隠居たるもの、ヘルメットかぶって風を切る。「明日から2週間ぶりに白馬だ」と浮き足だった9月14日火曜日夜のこと、風呂を上がってみると、つれあいがなにやら興奮している。「言ってたじゃないの。ほら、シャンプ台が見えるあたりで3台くらいの自転車とすれ違ったとき。『後ろにカメラ持った人もいたし、おばあさんみたいに見えた先頭の人、あれ火野正平じゃないかな』って。本当にそうだったのよ!」火野正平が自転車で日本各地を旅する「にっぽん縦断こころ旅」という番組がNHKのBSプレミアムにある。たまたまテレビをつけたら放送していて、「秋の旅」として再開されたその初っ端が白馬だったのだそうだ。台風14号の影響が及ばないうちと2021年9月16日、私たちもサイクリングに出かける予定を立てていた。
一級河川 姫川はここの湧き水が源流なのだ
「俺たち、映ってた?」と確かめるが、最後の方を少し見ただけだからわからないという。埒があかないので18日土曜日午前の再放送を録画セットする。「すれ違ったのは確か8月16日だった。豪雨の影響で2日足止めを食ってさ、やっと移動できるってバスターミナルに向かう道すがらだったろ?ロケにも支障があったろうな。」番組の最後、火野正平は姫川の源流で恒例の「視聴者からの手紙朗読」をしたそうだ。そこは私たちが予定したサイクリングの目的地 青木湖の途中に位置する。立ち寄ってみることにした。車の乗り入れが禁じられた、彼が手紙を読んだ現地に立つ。澄み切った水がこんこんと湧いていた。名水百選にも選定されているそうだ。標高3000メートル近い山々に降った雨が地中に溜まって下りてきて、ここで地表に湧いて低きを目指して川となり、散種荘近くを流れる平川など数々の支流と合流し、60kmを流れて日本海に向かう。
青木湖は有数の透明度を誇る
散種荘から青木湖までは片道で12km、往復となると24km、アップダウンを考慮すると我々にとっては適度な距離だ。特急あずさやレンタカーの車窓から何度も眺めてはいるが、湖畔まで下りたことはいまだない。愛車のオーバーホールを経て暑さも去った今、「いつのるの?いまでしょ!」なのである。どれくらいぶりかも忘れたほど久しぶりにヘルメットを引っ張り出す。まずはひたすら下り、安曇野アートラインにぶつかり南に向かう。姫川源流自然探勝園に寄り道し、いくらかきつい勾配の上り坂を踏ん張り、ひっそりとした佐野坂トンネル(幽霊が出るという噂)をくぐる。雲の切れ間から届いた陽光に湖水が輝いている。目の前にたたずむ青木湖はとても美しい。
しかし青木湖はシーズンオフだった
自分ちで昼食を済ませておいてよかった。当初は「おにぎり持参・湖畔でランチ」と計画していたのだが、なんたる失態!たらこや鮭といったおにぎりの具を買い求めるのを失念していたのだ。結果、神保町のカリーライス専門店エチオピアのレトルトカレーでランチを済ませてから出発することとあいなった。しかし怪我の功名とはこのこと。夏を過ぎた平日の青木湖はひっそりしていて、ボートやカヌーのアドベンチャー系施設はほぼすべて店を閉めており、湖畔のスペースに続く小道の入り口にはロープが張られている。これではおにぎりを頬張る適当な場所にたどり着けない。対岸まで行けばあるのかもしれないが、そう問屋が卸すとも限らない。私たちは美しさばかりをゆっくりと堪能し、うちの近くにあるライオンアドベンチャーの青木湖支店を見つけ、そこで働く日焼けした女の子に頼んでトイレを借りた。来年はここでカヤックに乗ってみよう。
「まにあうかもしれない」
白いそばの花が可愛らしく咲き誇り、実りつつある稲穂がこうべを垂らす田園地帯を自転車で走る。その間ずっと、人がいないことをいいことに「僕は僕なりに自由に振る舞ってきたし 僕なりに生きてきたんだと思う だけどだけど理由もなくめいった気分になるのはなぜだろう」などと吉田拓郎「まにあうかもしれない」を歌っていた。それは、380円で手に入れたほぼ50年前の中古レコード、この曲が入った名盤「元気です」を前日の夜に酔っ払って何度も何度も聴いていたからだし、相談に乗っている若いもんが「思ってることとやってることの違うことへのいらだちだったのか だから僕は自由さを取り戻そうと自分を軽蔑して、自分を追い込んで」そうで、その子にこの歌を聴かせてやりたかったからだし、また自転車というのは「なんだか自由になったように いきがっていたのかもしれない」者に「自由」を体感させる乗り物だからだし、その実「まにあうかもしれない今なら 今の自分を捨てるのは今なんだ」という歌詞に私自身が今までに何度も鼓舞されたからだった。
ヒルクライムもいつしか日常となっていた
行きがけに、まるで散歩させるように馬に乗っている人がいた。つれあいが帰りがけ「農かふぇ 白馬そだち」でソフトクリームを食べたいというから立ち寄ったら、軽トラックの荷台に2頭の山羊が乗っていた。農地の雑草を除去するため、薬や機械を使う代わりに白馬では山羊を放って草を食べさせる取り組みをしていると聞く。たぶん、この子たちは今日の仕事を終えて帰るところに違いない。
「途中で降りることは恥ずかしいことじゃない」などと声をかけ合い、リタイアすることを非難しない意向を確認し挑んだ帰宅路最後の延々と続くヒルクライム、それがだ、あまりつらさも感じないまま「あれ?もう着いたの?」と家に到達する。採用した経路の傾斜がなだらかだったのか、何度かのチャレンジを繰り返し身体が馴れたのか、とにもかくにもヒルクライムもいつしか日常になっていた。合わせて3時間のサイクリング、私たちの「にっぽん縦断こころ旅」である。ああ、もうすぐ隠居の身。まにあうかもしれない今なら。