隠居たるもの、桜の開花を待ちのぞむ。東京と白馬を往き来する二拠点暮らしもそろそろ5年となる。その程度で「酸いも甘いも噛み分けた」という境地にまでは至らないとしても、旅行者としてでなく生活者として巡る季節をそれぞれに五度ほども経験すれば、「そこから生ずる情趣」といったものを、そこはかとなく感得できる。気候が激甚化する昨今、よく「四季とはいうけれど、過酷な夏ばっかり長くなって穏やかで過ごしやすい春と秋なんかあっという間、季節というよりもはや過渡期」なんて嘆きを耳にする。確かにその通りではあるが、季節の訪れにずれがある地域にまたがり暮らしていると、その「もはや過渡期」のような春と秋だっていくらかは長く味わえる。

2025年4月16日水曜日、葉桜となった東京からほぼ三週間ぶりに白馬にやって来た。「北国はこれからが見頃」と大いに期待していたのだけれど、肝心の桜はひとつも咲いていない。冬にあれだけの雪が降ったし、4月になって冷え込んだ日もあったから、開花が遅れているのだろう。しかし週末にはなんとか咲いてほしい。中高サッカー部の同期が、「白馬で花見でもしようぜ」という趣向で散種荘にやって来るからだ。

色は匂えど散りぬるを

「いろはにほへと ちりぬるを」で始まるいろは歌は弘法大師空海の作と云われている。昔の人は花が咲くことを「色が匂う」と言ったそうだ。ここでいう花とはもちろん桜のこと、さすがスーパースター僧侶 空海、文字を覚えるための手習歌の冒頭に「咲き誇る桜だって必ず散る」と無常感を詠みこんだ。同級生たちと催す「合同還暦祝い」に合わせて3月末に東京に戻ると、その桜がちらほら咲いていた。寒の戻りに何度も見舞われ、ここ数年に比べて開花も遅かったようで、私が愛でる大横川の桜も4月の第二週まで持ち堪えた。この二週ほどの間に合計6つの宴席を楽しみ、そして満を持して白馬入り、さて桜は咲いているかと思いきや、「こぶし咲くあの丘 北国のああ北国の春」、待っていてくれたのはこぶしの花だけだった。前の晩には雪も降っていたという。散種荘に着くなり薪ストーブを焚いて、冷えた家を大急ぎで暖める。はたして週末までに桜は間に合うのだろうか。

とりあえず水甕は届いた

この冬の豪雪はあちらこちらに爪痕を残した。大小の違いはあれど屋根が損傷したお宅は数知れず、あまりの数に火災保険の申請審査が滞ってなかなか進まないと聞く。当然のこと木々の惨状も言うに及ばず。うちの庭の紅葉たちも可哀想なこと多大な災難に遭ったし、近隣の道端には蕾をつけたまま転がる大ぶりな桜の枝だってあった。そのまま打ち捨てておくのはしのびなく、拾い集めてはウッドデッキでバケツに「挿して」いた。しかしそれでは「情趣」というものが足りない。つれあいと「手頃な水甕でも探そうか」と語らい、楽天でそこそこ立派であるのに安価な水甕を見つけ、ポイントがトントン拍子に加算される「買い物マラソン」中の五十日(ごとうび)を選んで抜け目なく買い求め(ここで溜まったポイントは後日に酒類を購入する際に使われる)、週末に間に合うよう配送を依頼する。恰好の止まり木ができて小鳥たちが集い、それにつられてリスまでやってくる。なのに肝心の桜は色づいた蕾を膨らませはするものの、一向に花を開く気配がない。

トロイカ体制

複数の共同指導者によって組織が運営される形態を指してトロイカ体制と呼ぶ。ロシアの3頭立ての馬橇であるトロイカに由来する。このたび白馬に集った私たち3人は、48年前の12歳だった春にほぼ同時にサッカー部に入部した。志望動機を「サッカーは痩せそうだから」とする肥満気味の者も若干一名いたにはいたが、そのまま辞めることを考えたこともなく、キツいシゴキにも耐え最上級生となり、それぞれ部長と副部長になった。思春期をともに過ごし、高校を卒業してからも途切れることなくつきあい、それぞれの結婚パーティーで順繰りスピーチなぞもし、誰かの親が亡くなったときには真っ先に駆けつけ、仲違いのようなことをしたこともなく、還暦を過ぎて今に至る。

「明日のあずさ5号は予約しておいた方がいいのかな?」、白馬に来るはずの前日4月18日の夜になって元部長が呑気なLINEを寄越してくるものだから、元副部長である私は「え?おい、おい!」とおののいた。「インバウンドさんが日本全国を縦横に闊歩する昨今の事情を勘案せんかい!」と密かにつっこみつつ調べてみると、一日にたった一本、全席指定の新宿発白馬直通中央線特急あずさ5号は案の定に売り切れだ。それを伝えられた元部長は、新幹線の指定席を慌てて予約する。そもそも残っていたのは3席だけで、どれも3連シートの真ん中だったそうだ。あの大きな身体をちんまり小さく恐縮させながら真ん中の席に押し込む姿が目に浮かぶ。そうやってどうにかこうにか高速バスに乗り継いだ彼を、自家用車で白馬入りしたもう一人の元副部長夫婦と私たち夫婦が八方バスターミナルで出迎えた。とうとう白馬で一堂に会したのである。「トロイカ体制」とのたまうにはなんとも心許ない「トロイカ体制」ではあるが(笑)。

定年祝いのシャンパン

3月いっぱいでウィンターシーズンを終えてグリーンシーズンが始まるGWまで、白馬は静かなものだ。休業している施設も多い。よって春スキーをしないのならばプラプラ散策する以外にすることもない。とはいえ晴天の雄大な北アルプスである、平川のほとりを歩き、白馬三山を見渡すハイランドホテルの露天風呂につかるだけで「観光」は成立する。そこに桜が色を挿しこんでくれれば申し分なかったのだが、欲をかいても仕方ない、私たちは「こればっかりは」とにこやかに受け入れた。それどころか証拠写真に残るように、道々歩きながら食事をしながら何度も何度も大爆笑、しかし何がそんなにおかしかったのか、今になると思い出せないから不思議なものだ。

「定年祝いにって会社の後輩たちからシャンパンをもらったんだ。高級なものらしいけど、飲む人もそろってないし家では一本空けられないだろ?だからさ」と元部長が高級シャンパンを差し出す。3月生まれの彼はついこの間に定年になったばかり。雇用形態が変わって4月からも働いてはいるのだが、ひと区切りはひと区切り、その記念品を「トロイカ体制」で飲もうという。目論見通り鉄板焼きに話が弾む。そのうちなぜか話がプロレスにおよび、「中邑真輔が引導を渡したグレート・ムタの引退試合が観たい」ということになり、わざわざYouTubeで探し出して熱狂して映写する。もちろん2002年日韓共催W杯をはじめさんざっぱらサッカーの試合を一緒に観てきた私たちであるが、両国国技館でともにプロレスを観た回数を数えてみれば実はそう変わらないかもしれず、なんというかそういう時代だったよなぁ、と感慨を新たにする。

とどのつまり桜は咲かなかった

一夜明けた日曜日、みなでジャンプ台に足を運んだ。「今思えば原田がここで『ふなきぃ〜』と声を絞り出した長野オリンピックは1998年、フランスW杯の年だったんだな」などと、私たちの間では結局のところサッカーに紐づけて年代が認識される。昼食をともにし、土産物を買いにスーパーに立ち寄り、そして彼らは一台の車に乗って東京に一緒に帰っていった。桜は咲かなかったが、今に思えばさほど重要なことでもなかった。翌月曜日、私たち夫婦は五竜&47スキー場に出かけ今シーズンを締めくくった。スキー場に出かけたのはシーズントータルで39日目、目標の40日には一日及ばなかったものの、荒天が多かったのだから仕方ない。

そして桜が咲いた

数日にわたって暖かい日が続いた4月22日、膨らんでいた蕾がようやく開いた。すかさず写真に収めサッカー部の同期にLINEで送っておいた。近いうちにまた集まって、何がおかしかったのか思い出せないほどに笑い合おう。

そして来冬のシーズンリフト券代を稼ぐため、私はここ数年恒例としているアルバイトにこれからしばらく専念する。へたり切ったスノーボードブーツも新調したいから今期はより一層がんばらねばならぬ。だからこれまた恒例、一月半ほどこのブログはお休みさせていただく。再開は6月10日あたりになろうか。ああ、もうすぐ隠居の身。ということで、紫陽花の季節に再会しましょう。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

中高サッカー部の同期と白馬で花見としゃれこむ件のコメント

  1. こんな形で、わずか一泊2日の旅を、記録に残してくれて、ありがとう。大笑いしたネタは全く記憶にないよ。記憶に深く残ったのは、グレードムタvs中邑真輔の試合とそのバックグランドの話。試合前に、ムタが中邑の試合のテレビの前に座り、ずっと見ていたよ、と語りかける、その姿がね、目に焼きついて… あー。
    忘れかけたプロレスのコアなところにある、なんていうのかな…わからん、を思い出したよ。
    俺たち3人と長野冬季五輪のジャンプ金メダルのメンバーに投影して、原田は池○かな、とか思ったりして、でもその後が続かなくて、理科系肉体派で、文学的な力のない私には、話にもならない。
    ま、そんなとこさ。

    Shining Darkness シンザワ

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