隠居たるもの、豊穣な世界の余韻にひたる。習慣というか風物詩というべきか、寒い季節に必ずすることがある。スノーボードの予定がなくなるとともに私の気分が冬から春へと移ろうことを鑑(かんが)みると、ここでいう「寒い季節」が年末年始からボードをしまいこむまでの2ヶ月から2ヶ月半を指していることが歴然となる。では、習慣なのか風物詩なのかはいざ知らず、必ずすることとは何かといえば、年が明けた最初の読書としてまずは村上春樹が翻訳した海外小説を開くこと、さらに加えて、何回か出向くゲレンデにやたらと長い海外小説をお供として持参しその季節のボード旅の間に読了すること、このふたつである。先日に富良野から帰ってきて「寒い季節」は幕を閉じた。いつものように、村上春樹の翻訳は年明け早々に味わったし、旭川から羽田に向かう機上で上下2段528ページに及ぶ大作も読み終えた。

東京都現代美術館のオノ・ヨーコ作品

今年は「グレート・ギャツビー」だった。

村上春樹は、2009年イスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞し、あえて現地に赴きあの「壁と卵」(https://murakami-haruki-times.com/jerusalemprize/)スピーチをする。圧倒的な軍事力でパレスチナを攻撃するイスラエルを批判し、「自分はパレスチナの側に立つ」となんとエルサレムで宣言したのだ。そして、中国大陸の戦闘に参加した父親に触れ、多くを語らない彼がそこでさせられたことしたことに思いを巡らせながら、自分が小説を書くのは「個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるため」だと話す。なんて尊敬できる人なのだろうか。だから一年の最初には彼がつむいだ文章を読みたいのだ。購入したまま放っておいた翻訳小説を正月休みにゆっくり味わう。今年は、スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」を引っ張り出した。学生だったろうか、30年以上前にロバート・レッドフォードとミア・ファロー(映画でふたりが主演したのですな)が表紙になった新潮文庫で読んではいたが、村上訳でこの小説の素晴らしさがようやくわかったような気がする。はかないけれど絢爛にグルーブする文章こそがこの作品だった。

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

ナイジェリア出身の女性作家で、私より一回り若く世界中で様々な賞をとっている評判の人だ。TEDのスピーチを書籍化した「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」という、スウェーデン政府が16歳の子供たち全員に配布した本を読んだことがある。2017年の7月につれあいの帰省にお伴した際に手に入れた。ここ数年、彼女の郷里 熊本に出向いた時に必ず立ち寄る本屋さんがある。橙書店(http://www.zakkacafe-orange.com/ 熊本の文芸を牽引する拠点で村上春樹が訪れて朗読会をしたりする)という小さな店だ。昨年の暮れに発行された雑誌BRUTUSの特集「危険な読書2020」でも取り上げられている。こちらで手に入れ、帰京する機上で読み切り、至らぬ点はありながらも「もうフェミニストと宣言しちゃおう」と決意した。以来、とても風通しが良い。そして、またしても橙書店で2019年の2月に購入していたアディーチェの「アメリカーナ」を、満を持してこの冬の「やたらと長い海外小説」に選んだ。

初めて「人種」を発見する

東京の書店を散策していた1月のこと、この大著が早々と文庫化されているのを発見し少し悲しくなった。そもそも文庫の方が安いし、旅に持参するにもかさばらず軽い。しかし、単行本こそがあるべき存在感を主張し、この作品にはその方がふさわしいと自分に言い聞かせる。アディーチェは「弁解の余地のないオールド・ファッションなラブストーリーを書きたかった」と語ったという。そういうストーリーだ。だからといって、もちろんそれだけのはずもない。「アメリカーナ」とは、ナイジェリアの人が「アメリカで暮らしてアメリカナイズされたナイジェリア人」のことを指す言葉だそうで、主人公はナイジェリアで育ち、八方塞がりの祖国を離れてアメリカに留学する。ナイジェリアには黒人しかいないから、そもそも「人種」という感覚を持ったことがない彼女が、アメリカで虐げられ初めて「人種」という概念を発見する。その他に描かれる、恋人がロンドンで味わう不法移民の絶望的な苦難や、ナイジェリアで女性が置かれた閉塞した状況などなど、それはそれはすごい筆力でレイシズムやジェンダー問題を絡めとりながら完璧にメロドラマを展開する。素晴らしく旅のお供をしていただいた。圧巻だった。

あらためて小説を読む今日このごろ

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、この偉大なストーリーテラーの名をすらっと言いたい。サッカー選手だったら“ズボニミール・ボバン”とか簡単にフルネームで言えるんだから。

学生のころ、たくさん小説を読んだ。20代後半から久しく読まなくなった。嬉しいことに50代中盤にさしかかってまた読めるようになった。海外小説を読むことの方が多い。骨がしっかり通った世界を切り取る“物語”を読みたいからだ。時間があるのは素敵なことだ。ああ、もうすぐ隠居の身。来シーズンのやたら長い海外小説は、「カラマーゾフの兄弟」の再読としようか。

*日本語字幕がついた彼女のスピーチ「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」はこちらで。https://www.ted.com/talks/chimamanda_ngozi_adichie_we_should_all_be_feminists?language=ja

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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