隠居たるもの、弱味あってこその可愛げだ。どうしたことか、オリンピックの延期が決まるやいなや一転して新型コロナに対して厳戒を煽る東京である。間違いなくそんなことになっていると察しはついていたから驚きはしない。今まで通りわきまえて生活するだけのことだ。それはそうとしても、実はこの一週間ほどちょっと困っていたことがあった。私には持病と呼ぶべきものがあり、それが発症していたのだ。病名はS状結腸憩室炎という。

S状結腸憩室炎

加齢によりできやすくなるのだそうだが、大腸憩室(けいしつ)とは、大腸の内壁の一部が外側に飛び出してできてしまうポケットのような小さな袋で、ちょっとした拍子に細菌が悪さしてそこに炎症を起こしてしまう。もちろん痛くなるし、ひどくなると薄くなった腸壁が破裂して手術にいたることもあるから、そうそう甘く考えるわけにもいかない。食の欧米化が原因なのか、かつてより憩室を持つ人が増えているという。私の場合、憩室ができているのがS状結腸だというわけだ。自分がなるまでそんな病があるなどとはつゆほども知らず、だからこそあの時も、左やや下脇腹が何日も鈍く痛むのを放置して、今月の締切も終わったし今日は仕事もないからとようやく出向いた休日外来で、ああでもないこうでもないと検査され、あげくに有無を言わせず人生初の入院をさせられたのである。2005年10月30日の日曜日のことだった。

東京都立墨東病院

「入院して腸に負担をかけないように絶食し、点滴で抗生物質を投与します。憩室が破裂したりするといけないし、絶食していて脱水症状を起こす危険もあるので在宅というわけにはいきません。」

抗生物質と栄養の点滴を1日に何度か換えて、毎朝に検査のための血液採取をするだけ。治療が始まってすぐに痛みは緩くなるのでとにかく暇。幸い住まいから近くはあったから、つれあいに取っ替え引っ替え本を持ってきてもらっていた。

「今度の土曜日からお客さんと、いわば接待旅行に行くことになっているんです。金曜日までに退院できないととっても困るんです。大丈夫でしょうか。」

確かにクライアントではある大学の先輩たちと旅行に行くことになっていた。お医者さんに「抜き差しならない」感を共有してもらいたく「接待旅行」という言葉を使ったが、その実は楽しみにしていた仲良し旅行である。

「炎症が治ればなんとかだね。様子を見てみないとなんとも。がんばりましょう。」

「私は一体なにをがんばればいいんですか?」

「ハハハ、とにかく安静にして。」

墨東病院は錦糸町の南側、歓楽街を過ぎたあたりに位置する。病室の窓から煌々としたネオンの灯りが見える。私はがんばってとにかく気を落ち着かせていた。

今のあなたに一番いけないのは、

“がんばった”から、日々の血液検査で明らかになる白血球の数値も順調に下がる。金曜日の朝からは食事も出た。重湯と味付けの薄いカボチャが恐ろしく美味しい。「まあ大丈夫だろう」と口にしていた主治医からも、昼の病院食を食べてから退院するよう指示が出る。似たような年恰好の先生とはその頃までにすっかり打ち解けていた。

「できてしまった憩室がなくなったわけではないからね。炎症が治っただけで、これからもあなたには憩室があるんだから気をつけてよ。『あれ?』と思ったらすぐに対処すること。まあ、それはそれとして明日から旅行だね。『酒は飲んじゃいけない』って言ったって、そういうわけにもいかないし飲むんでしょ?でもね、今のあなたにとって一番いけないことは“下痢”だからね。お酒の飲み過ぎと、あと腸に直接くるような刺激物は絶対にダメだよ。接待旅行か、楽しそうだね。温泉?どこにいくの?」

退院できる解放感から悪びれることなくニッコリと答えてしまった。

「釜山です。」

キョトンとする先生にダメを押す。

「釜山です。韓国の…。」

「ふ、ふ、ふざけるなぁ!辛い刺激物の本場じゃないか!」

その後、落ち着きを取り戻した先生はコンコンと私を説諭した。神妙に聞いていた私であるが、頭に浮かべていたのは、港町 釜山のチャガルチ市場2階で食べるメウンタン(魚または魚のあらでダシをとったチゲ。メウンは辛い、タンはスープ料理の総称。つまり直訳すれば辛いスープ)であった。だって、先生の名字は「辛」だったのだもの…。

「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」?

延期された東京オリンピックの勇ましい名分だ。すべからく「勝ち負け」で論じたがるところにあの人たちの品性が如実に現れる。そもそもだけど、相手はウィルスなんだから、できるのは収めるとこまでで打ち勝ったりなんかできないんじゃないか?いつしかまたグレードアップしたやつが出てくるだろうし。「アンダーコントロール」できないものへの畏怖を忘れてはならない。

「あれ?」と感じると、近所のかかりつけ医院で飲み薬をもらうことにしている。ほんの数日飲めば、炎症の芽はつめる。それが今回、私もかかりつけ医院の先生も、慣れてタカをくくったからか“持病”のコントロールを失いかけた。いったん失ったものを元に戻すのは骨が折れる。「お酒は少しくらいならいいですか?」と先生に尋ねると、困った顔で「今週くらいは辛抱しなさい」とやんわり叱られた。左やや下脇腹が痛むと、14年と少し前に先輩たちと訪れた釜山を思い出す。もちろんチャガルチ市場で美味しいメウンタンを食べた。ああ、もうすぐ隠居の身。気を配って愛しい持病とつきあっていくのである。

釜山民主公園にある民主抗争記念館の展示
投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

14年来つきあう持病が発症したのは、釜山に旅立つ直前だった件のコメント

  1. 同じ持病で同じ病院に人生初入院をしたので、まるで自分の日記を読んでるようでした(笑)

    rio

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