隠居たるもの、的中させてほくそ笑む。熊本から東京に帰って、その翌日一日のみでそそくさと諸事をこなし、慌ただしくまた白馬に身を運んだのは、黄砂に空がくすむ2023年4月13日木曜日のこと。ここまでタイトに日程を組むには当然のことワケがある。桜だ。まず「この春は2週間ばかり早く咲く」と予想した。そこに、とびとびでなく「この週はまるっきり東京におりません」とキッパリできた方がスケジュール管理も容易、とつれあいの仕事上の判断も加わる。かかる経緯に「ふふ、用意周到であろう」と夫婦は悦に入ったもんだが、そんなよこしまな思惑なんぞ桜前線はお構いなし。予想を追い越して一時はズンズンと北上するもんだからハラハラもすれば諦めもした。しかし、途中に冷え込む日もあってどうやら帳尻があったようで、私たちを迎えた散種荘の可憐な山桜は、この日7分咲きだった。
主眼は冬じまい
こればっかりはタイミングが合わないとどうにもならない。一昨年なんか、木に咲く花にまるっきりお目にかかれず、盛りとなった葉桜を見上げてため息ついて肩を落としたものだ。それがどうだ、この春は「これから満開に至る」ここぞというピンポイントで白馬にやって来れた。「競馬で当てる」とはこんな心持ちなのだろうか(私はギャンブルをいっさいしないもので)、なんとも浮き立つものだ。とはいえ、浮かれてばかりもいられない。今滞在の主眼は花見ではなく、あくまでも「冬じまい」なのだ。
まずはGORE-TEX製品の洗濯から
全国的に荒天だった15日の土曜日、白馬も「一日にわたって雨が降る」と予報されていた。ならば「冬じまい」はその大半を14日の金曜日にこなしておくのが得策だ。さて、その「冬じまい」とはなにか。大型新人とともに4月早々にスノーボードシーズンを打ち上げたからには、まずはさんざん世話になったウェアを洗濯しなければならない。数ヶ月の間の汚れを落とすこともさることながら、GORE-TEXを始めとする撥水衣類というものは、ときたま専用洗剤で洗った上に、アイロンがけなど適切に熱を加えないと機能が落ちる。「あ、かぎ裂きのような破れ目ができちゃってるよ」アイロンがけをしてくれていたつれあいが、私の上着の裾に小さなほころびを見つけた。指先くらいの大きさだから補修パッチ(メーカーであるパタゴニアで1枚110円で販売されている)で対処できるだろう。それをふさいだ後、これら撥水衣類はまとめて次の冬まで物置にしまっておく。
それでもって雪囲いを片づける
そうこうしているうち、プロショップ「チューンナップ500マイル」にオフシーズンチューンナップに出していた夫婦それぞれのスノーボードが届く。うっかりソールにつけてしまった傷もキレイにリペアされており、素晴らしい仕上がりに思わずうっとりする。さあ、大型新人に貸し出したボードのメンテナンスを済ませ、使ったすべてのビンディングの汚れを落とし、革製グローブに油をくれてやり、ヘルメットとゴーグルの点検をする。8シーズン使っている私のゴーグル、無理もないがウレタンが劣化し始めていた。次の冬が来る前に新調しなければなるまい。こうしてスノーボード一式も物置にしまい込む。その代わりにトレッキングスティックや自転車用のヘルメット、春夏用の長靴などを物置から出す。ついでに物置から脚立を持ち出して、5ヶ月にわたって回廊を守ってくれた雪囲いを外して片づける。
そして灰まきでしめくくる
ストーブで焚かれた薪は灰となる。暖房を薪ストーブのみでまかなうとなると、うちのような小さな家でも、優に1トンを超す薪を秋からこの間に燃やす。それが灰になると米袋ひとつ、それも半分ほどで事足りる。それを肥料として庭のここというところどころにまく。樹木はそもそもCO2を吸収してきたのだし、薪となって焚かれて排出されるCO2はそれまでの吸収分と差し引き相殺される。カーボンニュートラルとはそういうことだ。そして灰もまた、これから成長しCO2を吸収する樹木の養分となる。サミットに先立って札幌で4月15日と16日に開催された「G7気候・エネルギー・環境大臣会合」において、当時の菅義偉首相が2020年に世界に向けて「2050年までに温暖化ガス排出を実質ゼロにする」と宣言した日本は、これまでに小手先の目眩し以外にこれといった取り組みもしていない(そしてする予定も立っていない)ことから、欧米各国からさんざんに叱られたそうだ。あの前首相のことだ、大向こう受けを狙っただけで、事の重大な本質にはまったく理解は及ばず、お門違いにも「いざとなったら恫喝してやらせればいい」とお気楽に考えていたことと推測するが、それを引き継いだ者たちも「待ったなし」の局面でこれまた「待った」ばかりのヘボ将棋、なんとも笑えない…。石炭火力発電所を存続すべく姑息な屁理屈をこねる前に、どうやって本来の林業の息を吹き返させるか、そんな施策を真剣に講じるくらいのことはすでにしておかなければなるまい。
一日の労働を終えてみると、すっかりいい時間だ。それぞれに風呂につかった上で明るいうちからビールを飲もう、この日はそう画策していたのだ。代わりばんこに急いで風呂を済ませ、庭の向こうに見える隣地の山桜をあてにした花見の支度を始める。行きつけのスーパー A-COOPに山を越えて富山から運ばれた白海老が並んでいた。それを居酒屋の「川海老の唐揚げ」のように素揚げにし、枝豆とともにつまみにする。木々の間からチラホラのぞく桃色がいくぶんに強い山桜、「あそこにも、こっちにも」とビール片手に首を回す。これはこれでなかなかに乙な花見さ。
この春ラストの花見としゃれこむ
雨が降る15日、おおむね屋内でゴロゴロしていたわけだけれど、しとしと優しく降る雫を受けて、散種荘の桜は満開となった。明けた16日の日曜日、寝床から吹き抜けの窓を眺めるに、この日が盛りであることに疑いの余地はない。仕事に備えて午後から東京に戻るつれあいとともに、午前中は花見に繰り出す。といっても川っぷちの土手や公園に出向いてゴザ敷いて宴会するわけじゃあない。散歩するのだ。
道の両脇に咲く山桜、先にうっすら赤っぽく見えているのもソメイヨシノではなく山桜だ。うちも含めて、みなさん家を建てるにしても切らずになんとか残すのだろう。あちらこちらに咲くそれらを見て歩き「ほほう、こちらの桜もこれまた見事ですな」と品評するのが白馬の花見なのだ。山に残る雪、青空と白い雲、針葉樹の緑、枯葉を割って足元で咲くカタクリの紫、そして山桜の桃色、新緑の前の白馬はなんとも色彩にあふれる。
つれあいをバスターミナルまで見送り、道をはさんだ向こう側の日帰り温泉 八方の湯にそのまま身を運ぶ。スキー場が開いている間、白馬の日帰り温泉施設はシーズンリフト券を持つ者の入浴料をいくらか割引いてくれるのだが、もうそろそろ完全にシーズンも終わることだし、この特典を使うのもこれが最後になる。すっかり温まって涼みがてら山を登る帰り道、とんでもなく強い風がずうっと吹き下ろす。おかげで汗をかかずに済んだのだけれど、向かい風にさらされとても難儀した。散種荘に戻ってみると、無情にも山桜は3分の1から半分ほどが散っていた。ああ、もうすぐ隠居の身。白馬はこうして新緑の季節を迎える。