隠居たるもの、8年ぶりにここに立つ。2023年4月10日月曜日、私は黒川の渓谷を挟んだ対岸から、崩落したまま遺されている阿蘇大橋を眺めていた。お義兄さんが「行ってみよう」とここに車を向けたのだ。今から7年前、2016年4月14日21時26分、熊本県熊本地方をマグニチュード6.5の地震が襲い、熊本県益城町では震度7が観測された。そして一日置いた16日未明1時25分、熊本地方は再度、マグニチュード7.3の大地震に見舞われる。そのとき、直下の断層が動き、橋脚を支える地盤がずれたため、阿蘇大橋は崩れ落ちた。揺れがおさまっているすきに親元に帰ろうと深夜に車を走らせていた大学生が、自動車もろともこの崩落に巻き込まれ命を落とした。誠に痛ましい事故だった。

南阿蘇村震災遺構 “阿蘇大橋”

阿蘇郡南阿蘇村立野と同村河陽をつなぐ阿蘇大橋は、渓谷に穿たれた両地域をつなぐ必要不可欠なインフラである。しかし「同じ場所での再建は困難」だったそうで、600m下流に「新阿蘇大橋」として架け直すことになる。そして崩れた橋桁は、震災遺構として当時のまま遺されることになり、ワイヤーで固定されこうして過去の甚大な被害と悲劇を私たちに伝えてくれる。この阿蘇大橋を、私が自分で運転するレンタカーで渡ったのは、あの地震から一年ほどさかのぼる2015年5月のことだった。

崩落の一年ほど前、2015年5月に阿蘇大橋を渡る

そのときに撮影した写真がある。あらためて確認すると5月23日16時40分43秒(デジカメの時刻設定はすぐに狂うから正確とは言い切れないが、せいぜい誤差20分の範囲に収まることとは思う)。仕事で大分を訪れたついでに、ならば「ひとおもいにつれあいの実家にまで足を延ばそうか」と思いつき、夫婦で九州横断ドライブを敢行した51歳の初夏のことだった。山間部を抜けるころから夕立が強く降り始めたので、橋にさしかかって現れた標識にはっきり「熊本」と表示されているのを目にして、ホッと安堵したことを今でも鮮明に記憶している。だからこそ、阿蘇大橋が崩落したニュースに接したときは心底から衝撃を受けた。しかもあのときの私とは逆方向とはいえ、車を走らせていて巻き込まれた人がいるという。

私たちが震災遺構 “阿蘇大橋” を対岸に眺めていた、いわば展望台のように設置された場所、つまりかつての橋のたもと付近も“数鹿流崩れ(すがるくずれ)” という震災遺構となっていた。熊本地震最大級の斜面崩壊が起こった場所だ。大分と熊本を結ぶ豊肥線と国道57号線が並列し、その上に阿蘇大橋が架かる交通の要衝が、未曾有の自然災害に襲われたのである。当然のこと、地域の行き来と物流は完全に寸断された。思いもかけずに豊肥線ローカル電車が走る光景に出くわしたのは幸運であったが、この路線が全線復旧したのもようやくにして2020年8月のことではあるし、上の写真の左端に残る斜面崩壊の痕跡を見ても、地震の傷跡はいまだ生々しく残っている。

阿蘇CANYONTERRACE&LODGEから、右に延びるのが新阿蘇大橋

その後、私たちは2021年3月に新しく架けられた、より下流だからか随分と長くなった新阿蘇大橋を渡り、対岸に新しくこしらえられた阿蘇CANYONTERRACE&LODGEという、鯉のぼりが峡谷の風にはためく展望施設でジェラートを食べコーヒーを飲み、少しゆっくりと時間を過ごして熊本市内のつれあいの実家に戻った。

谷のはるか下方に黒川を臨む
鯉のぼりの視線の先は阿蘇東急ゴルフクラブ

大した用事があるわけでもなく

お正月でもなければお盆でもない。そもそも大した用事があったわけでもない。航空会社から「この4月に失効になるマイレージがありますけど、いかがします?」と案内を受け、「スノーボードシーズンも終わることだし、他にマイレージを使うあてもないし、それならご機嫌うかがいに熊本にでも行ってみるか?」と計画し、そこに宇都宮で暮らす、やはり退職して隠居修行中のお義兄さんが「それなら僕も行く」と加わり、結果として季節外れ二泊三日の「里帰り」となったわけだ。するとなると、90歳を超えたお義父さんを私たちに託して、お義母さんは長崎の離島へ一泊の俳句旅行に出かけたいとおっしゃる。「いやあ、そういうことは大切なことですよ。この機会にどうぞ楽しんで行ってらしてください」とお義母さんを送り出す。

気がつけば、このところ一族郎党で顔を合わすとき、常にちびっ子たちがいるものだから、大人だけで集ってじっくり語り合うという機会がなかなか持てない。統一地方選挙の日程とも重なり、今日の社会をどう見ているのか、そしてどう考えているのか、遠慮なくそんなこんなの意見交換もできた。旅行から帰ってきたお義母さんも加わった2日目の夜はいうまでもなく、滞在中の酒(主にはお義父さんが用意してくれた焼酎)はとても美味しかった。少し頭が重い午前中に、兄妹につきあって彼らが通った小学校までいっしょに散歩するのも、それはそれで乙なものだ。

阿蘇くまもと空港 新ターミナルビルOPEN

「ずいぶんシャレていると思いきや、あれはコーヒー屋さんなんだ。そしてあっちがクラフトビール屋さんか」天草の名店というふれこみの鮨をつまみながらキョロキョロしている。阿蘇くまもと空港が、熊本地震でもっとも揺れた益城町にあることはご存じだろうか。当然のことながら旅客ターミナルには大小様々に細々としたダメージが及び建て直されていた。それがこの3月23日、ようやくにしてオープンしたのである。お義兄さんと私たち夫婦は、搭乗待合エリアが刷新・充実したという新ターミナルを隅から隅まで探索し、ついでに昼食までとる腹づもりで、予約した便からしてずっと早くに空港に出向いてみた。

うっかりしていた…

「ネタはいいんだけどもさ、うっかりしていたよ。俺は九州の甘くて濃い醤油がどうにも苦手で、それを鮨につけるとなるとなあ…」実はそればかりでもない。空港への出店にいきわたるほど、腕のいい職人がたくさんはいないのだろう。お義兄さんは桂花ラーメンにしたのだが、そちらも麺がなんだかもつれていたという。物足りなくて追加で買い求めた、からし蓮根をコロッケに挟んだ「カラコロ」が結局は一番だった。食後に、成田空港から自動車に乗って宇都宮に帰るお義兄さんはコーヒー、羽田に向かう私たちはクラフトビールをそれぞれに買い求める。これもそれぞれに美味しかった。

クラフトビールを物色中

「小さい歴史」を語る

このターミナルで別れる3人が会話していると、居ても立っても居られなくなるような、どこか不穏な爆音がまるで地の底から響きわたる。つれあいが「なにか、なにか来る!」と、ターミナルの窓の向こうを指差す。陸上自衛隊のオスプレイだった。熊本空港は陸上自衛隊 高遊原分屯地(たかゆうばるぶんとんち)を併設する軍事空港でもある。私たちが経験する個人的かつ地域的な「小さな歴史」は、間違いなく「大きな歴史」に翻弄され影響を受ける。だから「小さな歴史」を語ることは「大きな歴史」を語ることでもある。しかし、勇ましく「大きな歴史」を語りたがる者たちにかぎって「小さな歴史」には目を向けない。それどころか思い通りに事を運びたいがために、「忘れない」と口にしながら時間の経過を待って事実を捻じ曲げ、あげくに「なかったこと」にしようとさえする。そして惨劇は繰り返される。だから私たちは「小さい歴史」を飽かずに語り継がなくてはいけない。ああ、もうすぐ隠居の身。オスプレイの爆音に負けないよう集めて大きな声にして。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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