隠居たるもの、絶好の日和を見当つける。風が吹くと木々の葉がハラハラと舞う、すっかり秋となった10月の白馬である。「今朝の山の上は氷点下」との消息もチラホラ聞こえてくる。となると紅葉も進んでいるに違いない。つれあいも調子を取り戻しつつあることだし、「こたえるほど寒くならないうちに八方池に登ってみるか、これがこのグリーンシーズン私たち最後の標高2,000m越えになるだろうさ」と、一週間分の天気予報を睨みつける。週末を外して「終日、晴れ」となる日を探してみると一日だけあった。2023年10月2日月曜日、午前11時を過ぎたころに、私たちは鮭を具にしたおにぎりをリュックサックにつめて、八方尾根ゴンドラリフト「アダム」駅に足を向けた。

微妙な空模様を見上げつつ散種荘をあとにする

「天気予報があたった」と言明していいものかどうか、微妙な空模様である。確かに晴れている。しかし、山の上を見上げると標高1,900mあたりから厚くて黒っぽい雲がかかっている。風もそこそこ強い。だからといって日延べしたところで「終日、晴れ」という予報はこの日をおいて他になく、次の3連休には来客もある。想い起こしてみれば、ここ白馬でも下界は灼熱に見舞われたこの夏であるが、山頂を見上げるとほぼほぼ毎日、常に雲がかかっていた。夫婦ともにで6月に1度、単独で8月に1度、今年2度にわたった私の八方池への遠足も、両日ともに雲の中だった。だからこそ三度目の正直とばかり「晴れ」にこだわったものの、ここは「まあ仕方ないやな、山だから」と観念するほか仕様がない。ゴンドラリフト「アダム」、アルペンクワッドリフト、グラートクワッドリフトの3本を乗り継ぎ、標高1,830mの八方池山荘に至る。ここより下には日が射し、ここより上では雲が流れる。その雲を眺めながら鮭のおにぎりを頬張る。長袖シャツの上にウィンドブレーカーを羽織っているだけでは少し肌寒い。

「日頃の行い」

上りにしろ下りにしろ、山道というのはとにかく自分のペースを維持したほうが負担がかからない。常に寄り添ってお互い気遣うことを必要とするほどの過酷な登山行でもないし、おおむね私が先に進みある程度の距離があいたところでつれあいを待つ、という形になる。淡々と歩を進め、もうそろそろ標高2,000mというあたり、整備された木道にしつらえられた、晴れていれば五竜岳がよく見渡せるベンチ、ここで休憩がてらつれあいを待つことにする。ずっと登ってきたので身体が温まりうっすらと汗をかく。もはや肌寒さは感じない。だからといって6月や8月に登ったときのように拭っても拭っても汗が吹き出すほどには暑くない。「これまでの中で今回がいちばん楽」と水を飲むつれあいは上機嫌だ。ひとしきり休憩し「さて、もうひと登りするか」と山の上を見上げる。気がつくとそこそこ強く吹いていた風がやんでいる。そして厚くかかっていた雲は、やんだ風にあらかた吹き動かされ頭上から消えていた。

「ふふふ、『日頃の行い』ってぇやつだな」と初老にさしかかった夫婦はほくそ笑む。「日頃の行い」とは普段の行動・日常を過ごす態度や心がけなどを意味しており、 「日頃の行いが良い」ことは果報に結びつくとされている。しかし、思いがけず劇的に「晴天」という果報を得たことから、手前勝手に自分達の「日頃の行い」を演繹する夫婦、ここからしてとても「日頃の行いが良い」とは推察されまい。とはいえだ、雲がいくらか残る晴天のもと、秋の走りの八方池、滅多にお目にかかれないほどに絶景であることは間違いない。

八方池、標高2,060m

雪に押し出された土砂が堆積したところに雪解け水や雨水が溜まってできたのが八方池だそうだ。晴天ともなると水面に、空の青、この日のようにいい塩梅で残っていると雲の白、加えて3,000m級の北アルプスの山々、そして秋の走りであるから色づき始めた草木の赤、それらすべてが映し出される。これを絶景と言わずしてなにを絶景と言うのか。ここまでに美しい光景はそうそうおいそれと拝めるものではない。

だからその美しさを言葉に置き換えるのは大変に難しく、

だとしたら精巧な肉眼が見たものをそのままトレースできるわけではないにしても、

写真に物語ってもらった方が望ましく、こうして感嘆しつつシャッターを切った数枚を、

順番通りに並べたてる、とまあこういう次第である。

それにしてもなんと美しいことか…。

「日頃の行いが良いという噂はやはり本当かもしれない」といささかでも信じたくなるのは無理もなかろう。(笑)

かたや10月2日午後2時から

散種荘を出発してゴンドラ「アダム」駅まで歩き、ゴンドラとリフトを乗り継ぎ、八方池山荘から八方池まで登り、その逆をたどって散種荘まで歩いて帰る。登山路を含め全歩行距離は11kmほどになる。7月末から8月にかけて体調に支障をきたしたつれあいは自信を持てないまま臨んだのであるが、結局は「これまでの中で今回がいちばん楽だった」とのこと。どうやらこの夏に痩せたことが功を奏したらしい。それでは「このビール、全部飲めない」とか「これは食べきれない」とか、これまでと違ってつれあいが残すようになったそうしたものを一手に引き受け少々太り気味な私はどうか。これが少しも苦しくない。ひと夏ほとんど山の中にいたから身体が高地にすっかり順応したのだろうか。(いやいや、仮にそうだとしても、少しは意識して痩せるに越したことはない。)午後3時過ぎに散種荘に帰り、PCを開け、大変なことが起きてないかニュースを確認する。やれやれ、矢継ぎ早に速報されているのはジャニーズ事務所の2度目の会見ばかり…。ああ、もうすぐ隠居の身。下界はなんとも不浄に満ちている。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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