隠居たるもの、ときによくもこんなに働いた。怒涛の1週間であった。9月29日に「悲願の引渡し」を受けたのはすでに省察した通り(前段をご覧になっていない方はこちらから:https://inkyo-soon.com/mountain-house-project-x/)。さて、庵に置いてある荷物やら購入した商品やらの搬入となるのだが、東京から白馬(はもう少しで富山)という遠隔地の移動となるがゆえに、そうそう簡単には問屋が卸さない。まず引越しが、荷物を出す日とそれを動かし下ろす日の2日間にわたる。それならば「中日を設けて3日にできない?その中日に引渡しを受けるから」と願い出れば、「よござんす、それにつきましては車を遊ばせちゃうんで」と倍の金額を請求される。商品の配送だって、東京のように午前やら午後やらと都合よく時間指定などできず融通を利かせてはもらえない。観念して1週間で2往復することにした。9月30日に東京にとんぼ返り、10月1日から荷物の移動に専念、再び白馬に向かう。

10月1日木曜日、荷を出す

9月30日、15時12分東京着のあさま618号で帰京する。新型コロナ禍の中、JR東日本は「お先にトクだ値スペシャル」というそら恐ろしいキャンペーンを展開している。インターネット予約サービス「えきねっと」で新幹線を含む指定列車を3週間前までに押さえると乗車券・特急券すべて50%オフ、つまり半額である。停車駅が多く、いささか時間がかかるあさま618号は長野・東京間の指定列車だった。月が変わる10月1日の午前中まで、荷造りの仕上げにとりかかった。10月1日14時30分、引越しのサカイから庵への車到着が15時30分頃となる旨の連絡が入る。我が庵、近所のサッカー部後輩と姪の住まい(組立て式二段ベッドが1台置いてある)、つれあいの仕事場、順繰りに3地点すべてからトラックに荷を積み終えたのが18時頃、ごった返していた部屋が「祭りのあと」のようにひっそり閑としていた。

10月2日金曜日、荷を受ける

8時ちょうどのあずさ5号で白馬に向かう。特急あずさは新宿・松本間が「お先にトクだ値スペシャル」の指定列車だ。その区間を50%オフで、加えてそこから先の松本・白馬間を正規料金・同じ座席で予約した。それが一番安い。11時41分に白馬に到着し、駅周辺で昼食をとり、スーパーで北アルプス広域連合の地域指定ゴミ袋を購入し、散種荘に向かう。そして14時到着予定のトラックを待ち受けた。

「申し訳ありません。前の仕事が押してしまって、16時30分くらいに…」連絡が入ったのは14時30分頃。「前の仕事?荷物を積んだあのトラックが東京から向かって来るんじゃないのかい?」と訝(いぶか)しんでいると、15時過ぎに「こちらでいいんですか?」と見覚えのないトラックが我が散種荘の前に停まる。聞くと、1日に引越しのサカイのトラックが私たちの荷を積んで東京都葛飾区立石の営業所に帰る、そこに長野から東京へ荷物を運び終えてカラになった提携運送会社のトラックが立ち寄る、(能登出身で今は長野でドライバーをしているアンちゃんは「営業所の駐車場が狭くてビックリしました、あれが東京なんだ」と感想を述べていた)、サカイの社員が自社のトラックから提携会社のトラックに荷を積み替える、そのトラックが一晩休んで長野に帰りがてら白馬に立ち寄る、朝から引越しを一軒こなした長野県松本のサカイの社員が現地で合流して荷を下ろす、こうした段取りなのだそうだ。引越しを熟知しているサカイの社員しか荷物には触れないから「安全」は保証され、カラのまま長距離を走るトラックも働き手も発生しないから費用が著しく抑えられる、これが他社のほぼ半額の見積もりを捻り出したサカイの荒技だ。そのおかげで土壇場で読書灯を購入することができたのだからして、少々遅くなるくらいかまわない。

恐縮しながら16時30分にやってきた若者2人(引越し屋さんじゃないから本当は積み下ろしをしちゃいけない安曇野に住む気のいいドライバーも、問題がなさそうなものを見繕って手を貸していたが)は、18時までかからず旋風のようにすべての荷物を下ろす。若者ってぇのは元気なのがなによりだ。路肩にあるU字溝を塞ぐブロックが一つ壊れていて、彼らがやって来る前に職人が補修してコンクリートを新たにはっていたのだが、わかるようにしてあったその塗り立ての上に、荷台から「えいや」と飛び降りて見事に着地、それはそれは鮮やかな足跡を残す。「記念にサインしとけ」と言ったんだけども、照れて笑っていやがった。

10月3日土曜日、荷をとき、荷を受け、組み立てる

明けて10月3日、「お店」が一気に押し寄せる。朝に大体の到着時間を連絡してくるわけだけども、「裏で談合でもしていたんじゃないの?」というほどに、申し分なく絶妙にばらけている。さあ、一番手のビックカメラが来て洗濯機の設置をする前に、横に並べるIKEAのチェストをまずは組み立てておこう。次に、クロネコヤマトの家具専門チームがコンランショップのダイニングテーブルとその上に吊るす照明、および読書灯を運んでやって来て、照明以外の家具を設置し帰っていく。ごった返す室内をよそに、何もないウッドデッキで無印良品のレトルトカレーで昼食をとり一息つく。キツツキは働き者で、シジュウカラは可愛らしく、リスはすばしっこい。

少し休んで再び段ボール箱を開け続ける。するとアオゾラカグシキ會社の友繁さんが、オーダーしていた家具を持ってやって来る。どれもこれも見事。とても背の高い身体を三つに折って、家具の脚の裏にフェルトを貼ってくれる。クロネコヤマトの家具専門チームに照明の設置をやらせなかったのには理由があった。ダイワハウス自慢のやたら高い天井から照明を吊す、並の体格の人間には危なっかしくて任せられない。とっても背の高い友繁さんを待っていたのだ。彼は快く引き受けてくれた。暗くなったころに無印良品が寝具を持って来て、この日の仕事が終わった。

10月4日日曜日、オーディオセットを配線し、二段ベッドを組み立てる

段ボール箱を開け続け、友繁さんがこしらえたオーディオラックに機材をつめ配線する。段ボール箱を開け続け、2台ある二段ベッドのうち1台を組み立てる。この3日間というもの、身体を動かし続けた。普段マンションで暮らしているのに、2階建をひっきりなしに上り下りしていてもうヘトヘトだ。温泉に出向き、帰りがけに散種荘から歩いて10分ほどの居酒屋に初めて立ち寄ってみる。悪くない。新型コロナ禍、QRコードを通してスマホで注文できるシステムを構築しているのにも感心した。つれあいはこう言った。「ああ、近くにこの店があって良かった。居酒屋がないと生きていけない…」

10月5日月曜日、作業はせずにDIYの造作について検討し、バスに乗って長野駅、そこからまたあさま618号で、黄色い葉がハラハラと落ちていた白馬から金木犀が香る東京へと帰京した。ああ、もうすぐ隠居の身。やはりここにテレビは必要ない。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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