隠居たるもの、遊び心を忘れない。「いちばん、みじかい、リフト券を、2枚、ください。」80歳を越しているだろうと思われるおじいさんが、抑揚をつけながら大きな声でひとつひとつの単語をゆっくりはっきりと発語し、要望を明確に伝えようとしていた。

「いちばん、みじかい、リフト券を、2枚、ください。」

「いちばん、みじかい」とは、1日やら5時間やら3時間やらというリフト券の時間区分の、最も時間が「みじかい」ものを指し、それで「自分は満ち足りる」と宣言しているのである。しかし惜しかった。「ここはスキースクールの受付デスクです。リフト券売場は隣です。そちらでお願いします。」係の者がにこやかに大先輩を誘導する。「おお、そうか。」3歩ほど隣に移り、「いちばん、みじかい、リフト券を、2枚、ください。」と、大先輩は再び抑揚をつけながら大きな声でひとつひとつの単語をゆっくりはっきりと発語した。かなわない。

あ、それは診察券です。

夜通し降りしきり明けた2月18日、ゲレンデに積もる雪は今シーズンで一番、私からすればここ数年で最高のものだった。はらはら舞い残っていた雪もすっかり上がった午後、大先輩は奥様と連れ立ってやってきた。この雪を味わうべく、朝からいそいそとゲレンデに上がってくる街の高齢者も多くいた。リフト券売り場は活況を呈する。

「シニアの一日券をお願いします。あら、千円足りないわ。ちょっとぉ、千円貸して!」

ご近所の友だち同士で連れ立って来場した、70代後半かなぁと思しきおばあさんが、少し離れた友だちに声をかける。パウダースノーに期待が膨らむ混雑した朝のリフト券売り場、少し滞りを作ってしまったことで彼女はちょっと緊張してしまう。

「身分証明書の提示をお願いします。」

60歳以上が条件であるシニア割引リフト券購入に際して、係のとても若い女の子が、年齢確認をするため通り一遍に提示を求める。代金は調達できたものの緊張がまだ解けないおばあさんが慌てて出したのは、白地に緑の文字が記されたカードだった。

「あ、それは診察券です。」

すぐ後ろにいたからはっきりと識別できた。おばあさんが見せていたのは美瑛町立病院の診察券だった。大先輩がパニックになるといけない。私は助け舟を出した。

「いいじゃないか、それで。」

その場にいた誰もが笑い合い、おばあさんはリフト券を手にした。

ここ数年で最高の雪

富良野入りした2月16日昼過ぎ、ゲレンデに雪はあるものの残念なほどに硬かった。夜に寒波がさしかかって雪が降り始める。期待して明けた17日、雪ばかりか風が強くてリフトが動かない。雪は午後にはあがったものの、風はやまず、動いたのは初心者用リフト1本だけ。それでも久しぶりに降ったばかりのパウダーを味わうことはでき、ささやかな喜びにひたった。夕食をとるためホテル最上階のレストランに出向き窓際の席に案内される。大きく開かれたガラス窓の向こうで横殴りの雪が恐ろしいほどに降りしきる。こうして迎えた18日の朝、雪は舞う程度に収まり風はやんだ。火曜日で平日ということもあって、街の大ベテランたちは居ても立っても居られなくなったに違いない。ひとつ前の省察「街から小学生がスキーを担いでやってくる」(https://inkyo-soon.com/furano/)に記した通り、富良野スキー場は地域との結びつきが強い。診察券を出してしまったおばあさんたちなんかは、1日券を購入してせっかくの雪で友だちとたっぷり遊ぼうというのだ。かなわない。その意気が素晴らしい。そうありたいものだ。

領収書には私の名前が記載され、明細書もついていた。

山の家プロジェクトが目論見どおりに完遂すれば、来シーズンからは白馬ばかりを滑ることになろう。富良野スキー場を訪れるのもこれが最後になるかもしれない。馴染んだ新富良野プリンスホテルをチェックアウトするとき、いささかではあるが感傷的な心持ちになった。そんな私の気持ちも知らず、いや知る由もないフロント係は、予約をした私の氏名が印字された領収書と、部屋代の他にレストランや売店で部屋づけにしたもろもろを事細かに記した明細書を手渡した。ANAインターコンチネンタルホテルが問い正されたことにきっぱりと回答したように、当然そうあるべきことを流れるがごとくこなすその仕事ぶりが快い。リフト券売り場を診察券でスルーする類のものではないのだ。聞くところによると、名門などと呼ばれているホテルニューオータニは、宛名が判然としない領収書を大量にばらまいたり、明細書を作ることもなく大人数のパーティーを開催したりしているそうだ。だとしたら総理、一刻も早く税務調査に入らないといけないのではないですか?脱税やマネーロンダリングに恒常的に手を染めている可能性がきわめて高く疑われる。

とにもかくにも、私は富良野を後にした。旭川空港から羽田空港までの夕刻のフライト、羽田に着陸する直前に飛行機から目にした暮れなずむ景色はいつまでも心に残るだろう。ああ、もうすぐ隠居の身。「遊べる」人間でずうっといたい。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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