隠居たるもの、「そよ風の誘惑」に身をまかす。「夏休み」を切り上げ東京に戻ってからというもの、色々とやることがあったもんで足かけにして25日間、ずっと深川の庵で過ごしていた。日々にするべきことも入れ替わるから、決して無聊(ぶりょう)をかこつことはなかったのだけれど、今や東京滞在が3週間を超えると、どこか「閉塞した気疲れ」のようなものを感じる。溜まったものを吐き出すようについ「ふう…」と息をつく。兎にも角にも、役回りをつつがなく果たして2022年10月13日、ようやくにして白馬に向かう。あずさ17号から松本で乗り継いだ大糸線南小谷行きは、かしましいご高齢のご婦人方でひしめきあっている。その方々もろともいっせいに夕方近い駅前ロータリーに降りると、白馬三山から爽やかに冷たいそよ風が吹いてきた。

オリビア・ニュートン=ジョン「そよ風の誘惑」

昨年に比較すると、今秋は山の色づきが早い。ときおりそよ風がひゅうっと頬をなで、あたり一面のすすきが気持ちよさそうにたなびく。ひっそりとした静けさがよりいっそうに際立つ。「そういえば死んじゃったんだっけ…」とオリビア・ニュートン=ジョン「そよ風の誘惑」がふと頭に浮かぶ。この曲は1975年3月に発表された曲だから、ヒットした当時、私たちは小学5年生。暑い盛りのこの8月に、彼女は73歳で亡くなった。「生まれて初めて憧れた綺麗なお姉さん」だったからか、同世代には大きなショックを受けた者が多かった。実際に8月9日、散種荘の2年点検に訪れたハウスメーカーの担当者(少しだけ年上)が、到着するなり「オリビア・ニュートン=ジョンが死んじゃいましたね。ショックで…」とひとしきり話し、なかなか仕事にとりかかろうとしない。よっぽどのことだろうと、彼が納得するまでしばらくつきあったのだが、それも「Mellow」な心持ちがここにはあったからだろう。

この曲はサビで「Have you never been mellow?Have you never tried to find a comfort from inside you?」と歌われる。「Mellowな気分になったことはないの?あなた自身の中に安らぎを見出そうとしたことはないの?」訳すとなるとそんなところだろうか、この歌は「何を追いかけているのかも見失ったまま わけもわからず 慌ただしく暮らしてるんじゃない?」と問いかける。当時の洋楽に頻繁に使われた「Mellow」という単語は「熟している、芳醇な、豊かで美しい、豊潤な、柔らかでなめらかな、円熟した、練れた、穏健な、落ち着いた」といった意味だそうだ。ここでは「なめらかで穏やかな心持ち」といったニュアンスになろうか。若かりし時分はむしろ慌ただしいことを好んだものだが、初老にさしかかると「円熟しつつ練れた」ことこそがカッコよく思えたりする。山から下りてくる「そよ風の誘惑」に、ほっといたって気分はMellow、漏れるように「はあ…」と声が出る。

庭にはキノコ、ウッドデッキで薪活

山の色づきはすでに下りてきていて、庭の紅葉も緑、黄、赤とその葉を3色に染め分けている。25日前までは昆虫たちのパラダイスだった小さな草むらも、跋扈するものどもはすっかりと影を潜め、そこかしこにキノコがにょっきり顔を出している。私はこの庭を眺めながら「薪活」に勤しむ。去年の秋もまったく同時期に「『薪活』とは「『薪を調達する活動』のことをいう」と題した省察をアップしているが、ロシアのウクライナ侵攻を受けてエネルギー価格が高騰している昨今、もたもたしていると必要な分の確保がままならない可能性だってある。インターネットで見つけた鳥取の業者のナラを試したくて、この滞在に合わせ取り寄せてもいる。夜になると外気は10℃を割る。しばらく空けていた家はなかなかに暖まらない。今シーズン初、薪ストーブを焚いた。鳥取の薪は申し分なかった。

そして秋刀魚を焼く

白馬駅に降り立ち、そよ風に吹かれていつもと変わらずA-COOPハピア白馬店に立ち寄り買い物をしたときのこと。山間の村である、これまたいつもと変わらず多くの期待を持たないまま魚売り場に足を向けると、キラキラと美味しそうな秋刀魚が並んでいる。北海道から仕入れたのだという。秋に七輪で秋刀魚を焼く、かねてより念願していた。それにしても高い、ここまでの輸送量も加味されるのだろうが2本で税込859円…。しかし外で炭火焼きをすることもこれから先そうそうにないだろうとここは奮発、これが今シーズン最後の秋刀魚と意を決して買い求め、薪活が一段落した夜に焼いてみた。煙が目にしみるのか、どこかから「ホーホー」とフクロウらしき声もする。どこをどうしたって美味しくないはずがない。まったくもってMellowなのである。

白馬の秋は短く

白馬の秋は短く、紅葉が過ぎたらあっという間に冬が来る。少しずつそこに向けての準備を始めなければならないのだが、この滞在中にすべきことはなんとか終えた。今日も天気がいい、これから栂池に登って標高2010mあたりの紅葉を堪能してこよう。ああ、もうすぐ隠居の身。きっとそよ風が吹いていることだろう。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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