ。これを自転車で帰らなければならない。しかし今日の後期中齢者夫婦は意を決している。腹ごしらえもしたし、気合を入れて自転車にまたがる。歩いていた時には「平坦」と思っていた「一部」も、自転車を漕いでいると実は微妙な上り坂になっていることがわかる。ちくしょう、サドルが低い…。地べたでうめいている私たちを、パラグライダーの人たちがひたすら気持ちよさそうに上空から眺めていた。しかしどうして、私たちだってそこそこに「キモちE」。
風にあたりながら食べたアイスクリーム
根性をふりしぼった。弱音を吐かず(声を出す余裕がなかっただけだが)、私たちは自転車からいっときたりとも降りずに散種荘まで上りきった。自転車用手袋・帽子・羽織っていた長袖のシャツなど身につけていたものを大慌てで剥ぎ取り、スニーカーをサンダルに履き替え、上がった息を整えながら玄関周りをうろつく。つれあいが家に入っていってハーゲンダッツアイスクリーム・グリーンティー味を持ってまた外に出てくる。ふたりしてなぜ中に入らないのかというと、山の涼風にあたっていないとざわついたままの身体を落ち着かせられないからだ。私たちは黙ってカップを分け合う。田んぼの中を自転車ですり抜け白馬五竜高山植物園に出向いた初夏の日の、ハーゲンダッツアイスクリーム・グリーンティー味の美味しさよ。ああ、もうすぐ隠居の身。私はそれを忘れることはないだろう。