隠居たるもの、「苦い人生」で祝杯をあげる。2022年4月17日日曜日、クラフトロックフェスティバル2022なるイベントのため立川まで出かけてみた。クラフトロックの「クラフト」はクラフトビールの「クラフト」で、クラフトロックの「ロック」は言わずと知れて音楽の「ロック」だ。つまりクラフトロックフェスティバルは「ビールと音楽の春祭り」。あいにくの曇りでビール日和ではなかったものの、春の日曜日に芝生の上でビールを飲み音楽を聴きながら、3年ぶりに顔がそろった友人夫婦と私たちは語らい合った。クラフトビールのほろ苦さが身に沁みる。
KANAKOが出演するからさ
すでに午前11時15分には、芝生ガーデンの両脇に並ぶクラフトビール屋台から一軒を選び出しビールを飲んでいた。姪から「友だちが出演するから一緒に行かないか」と誘われたのだ。大学入学のために上京して以来、結婚しても姪はずっと我が庵の近所に住んでいる。するとなんかの拍子で仲良しの高校同級生たちがうちにも遊びに来たりする。そのうちの一人、KANAKOがTHE LOCAL PINTSというバンドで出演するというのだ。バンドの出番は11時30分から。調べてみるとクラフトロックフェスは豊洲で2016年に産声をあげ、最新の音響を備えて新設された立川ステージガーデンに場所を移した今回が6年ぶり2度目の開催となるそうだ。姪の一団とも開演10分前に合流する。あれ?仲良し同級生グループが一人いない。「あの娘は寝坊しちゃって大慌てで今こっちにきてるところ。あ!乗る電車を間違えちゃったって!」スリリングなLINEが届く。さすが「あの娘」、一筋縄で済ませてはくれない。「ええっ!もう間に合わないんじゃない?ああ、KANAKO怒るぞぉ…」仲良したちはハラハラし、私たちはクスクス笑う。中央特快じゃなければいけないところを普通の快速に乗ってしまったのだろう。
ええっと、THE LOCAL PINTSの……、
私たちはKANAKOの招待者リストに名前を載せてもらって優待料金で入場しているのだ。だから怒るに違いない。私も関係者窓口で難儀した。係が「誰の関係者ですか?」とリストをめくって尋ねるから「ローカル・ピンツの…」と答えると「あ…、ローカル・パインツですね?」と訂正のうえ確認される。しまった、ローカル・ピンツとばっかり思っていたがパインツだったのか!考えてみればそりゃあそうだ、クラフトビールなんだもの…。しかしそこは年の功、取り澄まして「ええっと、そう、ローカル・パインツの…」と返してみたが、ここから先これまた難儀する。10年来、KANAKOは私たちにとってあくまでKANAKOであって名字なぞ知らない。しどろもどろになる私を尻目につれあいがリストの中から必死になって私の名を探し出し事なきを得る。でもこれこそが年の功、こんなこともあろうかと早目に来場していたからこそ、友人夫婦も含めた私たち4人はなんとか余裕で15分前には芝生に陣取りビールの手配も終えていたわけだ。しかしさすがは「あの娘」、最後の曲になんとかギリギリ鬼気迫るすっぴんで現れ、遅れを取り戻すかのようにノリまくってなんとか面目を保つ。なんとも微笑ましい春の光景であった。
リハビリだよ、リハビリ。
CRAFTROCK BREWINGから始め、奈良醸造を経て3杯目に「苦い人生」とカップにプリントされた志賀高原ビールを飲んでいる。「リハビリだよ、リハビリ。」友人夫婦の旦那さんが何度もそう口にする。姪を通してKANAKOにちゃっかり頼み、古くからの同年輩友人夫婦を誘ったのには訳がある。まず彼らは立川に出るのが苦にならない。加えて夫婦そろって酒が飲める。フジロックに何度も同行した奥さんは音楽好きだ。そして何より二人は過酷な介護を終えたばかりなのだ。4人そろって顔を合わすのもほぼ3年ぶり、屋内と屋外のステージを行き来する合間に、訥々と語られるこの間の消息を聞く。
「お母さんが転んで大腿骨を折って車椅子になってから、コロナがどうとか関係なく、遊びに行くなんて一切できなくなったものね。目を覚まさなくちゃいけないことが毎晩必ず起きるから夜ぐっすり眠るということもできなくなったし、今もまだ長い時間は続けて眠れない…」介護を必要とするお母さんと同居し長らく苦労をしていた友人夫婦、2年半ほど前のことだったろうか、お母さんが脚の骨を折ってしまい彼らの生活は介護一色となった。そして会うことすらままならなくなった。想像はついても新型コロナ禍どうにも助け舟を出しづらい。話を聞いてみるとその内実たるや想像を超える過酷さだった。そのお母さんが年が明けて亡くなった。夫婦はお母さんを看取り、四十九日も終えた。そしてこの春に外で音楽を聴きながらビールが飲める機会が浮上したのを幸い、久しぶりに声をかけるにはうってつけじゃなかろうかと思って誘うだけ誘ってみたのだ。「こういうこと、全然してなかったでしょ?だからといって、今になっても『したい』という気持ちが自分たちからはなかなか起きないんだよね。誘ってもらって良かった、やっぱり楽しいね。これは俺たちにとってリハビリだよ、リハビリ。少しずつリハビリしないとね。」
yonigeはまたの機会に
屋外ステージのトリを飾る、yonigeという大阪のガールズロックバンドがせっかくなら観たかった。でも気温の低いこの日は夕方になる頃にはビールがもう美味しくなくなった。姪に連れられたメロン坊やがいっとき賑やかしてくれたが、あの一団も午後2時過ぎには帰っていった。みるみる寒くなるし、年寄りの冷や水で風邪をひいちゃったら馬鹿馬鹿しいし、yonigeはまたの機会にして私たちも午後5時半には会場を後にした。今度は白馬に泊りがけで飲みにおいでよ、とか、それなら俺は二段ベッドの上がいいな、とか、そんなことを交わしてJR南武線に乗る彼らとJR中央線に乗る私たちは立川駅で別れた。そもそも身体を伸ばしてビールを飲みながら音楽を聴くこと自体、いつにしたってリハビリのようなもんだ。ああ、もうすぐ隠居の身。人生ってえのはほろ苦い。