隠居たるもの、流れた月日の指を折る。2023年4月6日木曜日、ほぼ一週間の時を置いてようやく、録画していた「タモリ倶楽部」最終回(3月31日放送)を観た。テレビ朝日が深夜に放送するこの番組を私がいかに愛しているか、それについてはこれまでにも何度か触れてきた。しかし白馬の散種荘にはテレビを置いておらず、放送日に22−23スノーボードシーズン最終滑走を目論んだがために、オンタイムで観ることができなかった。さて肝心の最終回はというと、「この回で終わり」という案内もなければ40年の月日をふりかえってほろりとする演出など一切なし、「毎度おなじみ流浪の番組『タモリ倶楽部』でございます」で始まり、タモリが適当に料理をして出演者みんなでゲラゲラ笑いながら食べる、まったく常と変わらぬ心地よいユルさ、そして最後にタモリの「ええ、40年間本当にありがとうございました。皆様方の支持のおかげでここまで来ることができました」の一言であっさり終わり、ああ、やっぱりタモリ、あまりにも見事であった。

毎度おなじみ流浪の番組『タモリ倶楽部』でございます

タモリ倶楽部が始まったのは1982年10月8日、今から数えて40年と半年前のことだ。私はその半年後に大学進学を控えた高校3年生で、ゴロゴロ寝転んで深夜番組を楽しむ余裕など当然に持ち合わせていなかった。ビデオデッキが各家庭にあまねく浸透するのももう少し先のこと。だからこの番組を面白がり始めたのは大学生になってからだ。電車がなくなるまで酒を飲み歩いて、一人暮らしをしている先輩や友だちのアパートに転がり込んで、14型とか大きくたって20型とかのテレビで、ダラダラと数人で観ていたのを想い出す。ひどいときは、木曜日の夜にどこかのアパートに泊まって、やっぱりダラダラ起き出した金曜の昼に、同時期に放送が始まった「笑っていいとも!」を観てから大学に出向き、夕方からまた同じメンバーで飲んで、なんだか楽しくなっちゃってこれまた同じメンバーで同じアパートに転がり込んで、金曜深夜の「タモリ倶楽部」を「くだらねぇ〜!」とか笑いあいながらいっしょに観る、なんてこともあった。つれあいと一緒になる決め手となったのも「タモリ倶楽部」だ。もう26年も前になろうか、つきあい始めたころになんとなく「好きなテレビ番組は?」と確認し合ったら、お互いから「タモリ倶楽部」がいの一番に出てきて、「それなら間違いなかろう」とうなづきあったのだった。私はあとひと月ほどで59歳になる。そのうちの40年と半年、合計で1939回放送された「タモリ倶楽部」は、つまり「3分の2」にわたる我が人生の伴奏者だったのである。

「タモリ倶楽部」終了が唐突に発表されたのは2月22日のことだった

その一報に接したとき、感慨としてまっさきに浮かんだのは「ああ、とうとう…」だった。毎年末に出演することが恒例となっているそうだが、タモリは昨年末の「徹子の部屋」で、「来年はどんな年に?」と問われ、「新しい戦前になるんじゃないですかね」と答えた。こうしたことを公の場で口にしない彼がはっきりそう発言したことが驚きとともに報道されたわけだが、私はそのときに「もしかしてこの人のことだから『もういいかげん年なんだし、そんな時代の提灯持ちを強要される前に少しずつフェイドアウトしてしまおう』そう考えているんじゃなかろうか?」と訝しんだものだ。私の直感はあながち間違っていなかったのかもしれない。今般、第二次安倍政権が平時にも関わらずとんでもない圧力をテレビ局にかけていたことが明るみに晒されている。そのせいで例えばNHKの「クローズアップ現代」なんか、とっくに現代をクローズアップすることをやめてしまった(だから番組名を変えた方がいい、「なんとなくクローズアップ現代」とか「あいまいにクローズアップ現代」とか)。それが「戦前」ともなると…。頭脳明晰なタモリが考えないわけがない。

「やる気のある者は去れ。」

2015年4月、31年半に及んだ「笑っていいとも!」が終了してから1年経ったころ、「SWITCH」という雑誌がジャズを軸にタモリを特集した。ファンである私は当然のこと買い求めた。岩手県一関市の伝説的ジャズバー「ベイシー」に、大学のジャズサークルの先輩であるその経営者を訪問する、というのがメイン記事であった。その他に、缶コーヒーBOSSのプロデューサー(当時、タモリは宇宙人のトミー・リー・ジョーンズとともにBOSSのコマーシャルに出演していた)との対談記事もあった。そこでCMプロデューサーは「ある番組を立ち上げる編成会議でタモリさんはこうおっしゃったそうですね。『やる気のある者は去れ』と。そして『なぜですか?』と問われ『やる気のある者は権力の中心で活躍したがる。そんなやつに面白いテレビは作れない』と答えたとも。私はこの話に本当に感動したんですよ」とタモリに投げかけた。やはり公の場でこうしたことを口にしないタモリであるが、否定しなかったところを見ると、間違いなくそう言ったことがあるのだろう。大袈裟にいって「鳥肌がたった」。やはりこの人はすごい。しかし感動しているCMプロデューサーの方はというと、のちに渡辺直美を「オリンピッグ」にしようとしたことが発覚して東京オリンピック・パラリンピックのクリエイティブディレクターを辞任した、権力の中心で活躍したがる電通出身の佐々木宏であるから、なんとも興醒めな話ではある。

FOR THE SOPHISTICATED PEOPLE

あんまりな「笑っていいとも!」のマンネリ化に対し、タモリをくさすことで新しいものを探そうとした一時期もあったが、「FOR THE SOPHISTICATED PEOPLE」をキャッチフレーズとする「タモリ倶楽部」がある限り、彼の「核心」はいつだってはっきりしていた。軽やかなのである。おもねらないのである。マニアックなのである。決めつけないのである。ほどよくテキトーなのである。「反逆」風のイメージをまといながら、いつしかすっぽり権力に回収された今現在のビートたけしの不健康そうで哀れな姿をかえりみるとき、その対比は明瞭だ。爆笑問題 田中、劇団ひとり、市川沙耶、おそらく現在で最もやりやすいメンツをそろえたのだろう「タモリ倶楽部」最終回のタモリは、縦横無尽だった。応募したことは一度きりしかないが、「空耳アワー」にいまだ採用されないまま番組が終わってしまうこともとても悲しい。1945年8月22日、太平洋戦争が終わってすぐ一週間後に生まれ、この夏に78歳になるタモリ、おそらく「ブラタモリ」も含め近いうちにすべてやめてしまうだろう。とにかくお疲れさまでした。肝に銘じておきたい。ああ、もうすぐ隠居の身。戦後を象徴する偉大なテレビ人が去っていく。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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