隠居たるもの、いまだ枯淡の境地からは程遠く。得てしてそんなものだろうと思う。すでに後期中齢者である、いつまで経っても欲深くさもしい同年代の者を見かけないではないが、概(おおむ)ねは “生臭さ” から解放されつつあるのではなかろうか。とはいえ、枯れているわけにはあらず、まだまだ “刺激” は求めていたりする。その矛先が少しずつ変わってきただけだ。「身体の衰えに伴って」ともいえるだろう。だがしかし、それ以上に、「知識と経験の蓄積」こそがその主因ではないかとも考えるのだ。そうだとすると、私たちは終生変わらず “刺激” を求め続けるということになるのだろうか?得てしてそんなものだろうと思う。

大分県立美術館 OPAM

窮屈に閉じこもった気持ちを解き放ちましょう

いつもと変わらず日曜の遅い朝は Eテレ「日曜美術館」から始まる。先週から司会者2人がスタジオにそろったが、この2ヶ月間ほど美術館は閉まっていたしスタッフも動けなかったし、番組そのものはアーカイブの編集だ。先週から来週にかけては日本画特集のようで、今週は雪舟の「四季山水図(山水長巻)」や長谷川等伯の「松林図屏風」を取り上げていた。それぞれ15世期後半から16世期末に描かれた国宝だけれども、あらためて見ると、勝手にこちらが日本画に抱くイメージに反して、少しも「枯れて」いない。斬新で先端は荒々しく尖っているのだ。

雪舟「四季山水図(山水長巻)」部分
長谷川等伯「松林図屏風」

「松林図屏風を観たことがある、それもどこかの地方美術館で…」とつれあいがいう。そんな気もするが、本来は東京国立博物館に収蔵されているものだし、だとしたら果たしてどこで?疑問はすぐに解決した。2015年5月、阪茂の設計で建て直され4月にリニューアルオープンしたばかりの大分県立美術館(OPAM)で観たのだ。現地に仕事ができて出張し、ならばそれを済ませて別府に泊まり、「やまなみハイウェイ」飛ばして阿蘇を抜け、そのままつれあいの実家に詣でよう、そんな目論見で出かけた旅の初日に、「こけら落とし」のために国立博物館から貸してもらっていたOPAMで観たのだ。司会者の小野正嗣(作家、比較文学者、大分出身)は番組をこう締めた。「自粛生活が長く続きました。気持ちも窮屈に閉じこもっていませんか?そろそろ気持ちも解き放ちましょう。そのためにはアートが最適です。」人それぞれだから、アートが最適かどうかは置いとくとしても、確かに意識してあらためて「気持ちを解き放つ」必要がある、そう感じ入って膝をうったのである。

「自粛警察」的なものに侵食されていないだろうか?

やまなみハイウェイにて阿蘇

「自粛」とは「自ら進んで行いや態度を改めてつつしむこと」だそうだ。それゆえ字義通りに考えるならば、私は「自粛」をしているわけではない。知りうる限りで状況をわきまえて、そこから判断できることを「行いや態度」に反映させ、「今までしていたことを考えもなく同じように今はしない」という選択をしたまでのことだ。「改めてつつしむ」べき「行いや態度」など何も持ち合わせていない。一方で、根拠も明らかにされないまま「要請」という名の「強要」がされ続け、世情は「自粛」という言葉に埋め尽くされる。私だってつい「自粛してますから…」などと口にするにいたる。その結果、執拗すぎる相互監視を「正義」にすり替え、「制裁」まで下す「自粛警察」なる連中まで出現する始末だ。本当に恐ろしい。だからこそ、ここで問いかける必要がある。2ヶ月に渡って閉じこもった「自粛生活」の中で、さらされ続けた一方的な情報の中で、自身が知らず知らずのうちに「自粛警察」的なものに、侵食されたり一部とはいえそこに共鳴したりしていないかどうかを。そのためにも、今こそ「意識して気持ちを解き放つ」必要があるのだ。

太陽光で蓄電するソーラーライト Little Sun

東京都現代美術館は6月2日から半分で恐る恐る再開され、6月9日に全館でのオープンとなった。以前の省察で紹介したオラファー・エリアソン展(参照:「我が家に展覧会がやって来た!:オラファー・エリアソン編」https://inkyo-soon.com/olafur-eliasson/)をようやく観ることができた。本当に素晴らしく、図録などグッズをいろいろ喜び勇んで買ってしまった。その中に、太陽光を蓄電する小さなソーラーライト、作品にも使われていたLittle Sunがあった。3980円もしたんだ。いわゆる「先進国」ではボッタくって、いわゆる「発展途上国」の電気にアクセスすること自体が難しい地域で、その利益をもとに同じものを二束三文で叩き売るんだそうだ。「山の家」散種荘で便利に使えそうだし、喜んでボッタくられた。

手に取った本に、何度も聴く音楽に、初めて観る映画に、現代のものであろうと古典であろうと接することのできた芸術作品に、そして知らない土地に、そこに潜む鬱勃(うつぼつ)とした思考に触れて、落ち着かないほどに“刺激”を受ける。

どうにも「枯れてる」ひまはなさそうだ。

5年前の旅の最終到達点は天草だった。九州の北東 大分から入り、レンタカーでど真ん中の阿蘇くじゅう国立公園を突っ切り、熊本市内のつれあいの実家でお義父さんとお義母さんのご機嫌をうかがい、翌日にご両親と一緒に自家用車で九州の西の端 天草までドライブしたのだ。初日は別府の温泉に入り、2日目は阿蘇の山間の秘湯 混浴の地獄温泉 清風荘に立ち寄り、最後は天草で夕陽を眺めながらやはり温泉につかった。3泊4日のいい旅だった。南阿蘇村を抜ける時に渡った阿蘇大橋は、翌年2016年4月16日、熊本地震で直下の断層が動き、親元に帰ろうとしていた大学生もろとも橋脚を支える地盤がずれて崩落した。復旧は来年2021年3月を目処にしているそうだ。滞りがないといい。

3年に1度の現代アートの国際展 横浜トリエンナーレは、入場は予約制とはいえ7月17日から開催するそうだ。(https://www.yokohamatriennale.jp/2020/)「気持ちを解き放つ」べく足を運ぼうと思う。ああ、もうすぐ隠居の身。私は「自粛警察」より「頭脳警察」の方が好きだ。(この人たちはもう少し枯れてもいいと思うけど…)

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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