隠居たるもの、まさに一期一会と呼ぶべき邂逅を、ひょんな拍子に想い出す。先日、国立新美術館で開催されている「クリスチャン・ボルダンスキー Lifetime」に足を運んだ。期待をはるかに超える素晴らしい展示に心が揺さぶられた。ボルダンスキーの作品を初めて見たのは、今から6年前の2013年5月、瀬戸内海は豊島での「心臓音のアーカイブ」だった。あの時と同じく心臓音が響く乃木坂の展示室、小島で出逢った外国からやって来た男性カップルのことを、きれいに晴れた瀬戸内の光景とともに鮮明に想い起こしていた。

瀬戸内国際芸術祭2013/会期外

直島のベネッセハウスで隣り合わせて朝食をとっていた彼らと、豊島に向かうフェリーでまた一緒になった。「よかったら一緒に回ってくれないだろうか」一人が私に英語で話しかける。流暢とはいえない英語でなんとか返答する。「いいけど、自転車を借りて移動するよ」面積14.4㎢の豊島には公共交通機関がない。タクシーも島で1台しかないという。すると、ニコニコ笑って成り行きを見守っていたもう一人が「自転車は苦手なんだ。体力にも自信がない…」と顔を曇らせる。「アップダウンがきついから電動機付きらしいけど?」とフォローするが、最初に話しかけてきた彼が「ありがとう、僕らなりに考えて決めるよ」とオファーを引っ込めた。他に方法がないのにどうするんだろう、ままならないコミュニケーションをもどかしく思った。

豊島美術館から心臓音のアーカイブ

西沢立衛の構造物、豊島美術館はまったくもって素晴らしい。あそこに身を置くことは、「自然に溶け込む体験」である。周りの自然が日々刻々と変化する以上、その「体験」は常に一度きりで、同じものが再現されることはない。私とつれあいが言葉にならない感嘆を漏らしながら美術館を後にしようとしたその時、あのカップルがなんと自転車を漕いでやって来た。曇らせていた顔に満面の笑みを浮かべた彼が、「ほら、ボク、自転車に乗ったよ!楽しい!」とはしゃいでいる。4人で絡みあいながら喜び、そして手をふって別れた。私たちはボルダンスキー の「心臓音のアーカイブ」に向かう。掘っ建て小屋のような展示施設から見える海が、とっても美しく穏やかで、しばらくぼうっとしていたら、彼らがまた自転車でやって来る。感激のあまり“ハグ”である。せっかくだからとそれぞれのカメラで写真を撮り合った。しかし、私と彼らふたり、つまり男3人でギュッと肩を寄せた写真は、向こうのカメラにだけおさまったようで、うちのハードディスクには残念なことに見当たらない。私たちはそれから小豆島に渡り、彼らがどこに向かうかは聞かなかった。

なぜ心臓音を鳴らすのか:ボルダンスキーの真髄を知る

名もなき人たちが生きていることを、アーカイブとして「記録」する。それぞれの心臓の鼓動をPCで選び、それに呼応させたライトが明滅する。知らないその人の「生」を実感する。この発想こそが「作品」であるから、今回の回顧展にも心臓音は鳴り響く。それに合わせて、ホロコーストで殺害された名もないユダヤ人の、傷んだ写真が集積された荘厳な「祭壇」が組み上げられている。山と積まれた衣服は、ガス室に送られた彼らの身体性を宿した「痕跡」だ。1944年、ユダヤ人を父親としてパリに生を受けたボルダンスキーは、一貫して「記憶」をつむぐ作品を作り続けてきた。「いようがいまいがどうでもいい」「どう扱ってもかまわない」人間などひとりもいない。なかったことにしようとする者たちを前に、ひとつひとつ「記憶」をつむぐ。その「記憶」の「記録」に溢れかえった展示室で、私は心を揺さぶられ続けたのである。

これも「記憶」の「記録」か

そういえば、太郎ちゃんが、的外れにも「歴史は書き換えられない」とか口にして、当時の仕事相手である諸国の方々をアゴが外れるほどに仰天させたことがあったっけ。言う相手を間違えてるよ。それは、静かに座っている少女に真っ直ぐ見つめられただけで心が踏みにじられてしまうほどにヤワな、コワモテを気取るたかし君に言って聞かせるべきだ。

私が生きているかぎり、豊島で出逢ったカップルは、実際の生死にかかわらず生き続ける。私が記憶しているからだ。ああ、もうすぐ隠居の身。忘れてはならない数多の人々がいるのだ。

*「クリスチャン・ボルダンスキー Lifetime」は9月2日までです。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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