隠居たるもの、心機一転、渇きを癒す。2026年7月29日午前9時30分、約束通りにストーブ屋さんが3人でやって来た。今般の離れ増築工事に合わせ、散種荘のリビングに鎮座する薪ストーブを思い切って容量の大きいJØTUL F 305に交換することにしたのだが、引越しが完結するまでは肝心のリビングが数多の段ボールでごった返し工事などできる状態にあらず、あらかた片づいたんでようやくこうして着手できる、とまあそういう段取りなのである。使っていなかった一本のインターネット回線を母屋から離れに延伸させて繋げる工事も同様で、それを担当する電機屋さんもふらり一人で現れた。ときおり彼らの質問と要望に応えながら最終仕上げとでもいうべき工事を眺めつつ、私たち夫婦は義父母が暮らす熊本で昨夕に起きた大地震のニュースを追っていた。

熊本地震のたった2日前のこと
幸いなこと義父母や親族たちが暮らす熊本市およびその周辺は、震源地である宇城市・平川町とはそこそこ離れていてさほどの被害をこうむることはなかったようだ。地震のすぐ後に連絡も取れており、元気な声を聞いてまずは安心といったところ。とはいえ爆発事故のあった嘉島町のイオンモールは車で買い物に出かけることもある近隣の商業施設、その他にも甚大な被害を見聞きして当然のこと心穏やかでいられない。今回の大地震は、10年前に割れ残り不安定になっていた断層があらためて動いて引き起こしたとも聞く。遠大な地球からしたら10年という差異など「同時」といって差し支えないのだろう。だからこそとでもいうべきか、卑小な人間に過ぎない私なぞは不謹慎にもついこう思う。「1日や2日前じゃなくて良かった…、だってそうだろう?せっかくだというのに心から楽しめなくなっちまっただろうし」と。そう、2日前の7月26日、私たち夫婦は意気揚々と7年ぶりにフジロックに参戦したのだった。

7年ぶりのフジロック
最後に参戦したのは2019年のこと。翌年の2020年はコロナ禍で開催中止となり、それ以後の5回は散種荘で配信を観るにとどめ現地には身を置いていない。もちろんそれには理由(あるいは言い訳)がある。まず①我々からしてラインナップが以前ほどに魅力的でない(円安の影響で海外アーティストのブッキングに主催者が苦戦しているのも事実だろうが、新しいバンドについていけない「寄る年波」も否定できない)、そして②野っ原を歩き回る広大なフェスティバル、体力的にさすがにキツい(紛れもない「寄る年波」)、とどめに③チケットや宿代の高騰(ボーナスなどもらえない者には勇気が必要な金額)。それがどうだ、今年の2月に発表された大筋のラインナップには観たいバンドがいくつも並んでいた。そこにハッパをかけたのが私を「音楽の師匠」と仰ぐ姪の同級生だ。「今年のフジロック、久しぶりに面白そうだな、特に最終日の7月26日」「ですよね!その日だけでも行きましょうよ!グリーンステージでビールで乾杯しましょうよ!」彼女が白馬に遊びに来た際にすっかり情にほだされていたのである。

意気揚々と車でフジロック
7月26日日曜日、いつもと変わらない時間に朝起きて、遠くに雷鳴を聞きながら普通に洗濯し、苗場の天気予報を確認しながら午前10時過ぎに車に乗り、山を下りて県境をまたぎ新潟の山をまた登り、途中で昼食をとりながら午後1時40分に投宿する湯沢のホテルに到着した。チェックインを済ませシャトルバス乗り場である越後湯沢駅まで送ってもらい、遅い時間だからこそ待つこともなくシャトルバスに飛び乗り苗場の会場に着いたのが午後3時過ぎ。29回開催のうち22回目の参戦だ。欲張って「すべてを観てやろう」とできるだけ早い時間から(フェス自体は午前10時20分に始まる)会場入りしていた昔日に比べるとすっかり大人だ(というか私が大人気ないだけだったのだが)。約束通り、3日間を通して参戦している姪の同級生とグリーンステージで落ち合ってビールで乾杯した。私たちが観たかった4つのバンドは嬉しいことにそろってグリーンステージに午後3時から順番に出演することになっている。あちこちのステージを渡り歩く必要がないので体力が温存される。

私たち夫婦が観た4つのバンド
未だ英国に支配される北アイルランドで育った若者が英語ではなくアイルランド語でラップする若きKNEECAP、パレスチナへの連帯を明確にし、日本語で「戦争反対!」と叫ぶ。とても粋がいい。彼らがステージに持ち込んだパレスチナの旗をそのまま受け継いだスコットランドの至宝Mogwai、静と動を縦横に、そして激しく行き来する貫禄の美しさだ。続いては平沢進+会人。相変わらずのマッドプロフェッサーぶり、10歳年上の平沢進を私は中学生のときから観ているのだ、今になってフジロックのメインステージで観れるなんて感無量である。そしてトリを務めるのは英国はブリストルのMassive Attack。ダークでクールにうねるリズムに鋭角的なメッセージが載る。トランプ、ネタニヤフ、プーチン、世界を我がものにしようとする利己的な者たちが次々とスクリーンに映し出され(FIFAのジャンニ・インティファーノ会長も加えたらと個人的には思う)、裏づけとなる映像や具体的数字とともにその不法性があらためて明示される。神出鬼没の現代アーティスト バンクシーとMassive Attackは古くからの仲間うち、痛烈なメッセージを含みながらもアートとして成立する絶妙な間合い、カッコよすぎる、感嘆の他に漏れる言葉がない。


*左:平沢進+会人 右:Massive Attack
ギックリ腰の危機を乗り越え
「フジロックはやっぱり格別だなあ」などと語り合いながら、初老の夫婦は帰りのシャトルバス乗り場に向かう。残念ではあるが、Massive Attackのステージを20分残した午後10時20分、後ろ髪をひかれながら会場を後にした。最後まで観ているとシャトルバスがとてつもなく混雑するからだ。以前には乗るまでに1時間半ほど並ばされ、根こそぎ体力を持っていかれたことだってあった。現状をありのままに考慮して、ゆっくり会場入りしてあちこちウロウロすることなく早めに帰る、ようやく辿り着いた初老の境地だ。往路同様に待つことなくすぐさまバスに乗ることができた。横で目を閉じているつれあいを尻目に、Massive Attackを観終えただろう姪の同級生に「つきあってくれてありがとな」とLINEなど打っているうちに姿勢がずるりとだらしなくなっていて、「こりゃいけない」と正そうとした瞬間に血の気が引いた。後半の2バンドは立見、固くなっていた腰に緊張が走ったのだ。やっとこさっとこぎこちなくバスを降りたものの、幸いなこと宿泊先は温泉ホテル、大きな風呂で身体を伸ばし、丹念にほぐすうちギックリ腰の危機はやんわりと去っていった。

山を分け入り秘湯の宿
「フジロックの楽しみ方:初老編」を確立した翌日の7月27日、ギリギリの時間にチェックアウトした私たちは散種荘とは反対方向に車を走らせた。「せっかく新潟に来たからにはひと足延ばしてもう少しだけ骨休み」とばかり、湯沢からドライブすること2時間、三条の山を分け入った渓流沿いにある秘湯の宿を予約していたからだ。大学の同窓会報に「同窓が経営する宿」として紹介されていた嵐渓荘、風情あふれる佇まいに機会があれば訪れたいと思っていた。現地で確認すると社長は文学部の後輩だった。しょっぱくてぬるめの湯は申し分なし、淡水魚と山菜を中心とした料理は絶品中の絶品、川のせせらぎと虫が蠢く音しか聞こえない古色蒼然とした佇まいは神秘的。一泊して昼食までいただくコースで予約していたので、ほぼ24時間、風呂に入り食事をとり本を読むこと以外はせず、とにかくゆっくりすることに専念した。そのうち腰からは怪しい気配すらなくなった。


そして熊本地震…
日本海沿いのルートを取って能生マリンドリームに立ち寄り晩酌用に安いカニなぞ買い求め、「『やらない理由』ばかりを並べ立てていたけど、それはそれでその欲求をなんとか抑えつけようという心理の現れでもあったんだろう、しかしこうしてみると『やりかた』つまり渇きを癒すその仕方を工夫し考える余地はまだまだあるということだな」なんてことを語り合う帰りの車中、7月28日午後4時27分、熊本で大地震が起きたとの速報がスマホに流れた。その夜、安いカニを美味しいとは思えなかった。

JØTUL F 305への交換工事は滞りなく終わった(同じ人が、おっちょこちょいにも閉めてあるのに気づかず、「ああっ!」と大きな声を上げて網戸に2度も飛び込みもんどりうつ「ドリフターズか?」というアクシデントはあったが)。悪くない。同時にインターネット回線の工事も完了した。これにて一年がかりの#山の家プロジェクト最終章は完遂。そしてこの省察は初めて離れの書斎でしたためている。ああ、もうすぐ隠居の身。悲喜交々の渇きを癒すべく。