隠居たるもの、あちらを立てればこちらも立てる。直前二段で、思いもよらず立て続けに九州の旅を省察した。ふと「旅情に身をまかせたいものだ」とこれまでの旅について想い起こしたりしたからだ。そうしたいきさつのもと、クラウドに保存している写真なぞを見返して、「そうか、あそこをほっつき歩いていたのは〇〇年のことだったか」などと、その時の気温や湿度をあらためて蘇らせていた。中でもことさら鮮明に想い起こされたのは、ねぶた祭に沸く青森の記憶であった。それは前回の省察で触れた大分から天草に至る九州横断を果たした2015年、同じ年の夏のことだった。

ねぶたを観たければなんとかするけど

昨年の11月に惜しまれながら閉店したのだけれど、馴染みにしていたワインカフェが近くにあった。その店をひとりで切り盛りしていたオーナーが青森出身の方だった。それまで縁に恵まれなかった彼の地が急に身近になる。酔いにまかせた常連が「ねぶた祭を観にいってみたいものだね」などとカウンターで勝手に語り合う。「それならなんとか手配するけど?」といつもオーナーは言ってくださる。彼女の実家は、ねぶたが巡航するメインストリートに面した古くからの商家だった。その年の1月に親父を看取ったところだったし、私たちは2015年の夏を青森で心ゆくまで満喫することにした。

ねぶた祭は毎年8月2日から7日と決まっている

大晦日は12月31日で元旦は1月1日と決まっているように、ねぶた祭の会期も曜日に関わりなく毎年8月2日から7日までときっぱり固定されている。そこを目がけて里帰りする方々を迷わせないためでもあろうが、観光客に「四の五の言わずにここに合わせろ」と言い放つがごとき豪放さがなんとも好ましい。新型コロナの影響で今年は早々と中止が決定されたが、例年であれば2日の子どもねぶたから始まり、大型ねぶたが荒々しく運行される4、5、6日の夜が最高潮で、一夜明けた7日昼、その年の祭を噛みしめるかのごとく同じ大型ねぶたが街中を静かに練り歩き、夜になると陸奥湾の内湾である青森湾の海上にそのまま灯籠流しのように放たれる。その上空には北国の短い夏を惜しむ花火がこれでもかと打ち上がる。(https://www.nebuta.jp/)ねぶた祭が跳ね上がる最後の晩と最終日7日の一部始終を目の当たりにしようと、私たちが羽田を旅立ったのは2015年8月6日木曜日の朝だった。

レッド・ツェッペリンのはちきれんばかりのグルーヴ

青森空港からバスに乗り、ご当地出身の奈良美智作品を多く収蔵する青森県立美術館と隣接する三内丸山縄文遺跡に途中下車、再度バスに乗り直し、青森駅に着いたら津軽煮干しラーメンの源流 まるかいで昼食。その後うろつくままに見つけた青森市民美術展示館でたまたま開催されていた「棟方志功展」を観る。鬼気迫る棟方志功の作品が、祭の終盤を迎えた街の空気に折り重なる。まだまだ昼日中にも関わらず、すでにメインストリートは落ち着きがない。ワインカフェオーナーの実家を訪ね、里帰りしていた彼女と落ち合い、ありがたいことに歓待を受ける。店の前に並べたパイプ椅子、これが想像をはるかに超える特等席だった。さあ祭が始まる。ハネトの掛け声とともに次々とねぶたが豪快に目の前を過ぎていく。これはすごい…。容易に伝わってくる熱量、スカッとこもらない荒々しさ、飽きのこないしつこさ、なぜかレッド・ツェッペリンが頭に浮かぶ(特に「Black Dog」)のだが、呆けた薄ら笑いを浮かべて私は目を見開くばかりであった。

コールドプレイの心に染み渡るメロウ

一夜明け、地元婦人会の皆さんの踊りに先導されて7日昼の運行が始まる。まるで違う。荒々しさは鳴りをひそめ、若い者を真似ていうならば「チル(chill)」ってるのだ。金曜日の日中のことだ、沿道の銀行に勤務するOLさんたちが制服のまま外に出てきて、観光客に混じって楽しそうに、だけど静かに見物していた。首を長くして1年待っていた祭が、今ここで終わろうとしているのをしみじみと噛み締めている、そんな風情を感じてお天道様を見上げたくなるような心持ちになったものだ。その時に私の頭の中で鳴っていたのは、コールドプレイの「Yellow」。今でもこの曲のイントロを聴くと、この夏の昼のねぶたを想い出す。

日が暮れてから港に吹き込む風は予期せず冷たかった。半袖半ズボンで港の特設会場の席に座っているのは少々辛く、見兼ねたつれあいに貸してもらったスカーフを肩まわりに巻きつけた。そのことを話すと、「ねぶたが終わると『そろそろストーブを点検しとかないと』ってなるんだ」と青森の人は教えてくれた。

青森に来たからには八甲田に行かねばなるまい

そしてまた一夜明け、私たちはレンタカーを借りた。そう、ここに来たからには行かねばなるまい。中学生の頃、映画で慄(おのの)いたあの八甲田山にだ。市街から30分も運転すれば山も深くなる。酸ヶ湯(すかゆ)温泉の駐車場に車を停め、タクシーで八甲田山麓駅に向かう。普段から登山するわけではないから、登りはロープウェイにお願いつかまつる。そして、八甲田山頂公園駅で下りのロープウェイに乗車しようと並ぶ観光客を尻目に、標高1300メートルから私たちは自分の脚で下りる。向かうは車を停めてある酸ヶ湯温泉。きれいに晴れた上に人も少なく本当に心持ちがいい。2時間半たっぷり歩いて汗びっしょり、もちろんそれを流すは酸ヶ湯温泉だ。この時に私の頭の中で鳴っていたのは、ボブ・ディランの「Shelter from the Storm」。今でもこの曲を聴くと、やはりこの夏の八甲田山を想い出す。その夜、私たちはさらに山に分け入って、電気がなくランプだけの青荷温泉に荷を解いた。

そしてまたまた一夜明けて…、いやいやキリがないのでここはこれでお開きとしよう。「Go To キャンペーン」は夏休みにどうやら間に合わないようだが(いつものことで、もう驚くこともないが)、まあ急ぐことはないさ、環境が整ったらまた旅に出よう。ワインカフェのオーナーは東京を引き払って青森に帰っている。常連として仲良くなって今も一緒に酒を酌み交わす友だちが「彼女を頼りにしてさ、ねぶた祭に行こうよ」と口にする。とにかく魚が美味しい。仲田英寿にだけ「旅人」と名乗らせるのもシャクにさわる。ああ、もうすぐ隠居の身。私は旅人である。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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