隠居たるもの、1曲ごとに耳澄ます。薄寒くどんよりと曇った2023年4月24日月曜日、私たちはウォーキングがてら日本橋に向かった。つれあいが肩にかけたエコバックに物騒にも包丁を忍ばせている。なにも積もりに積もった恨みを晴らすべく刃傷沙汰に及ぼうというわけではない。「長きにわたって愛用してきた包丁がどうにも頼りなげで不安なのだ、馬喰町に在する取引先に顔を出す用事もあるから、ついでに包丁を買い求めた日本橋の店に持参して修繕できるか確かめたい」つれあいがそう主張したのだ。日本橋 木屋、創業寛政四年(1792年)、今はCOREDO室町1の1階に入る刃物の老舗である。

日本橋 木屋は創業寛政四年

「自分は使わないくせにこんな立派な品物を買ってくるもんだから、できうる限りの手入れをしてきたつもりなんだけど…」つれあいに頼まれて私が店頭で包丁を見繕ったとき、まだ木屋は中央通りに面する古くからある(なんてったって創業寛政四年)一軒の路面店であった。私はその旧店舗で買い求めたのだ。三井不動産が仕掛けた再開発に合わせ、道を挟んだ向こうにできたCOREDO室町1の1階に木屋が移転したのは2010年10月のこと。するとなると、「これがよかろう」とわかりもせずに包丁を物色したのは15年も前になろうか。木屋があった一画はもぬけの殻となった後に取り壊され、その跡地に今はCOREDO室町3(2014年3月開業)が建っている。

「ご自身で研いでこんなにきれいに長く使ってくださる方もなかなかおられませんよ」旧店舗のころからずっとこの店で働いてきたであろう女性(女将さんなのかもしれないが)とつれあいが、木の柄を分解した包丁を前に、どうしたものか相談している。木の柄に挟まれていた鉄部が腐食していて修繕するのは難しい。結局、つれあいは「前より力もなくなっているから」とより軽めにして新調することにした。そんなやりとりを小耳にしつつ手持ち無沙汰な私は店内をブラブラしていた。すると今も愛用しているもうひとつの品物が、購入した時と変わらず隅っこに整然と並べられているのに気づく。爪切りだ。艶消しの黒がなんとも渋い。女性店員(くれぐれも女将さんかもしれないが)によると「前はサイズ違いをいくつか作っていたんですけど、職人さんがいなくなっちゃって、今はひとつだけなんです」とのこと。確かに私が愛用している品物は、店頭にあるものよりひとまわり小ぶりである。

タロー書房の旧店舗は木屋の隣だった

COREDO室町1の2階に上がって四川飯店の麻婆豆腐を食し、つれあいが馬喰町に移動するまでには少し時間があったから、地下街で隣接するタロー書房に下りる。この書店も元は木屋の隣にあった路面店で、同じく再開発に際して2010年10月にこちらに移転した。「音楽は自由にする」という坂本龍一の自伝が、村上春樹の新刊とともに平積みにされている。それにしても今年は名を成した人がよく亡くなる。ジェフ・ベック、高橋幸宏、鮎川誠、省察で触れたミュージシャンばかりではない。ついさっき食事に訪れた四川飯店の陳健一だってこの3月に亡くなった。「定年退職」後に1年に1冊のペースでゆっくり読み進めようとしている「大江健三郎全小説」全15巻、その3巻をひもといているまさにその最中に氏の訃報に触れびっくりしたのも3月のことだ。そして立て続けに3月28日、坂本龍一まで亡くなった。昨年来「ずいぶんと悪いらしい」とは聞こえてきたから「とうとう…」と悲しくはあったのだけれど、「降って湧いた」ような「追悼ムード」に私はどうにも「ノレ」ないでいた。

「な・い・し・ょのエンペラーマジック」

優勝を飾ったWBC終了直後だったこともあってか、世間はそのまま「世界の坂本」追悼ムード一色となる。それが「ノリ」で沸き起こった「薄いもの」にしか感じられず、私はなんというか「シラケ」ていた。そんな中、大学時代の友人たちが作るLINEグループに「な・い・し・ょのエンペラーマジック」という曲が浮かび上がる。「ほら、君の家で聴いたから」と言われ「確かにそうだった」と思い出す。

1980年代に、山崎春美という人が主導するTACO(タコ) という流動的で前衛的な音楽ユニットがあった。坂本龍一は、そのファーストアルバム「タコ」(1982年)にこの曲で参加する。忌野清志郎とのヒット曲「い・け・な・いルージュマジック」をふざけてもじった楽曲の内実は、戦争責任を曖昧にしたまましれっとしている昭和天皇と、その人をそのまま「象徴」として戴き続ける社会、そんなこんなをシニカルに揶揄する痛烈な一曲だった。当時「自主制作盤」と呼ばれたこのアルバムは、発表後すぐに回収され巷に流通しなくなった。しかしこの曲が原因ではない。他に参加していた町田町蔵(小説を書くようになって芥川賞までとって今は町田康)の曲が身体に障害を持つ方々への差別用語を満載していたためだった。(つまり当時は、坂本龍一のこの曲のこの程度の言動は自由に発表できていたのである。)発売されてすぐに買い求めた私はこれを持っていた。そう、友人はざっくり40年ほど前のあの日、それを聴くために私の部屋に遊びに来たのだった。それを思い出したことで、私は坂本龍一の死を素直に悼むことができるようになった。先日のこと、TBS「報道特集」で「どうしてこんなに言いたいことが言えない国になってしまったんだろう」と坂本龍一が嘆くインタビュー画像が流されていた。大江健三郎同様、だからこそ彼は「異議申し立て」を死ぬまで続けた。

「あなたの料理は大好きだし、あなたを尊敬しているし、このレストランも大好きだけど、音楽は嫌いだ」「私にやらせて。あなたの料理は桂離宮と同じくらい素晴らしい…だが、レストランの音楽はトランプタワーのようなものだ」そう坂本龍一が提案して、ニューヨークの自宅近くの「Kajitsu」という店のプレイリストを作ったのだそうだ。そのエピソードとリストそのものを紹介している記事を友人から教えてもらった。すごくよくわかる。別に自分の好みと合っていなくてもいいのだが、思い入れもなく「こんなあたりだろ?」とおざなりにチョイスされた音楽を無理矢理に聴かされるのがとてもつらい。暇にまかせてさっそくApple Musicで私のPCにこのリストを再現してみる。あたりまえのこと、彼が通っていた店はとても高級な店なんだろう。アンビエントなど静謐な曲が並ぶリストは、私たちの下世話な食卓には合いそうもなかった。

坂本龍一の自伝はアルバイトの通勤途中に

しかしこの「The Kajitsu Playlist」、4月13日に発表された村上春樹の新作「街とその不確かな壁」、(あと少しで読み終える)この深い喪失とそれによって損なわれてしまった人たちのどこか幻想的な物語のBGMにはピッタリだ。そして次は「音楽は自由にする」、この坂本龍一の自伝にとりかかろう。「The Kajitsu Playlist」をBGMに、アルバイトに向かう道すがら。そう明日4月25日からリフト券代を稼ぐため、恒例のアルバイトが始まる。なのでしばらくは(たぶん6月半ばまで)新たな省察のアップはお休みさせていただく。ああ、もうすぐ隠居の身。再開後、このブログは5年目に踏み出すこととなる。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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