隠居たるもの、モードの機微を見逃さない。「セーター男子」などと嘯(うそぶ)いたり、ドレスコードのカジュアル化に積極的に乗ってきたのにはわけがある。これまでの省察で時おり触れた通り「いかつい顔をいささかなりともソフトにカバーするため」という理由もそのひとつではある。だがしかし、それも含めて根底にある動機は本当のところただひとつで、すべてはそこから派生しているといっても過言ではない。それではその動機とはなにか?それすなわち「スーツからのモードチェンジ」である。ここ数年来、実に用意周到に進めてきたのだ。

最後の仕上げにキーホルダー

3月31日にオンラインで発注していたキーホルダーが、昨日の4月5日、日曜日の晩に届いた。中央区京橋に店を構えるPOSTALCOというクラフトメーカーのオリジナル商品で、削り出した天然の方ソーダ石(ほうソーダせき)をポイントにしたものだ。より華美な色の石を選んでもよかったのだが、キーホルダーがチャラチャラしてるのもどうかと思いとどまって、薄いネイビーのこれにした。これまでのキーホルダーから鍵をつけ替える。さすがに天然石、陽光を浴びると様々な色彩を帯びてとても美しい。

これまでのキーホルダーがどんなものかといえば、キーリングにブランドマークが型押しされた黒い革が下がっているだけのありふれたものだった。面白い品物かと問われれば、ブランド品というだけで少しも面白くない。それではなぜそれを選んだのか、すべてはスーツ姿から逆算してのことである。

寸分の隙なくビシッと固めたスーツ姿

今から2年前までの16年間、基本的に私はスーツの人であった。自分で口にするのもおこがましいが、寸分の隙も見当たらないくらいにビシッとしていた。「約束事で成り立っているこけおどしの調和」を、自分が身につけた小物で乱してはいけない。「ただのサラリーマンではないのさ」と主張したいがために(誰もそんな主張は気に留めない)、2006年の来日公演の際に東京ドームで購入したザ・ローリング・ストーンズの赤い“Lips and Tongue”をぶら下げる、それが精一杯だ。これはなにもキーホルダーに限ったことではない。腕時計だってカバンだって筆記具だってベルトだって財布だって、スーツ姿で身にまとうことを前提にして選んできたのだ。

過渡期だってそろそろ終わる

それが、この5年間であつらえたスーツは姪たちの結婚式のための1着だけだし、ドレスコードのカジュアル化が顕著になったこの2年間はまさに過渡期だった。「もうすぐ隠居」の意向を固めつつ「スーツからのモードチェンジ」を画策し、着衣のバリエーションを徐々にずらすことに試行錯誤してきた。それもほぼ完遂に近づき、この春からいよいよ小物の刷新にとりかかったのだ。カバンはiPad同等の大きさにすっきりダウンサイズして新調した。実際にiPadと本さえ入ればなんとかなるだろうし、BRIEFINGの明るいネイビーが軽やかでなんとも快い。財布も英国王室御用達のブランドののぺっとした長財布から、本店をイタリアはフィレンツェに置くIL BISONTEのファンキーな代物に買い替えた。それで小銭入れは持たないことにした。そして最後の仕上げがキーホルダーだったというわけだ。この2年間の過渡期も含めて、18年に及んだ私の「スーツ時代」は終わりを告げようとしている。これからは心地が良く機能的で、なおかつ晴れやかな気持ちになるものを自由にチョイスする所存だ。権威的にならず共鳴できる哲学らしきものがあればなおさら良い。この在宅勤務中にやはりオンラインで購入したpatagoniaのパンツには、フェアトレードであることが明記されていた。

IL BISONTE フィレンツェ本店

神は細部に宿る

建築家ミース・ファン・デル・ローエの言葉とされており、一般的には「細かい部分にまでこだわり抜くことで全体としての完成度が高まる」と解釈されている。なぜに今こんな細かいことにこだわるかというと、小さな庵に長くこもっていて、現代あるべきヌケがよくカッコいい「隠居」像を模索する修行に寸暇を惜しんで励んでいるからである。どうやら緊急事態宣言がなされるようだと巷は騒がしい。富良野から帰京した2月後半からひと月半を超えて、要請される前から要請されたような暮らしを送ってきた。人ごみには足を運ばない、電車に乗らないよう努力する、人との距離を保つ、3密になるような店には入らない、なるたけ早く帰る。この一週間は近隣への散歩を除いてほぼ家にいるし、宣言が出たからといって私たち夫婦ふたりの生活が動揺することはない。しかし、懸念するのは世情のヒステリーに否応なく巻き込まれることだ。緊急事態を宣するその人こそが、全体的な方向を定めることもできず細かいことに右往左往している。そもそも既存法を改正しなくてもできたものを、わざわざ手間をかけて改正したその時からしたって3週間半も経っているんだ。こういう時は有象無象がよってたかるから危ない。みなさん、十分にお気をつけあそばせ。ああ、もうすぐ隠居の身。私たちは細部に神を宿そうじゃないか。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

神は細部に宿る:隠居にふさわしき小物を探す件のコメント

  1. ミースを始め「バウハウス」の椅子にはそれを感じます。
    我が家にあるジオ・ポンティの椅子にも、物語があります。

    髙橋秀年

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