隠居たるもの、手ぶらのまんま途方に暮れる。2021年9月14日、普段のルーティーンからすれば変則的に動いていた火曜日の午前中、私は道路っぱたに家の鍵も持たなければ、はたまたスマホも持たず、ぽつねんと一人で突っ立っていることにようやく気づき、ほとほと途方に暮れた。私はBluetoothのイヤホンで、我がスマホiggyが飛ばす信号をキャッチして、その時はマッシヴ・アタックを聴いていた。それが前触れもなくぷつっと途切れてしまったのだ。今朝に充電したばかりだからイヤホンの電池がなくなったはずはない。気づかずiggyをいじり、誤作動を起こしたのだろうか。確認しようとポケットをまさぐる。あれ?スマホがない…。あ、やっちゃった…、スポーツジムに置き去りにしたまま出てきてしまった…。とりあえずジムに近づいてみると、ホットラインは再度つながり曲が再開される。しかし、どうしたものか、常時施錠されたジムの扉を開けるセンサーキーも、家の鍵も、一切合切は向こう側だ。今は午前10時15分、スタッフは11時にならないとやって来ない。扉を開けてくれる人はいない…。
「いやあ、気づき方が若い!」
暮らす集合住宅の、私からすればひと回り上といった年恰好の管理員さんが「Bluetoothで音楽を聴いていて、それが切れたから『いけね、置いてきちゃった』って気がつくなんて、それはそれで、いやあ、気づき方が若い!」と妙な慰めかたをしてくださる。私は「でもですよ、本当に若ければ、そもそも考え事をしていたからってスマホを忘れてきたりはしません」と返す。そして二人して大笑いする。集合住宅の世話役を仰せつかっている私は、10時30分から管理員さんと打ち合わせをすることにしていた。つれあいはとっくに仕事場に出向いただろうし(スマホがないから連絡もとれない)、いつまでも道路っぱたでぽつねんと途方に暮れていても仕方ないし、財布をはじめそもそもお金はさっぱり持ち込んでいないし、なんとかなるだろうとジムから歩いて2分の集合住宅にとりあえず戻ってきた。管理員さんと打ち合わせを予定していたのはまったくもって幸いで、なんとか11時まで時間をやり過ごせる。「昨晩はオンラインで出身大学の同窓会定例会合がありましてね、そこで話題にのぼったことを『今後どう進めたもんか』と考えてたんですよ。ほら、筋力トレーニングなんて、考えごとしながらでもできるでしょ?そのうちにひと通り終えてしまったんです。だから鼻息荒くなってて考えごとで頭がいっぱいだったもんだから、そのまんま鍵もスマホを持たずにフラフラ出てきちゃって…」
私のCPUはすでにマルチタスクに支障をきたす
遡ること10年くらいになろうか。もちろん勤め先に通っていたころのことだ。客先に持参する資料を作るにあたって「あの書類」が必要になり、書庫に取りに行く。「歩行」という「単純動作」のついでに、うっかり「そういえば、あの件はどうしたものかなあ」などと考えごとをしたりする。さて書庫に到着して「あの書類」を手に取ろうとすると、はたして「あの書類」がなんだったか遥か彼方に忘却し「俺は何をしにここに来たんだっけ」と途方にくれる。そんなことが起きるようになった。あれ以来、かろうじて「演算処理能力」を維持しているように見える私のCPUは、「同時処理能力」つまり「マルチタスク」に支障をきたし続けている。だけど57歳と4ヶ月ともなるんだから、いたしかたない。ご同輩、そんなもんだろ?笑い飛ばすしかなかろう。11時過ぎにジムに戻り、(24時間オープンだからこそ午前11時から午後10時までの間にしかいない)スタッフをインターホン鳴らして呼び出す。「いやあ、参っちゃったよ」と事情を話すと、若者は「はは、どうぞ取って来てください」とニッコリ笑って招じ入れてくれた。幸いなこと、大事には至らなかった。
家事労働の楽しみはルーティーンにしてこそ
家事というものは日々にこなすべきものであり、思いつきでやろうとすると必ずや「マルチタスクの落とし穴」にはまり、いき届かないところが生じる。だからこそ日々のルーティーンが大切だ。私の主な担当は掃除と洗濯。朝食を終えたら洗濯に取りかかる。そして洗濯機を回す間に、庵全体5つに分けたブロックを一日にひとつずつ、順番に掃除する。洗濯を終えると、東京にいるときは月水金にジムに出かける(買い物は火木にあたるように調整する)。私が設定したルーティーンには根拠があった。こうすればトレーニングを終えるのはほぼ常に11時前後。さすれば鍵とスマホをうっかり置き忘れたとしてもスタッフがいる。そう、我がCPUに「適正な不信」を抱き危機管理をしていたのだ。なのに、火曜日の今日、明日からしばらく出向けなくなるからとルーティーンを破ってジムに足を運び、しかも洗濯物が少なかったからトレーニング時に着用したものも一緒に洗おうと洗濯を後回しにして早い時間帯に出かけ、「なかなかうまく考えたんじゃない?」と悦に入って「適正な不信」を手放した。そしてまんまと「落とし穴」にはまったというわけだ。「Go To キャンペーン」と新型コロナ抑制が「マルチタスク」でこなせると勘違いしたご老人たちの傲慢な過信が引き起こしたものを思い起こす。ご同輩、私たちはこれから「ニューノーマル」を模索しなくてはならない。with「適正な不信」。ああ、もうすぐ隠居の身。57歳4ヶ月ともなると、必要な美徳は奥ゆかしさだ。